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魚と肴

スーパーで魚を選んでいると、一匹だけ生きている奴がいることに気づいた。敷き詰められた氷の上で、目だけをキョロキョロと動かしている。誰も気づいていないのかなと不思議に思っていると、その魚と目があった。

「あんちゃん、わしを買ってくれよ。」

ビックリした。魚は口をパクパクさせて話しかけてきた。そんなことしたら生きてるってバレちゃうぞと心配になる。とりあえずそいつをビニール袋に入れ、買い物を続けた。
その途中も「いやー助かった!」「あんちゃん名前なんていうんや?」「えぇー、お酒買いすぎちゃうか?」と、喋り続けていた。まぁまぁ大きい声なのだが、どうやら僕にしか聞こえていないらしい。うるさいから返してこようかと思ったが、非常識かとおもってやめた。それに、ブーブー言いそうだから。

家に着いて、とりあえずボウルに塩水をつくってそこに魚を入れた。水槽を買った方がいいだろうかと考える。

「いやーほんまありがとうな。わしは吉田ってゆーねん。」

「いえそんな。あ、僕はぴぴぷるです。」

「うわっ、変な名前やなー!!」

そう言って笑う吉田。ボウルの水が飛び散るほどはしゃいでいる。お前の方がよほど変だ。いや、吉田ってなんだよ。

「・・・あの、ずっと気になってたんですけど。なんで魚なのに喋れるんですか?」

「そらお前、わしが天才やからや。」

答える気がないのだと思ってつまらない顔をしていると、吉田は少し微笑みながら(表情はあまり分からないけど、この魚は常に口角が上がっている)僕のほうを向いた。

「天才やからって、すぐ喋れたわけちゃうで。」

透き通った目だった。魚は鮮度が落ちると目が濁っていくと言うが、生きているだけでこんなに透明だろうか。

「わしはな、色んなことに興味があった。だから勉強した。ゆーても、海のなかには本もなにも無いからな。浅瀬で泳ぎながら釣りしてる奴らの言葉をとにかく聞いた。色々修羅場も潜りながら頑張ったんやで。そのうちに、喋れるようになった。」

ーもう、ボウルをひっくり返したくなっていた。聞きたくない言葉だ。

「うーみーはひろいーなおおきーいーなー・・・言うけどな。狭いねん。めっちゃ狭い。わしは、広い海に行きたかった。そんで、捕まったんや。」

吉田がこっちを見ている。魚とすら目を合わせられない自分。芯のある言葉はいつでも辛く響く。僕には、骨がないのだ。

「だからな、あんちゃん。わしを食ってくれや。」

僕は水槽を買わなかった。ボウルの塩水を一日に何回か変える生活をしばらく送っていた。食べたいものを聞いても「いいからはよ食えや」と言うばかりなので、すぐに諦めた。「あーどんどん不味なるわぁー」と小言を繰り返していた吉田は、そのうちなにも言わなくなった。ほとんど体の動きがなくなっても、目はやっぱり透明だった。濁っていたかもしれないが、僕にはそう見えたのだ。

その日、水を変えるためにボウルを手にとると、久しぶりに吉田が話しかけてきた。

「なぁ、わしはもう死ぬで。」

他の誰にも聞こえないのに、なんでこんなにクリアに響くのだろう。無視しようにもできない。僕は立ち止まったまま「ペットになればいい」と言った。言ってしまった。

吉田は笑った。

「ははは。あかんわ。釣られた時点でわしは終わってんねん。食いたないんなら早く海に返せばよかったんや。」

吉田がこっちを見ている。

「食われたほうがましや、ゆーてんねん。生きながらえるためだけの餌、変わらない景色。ここは、わしの求めた海やない。まぁあんちゃんと話すのは楽しかったけどな。でも、それだけや。」

ボウルにかけた手が動かない。冷たくなっていく指とは逆に、鼻の奥のほうが熱くなってくる。ここまで言われても、言い訳を探す自分が悲しい。

「・・・言ってくれればよかったのに。」

「あかんあかん。死体と並んでた時点で生きていける体力なんてなかったわ。海には医者もおらんしホテルもないんやで。どっちにしろ死ぬ。」

この明るさは、諦めからきていたのか。出会った時から僕に殺されるつもりだったのか。腹立たしい。感情が絡まってどうしようもなくなる。体が震えて、ボウルが カタ と音をたてた。

「残酷なことをしていると、思わない?」

「思わんな。いくら天才でも、わしは所詮魚や。そんで、だらしない酒呑みだろうがあんちゃんは人間や。普通のこと。あんちゃんは多分そない傷つかんし、すぐ忘れるやろ。」

否定できなかったのは、その通りだからなのだろう。きっと、ただ殺したくないだけだ。情はあっても、その理由のほうがよほど大きい。僕は長いため息をついてから、ようやく手を離した。


「・・・わかった。食うよ。でも、死ぬのは勝手に死んでくれ。」


吉田は最後に大きく笑って言った。


「約束してくれるんなら、ええで。」


次の日、買い物から帰ってくると吉田はボウルに浮かんでいた。それを横目にみながら酒を冷蔵庫に移していく。氷をトレーに開け、新しい水を注いでおく。いつものルーティンをこなし、台所にたった。

どうやって食べようかと思った。あまり包丁をいれたくなかったけど、煮たり焼いたりするのも気が引ける。悩んだけど、刺身にすることにした。

radikoでお気に入りの番組を流す。軽快な音楽と笑い声が聞こえてくる。吉田をまな板に置く。胸ビレの後ろに包丁をあてる。少しだけ間を置いてから、頭を落とした。

身がぶよぶよで捌きにくかったが、なんとか三枚におろすことができた。腹骨をすいてから、ピンセットで細かい骨をとっていく。処理の済んだ身を、刺身にして皿にならべた。綺麗にできたと思う。

その皿とタンブラーをテーブルに持っていく。radikoの再生をとめ、テレビをつけアニメを流す。酒を注ぎ、喉を鳴らして飲んでいく。そして、目の前の刺身をワサビ醤油につけた。

吉田はおいしくなかった。本当に、おいしくなかった。

僕をサポートすると宝クジがあたります。あと運命の人に会えるし、さらに肌も綺麗になります。ここだけの話、ダイエット効果もあります。 100円で1キロ痩せます。あとは内緒です。