34歳の乳飲み子
私のことだ。
後数十分で、34歳になってしまう。
25歳のときにダウンして、こんな状態のまま、年だけ重ねて。
いまだに、親に養われる生活。
家にずっといればストレスもたまって、余計に鬱が増すこともある。
でも。
数日前、誕生日にピザとろうとか言ってくれたり、「カラオケ行ってきな、少し早いけど誕生祝い」って突然お金くれたり。
妹は、一週間前に、早めの誕生日祝いにユニクロのあったかいパジャマと、私がぼろぼろのまま使っていたサーモスのボトルの新品をくれた。
こんな、何もできないで実家にすがって、食べて寝てしかいない私。
こんな私に、どうしてこんなにやさしくする?
素直に、ありがとうと思えれば最高なんだけれど、
自分が、みじめでしょうがない。
だんだん、情けなくなってきて。
人生の4分の1くらい、鬱病治療している。
短時間、働きに出ても、やっぱり続かない。
何がいけなかったのかな。
保育士をしなければよかったのかな。
辞めたいと思ったときに、すぐ辞められたらよかったのかな。
子どもがすきだったのがいけなかったのかな。
父も母も、こんな34の娘になるなんて思ってなかっただろうな。
私だって思ってなかったよ。
家事はちょこちょこできるようになってきたけど、
母が私よりずっと前から心を病みつつ、全ての家のことをやっていたということが、どれだけ辛かったかを思い知る。
この間、雪がひどくて車を出すことも大変なときに、夕飯を考えて買い物してきてって頼まれたけど、全く頭が働かなくなって、鬱がひどくなって動けなくなった。
鬱病患者が、”献立”を考えて買い物をすることが、どれだけ大変なことだったのか。
選択、判断する力が弱るから、無限の選択肢から選ばねばならない”献立”って、決めたり、そのために必要なものを選んで買ったりするのも、本当に大変なんだ。
34歳っていえば、もう家庭をもって、親のもとなんか離れて子育てしてて、たまに孫連れてきてなんて、、、、、、
それもそれで迷惑かけることたくさんあるけれど、
私の人生って、
乳飲み子と同じ。
みんな、今の私の母と同じことをしているのに、私はまだ何もかもやってもらっている。
生活費も入れていない。
父の給料で、いつまで養ってもらうんだろう。
父も、来年の3月には定年だ。
どうしてこんなことになったんだろう。
家にいながら、年だけ取っていく。
普通に、家族に祝われて。
子どもみたい。
34歳の赤ちゃんだ。
煙たがられもせず。
なんで、許されてるのかな、私は。
去年の今頃、ちょうど、倉庫の仕事で限界になって辞めた。
やっと面接が通って、受け入れてもらった場所で。
でも、1年、もうすぐ1年、というところで、働けなくなってしまった。
そして、そのまま年をとった。
毎年、こうして過ごしていくの?
終わりはあるの?
コロナさん関連で、心を病んで命を絶つひとが多いみたい。
でも、
こんな、乳飲み子のような生活をしている私でも、まだ生きていることを知ったら、
もしかしたら、
”こいつよりはマシだな”
と思って生きられるひとが、いるかもしれないな、なんて、
わずかな希望を込めて、書いてみた。
嘘。
吐き出したいだけ。
虚しい。
もちろん、私が経験した以上のどん底なんて、この先ないだろうし、もう私にはいいことしか起こらない、この先の人生よくなっていくしかない、、、、、、
と、どこかで信じている。
食べて寝ているだけの生活とはいえ、食べることも、眠ることもできない日々もあったし、それよりは何倍もいいことなんてわかってる。
全くもってそれしかしていないだけでもないし。
でも、、、、、、、、、、
結婚願望、子育てしたいという夢がある私にとって、もう、これ以上ゆっくりはしていたくない。
でも、こんな、鬱が重くなってきている状況で社会になんて出られないから、とりあえず、動けないのだ。
こんなメンタルで、誕生日を迎えたくないな。
生き生きとした顔で、仕事したり、子育てしたり、、、、、、
そんな自分は、未来にいるのかな。
分からないし、考えたところで具合が悪くなる一方だから、YouTubeとかTVerを観て紛らわす。
寝る。
このまま続く。
元気になりたい。
ただ、それだけのこと。
こんなに難しいことなんだ。
ごめんね、父ちゃん母ちゃん。
34歳を迎える頃、こんな娘になっているなんて思わなかっただろうな。
ごめんね。
でも、死んだらお母ちゃん絶対後追うし悲しんで鬱増しにいなっちゃうのわかってるし、母ちゃんが父方の親戚一同に責められるのも分かるから、
だから、私は死なない。
生きる。
とりあえずでいいから、生きるからね。
こんな私を、乳飲み子のように手のかかる私を、この家に置いてくれてありがとう。
いつか、恩返しができますように。