メモ 正義論者 ロールズ
先日正義についての投稿をした。では、政治学においてどのような立場があるのか。
コミュニタリアニズムを除けば、ロールズとノージックに代表される二潮流だと思う。コミュニタリアニズムは、ロールズに対するアンチではあるが、一般的な正義論全体に対してのアンチともいえる。それは、「善に対する正の優越」という言葉に結実する。もっとも、ロールズ自身が後期においては、その主張を踏まえているということもある。また現実的な政策を考えるにあたって、リベラリズムとリバタリアニズムは争点が明確だ。
メモ代わりに一般に語られるロールズとノージックについてのまとめをしたいと思う。まずはロールズについて。
ロールズもノージックも、金のこと、政府による課税と再分配をイメージすると分かりやすい。
ロールズ
John Rawls (1921-2002)
代リベラリズムの親玉のような存在だ。
黒人差別と公民権運動という、自由と権利が実現されていく時代背景。20世紀に広くみられる「福祉国家」の擁護。ベンサム的功利主義批判という、社会全体の幸福より、個人の自由と権利を重視する姿勢。
全ての市民が、対等な存在として、各自の理想を追求でき、各人の自由と権利が保障され、社会全体の福利が増大するような、そして万人に同意される原理を追求する。
「原初状態」と「無知のヴェール」(正義版社会契約説)
どうすれば、万人の支持と合意を得られる原理を導出できるのか。
高校の授業で、社会契約説を習った人も多いだろうが、ロールズの手法はそれとよく似る。
社会契約説が、国家の誕生について、またそれを導出する前提として「自然状態」を論じるのに対し、ロールズは正義の原理を導出すべく「原初状態」というギミックを用いる。ロックやルソーの「自然状態」が文明以前の人間の状態を想定するのに対し、「原初状態」は単にまだ何もルール(原理)の決まっていない状態である。
「原初状態」で、今後の社会のルールを考えるとする。しかし例えば、富裕層ならば減税や税の廃止を主張するだろうし、貧困層ならば累進的な税制を主張するだろう。このように、各人は自身の属性を基に判断をする。そこで、それが分からないような「無知のヴェール」を被せて、議論をする。「無知のヴェール」によって、自分が金持ちか、貧乏人か、そういったことが分からなくなる。これによって、公正な議論をし、公正な原理を導くことができる。
「原初状態」と「無知のヴェール」はあり得ないと思われるかも知れない。コミュニタリアニストは「負荷なき自己」は不可能だと指摘するし、ヒュームは歴史上、「原初状態」のような状態は一度も無かったとする(ヒュームは社会契約説についての指摘だが)。しかし、「原初状態」と「無知のヴェール」は原理的な話なのだ。現実的にそれがあるかではない。物理法則を考えるにあたって、常に特定の状況を前提としているだろうか。
ルール(原理)とは暴力的なものだが、だからといってより暴力的である必要はない。極力暴力性を排して、万人に同意されるルールを導出するために、ある特定の状況を前提とすることができるだろうか。コミュニタリアニズム以外のリバタリアニズム、功利主義にも共通して、現実のある共同体の価値を前提としてルールを導くことはない(ただし、後年のロールズはコミュニタリアニストからの批判を受けて、その正義論を修正する)。
正義の原理
では、自身が何者か分からない各人は、ルールについてどのように考えるか。
人は「誰もが将来について悲観的」であり、しかし「誰もが自分だけは損をしたくない」と、ロールズは考える。故に、最悪な状態になったとしても、人間的な生活を送れるルールを求めるだろうと想定する。以下の通り要約される。
第一原理:誰もが、最も広範にわたる基本的諸自由に対する、他者の同様な自由と両立する平等な権利を持つべきである。
第二原理:以下の二つの目的を満たす場合にのみ、社会的・経済的不平等が設けられる。
1 最も不遇な人々にとって最大限の利益となり、結果として、全員の利益となることが合理的に期待される場合。格差原理
2 公正な機会の平等が成立しているという条件のもとで、すべての人に諸々の職務や地位へのアクセスが可能となる場合。公正な機会均等原理
第一原理は、基本的諸自由が各人に平等に保障されることを示している。基本的諸自由とは
1 政治的自由
2 言論および集会の自由
3 良心の自由と思想の自由
4 人身の自由
5 個人的財産を保有する権利
6 恣意的な逮捕・押収からの自由
の以上である。「基本的」とあるように、全ての自由が第一原理で保障されるのではない。そして第一原理は第二原理に常に優越する。
第二原理は不平等が認められる条件を示す。「格差原理」は、社会で最悪の状態にある者が優先的に利益を与えられることを示す(貧困層支援と累進課税制の正当化)。「公正な機会均等原理」は才能と意欲があるにも関わらず、その者の属性によって職や地位に着けない人がいない限り、不平等が認められることを示す。
マキシミン原理(maximin rule)とその逆
ロールズの正義の原理は、「誰もが自分の将来に対して悲観的だから保険を掛ける」ために導出される。これは、ゲーム理論などの領域で「マキシミン原理」と呼ばれる意思決定の理論だが、複数の選択肢とそれぞれ結果がある場合、「最もマシな最悪の結果」を選ぶという基準である。例えば、次のような3つの選択肢を想定する。
1 -700$ 800$ 1200$
2 -800$ 700$ 1400$
3 500$ 600$ 800$
最悪な結果は、1ならばー700$、2ならばー800$、3ならば500$である。1から3の選択肢の中で最もマシな最悪な結果が含まれるのは、3であるためマキシミン原理によれば、3が選ばれる。これを前提とすれば正義の2原理が導出されるだろう。
しかし、可能性としてはどれも同等である(ロールズもマキシミン原理の適用が妥当な条件として、選択の結果への見込みが不十分であることを挙げる)。ならば、最善の結果が出る選択肢(この場合は2)を選ぶことも考えられる。この想定では、ロールズとは逆の結論、即ち格差原理の否定を導出できる。