見出し画像

鬱病治療中、感じる疑問の詰め合わせ

私は、8年鬱病と向き合っている。

が、うまいこと、経済的、精神的なことを助ける手当などの利用ができていないのではないか、どうしてこんな保障がないのか、などなど、たびたび気になっていることがある。

もし、詳しい方があればご享受願います。


2012年秋に、5年7か月在籍した職場を正式に退職。退職手当をもらった。

雇用保険は、療養により受給の開始を延長してから、回復し就活してみようとするタイミングでちゃんと受けられた。

休職中からの、傷病手当も受けていた。最長の1年半受けられた。

総合病院でいろいろな科を回り、精神科にたどりつきしばらくしてから、当時の主治医に自立支援医療制度(医療費が1割負担になる)を勧められた。病院を変えた現在もそれは受け続けている。


とはいえ、8年間の中で、収入があったのは、保育パートに出ていた4か月弱(5h×週4)、昨年~今年1月まで勤めていた倉庫管理のパート11か月半(平均4h×週3~4)のみ。

メインバンクが泣いている。

実家暮らしとはいえ、親をこんなにも長いこと頼ることになるなんて。

頼る親がいるだけいいじゃないか、という声がなんとなく聞こえてくる。

でも、


、、、、、、、、、、情けない、ただただ。



①年金について

年金、免除してもらっているというひとの話をよく耳にするが、私の場合はどうか、もちろん調べた。

(初期の頃、手続き系統が全く具合悪くてできなかったので、父に全部調べてもらった、、、、、、)

これが、うちの父がまだ現役で働いている関係で、私の年金支払いに免除の権利はないらしい。

親に頼った年もあるし、自分の貯金から払ってもいるが、8年間払い続けている。

今年は月16540円。私は無給。サブバンクに、母方の祖母とおじが私のために与えてくれた大事な貯金がある。それももう、苦しくて半分使ってしまった。悲しい。でも、今後またそれに頼らないと年金が支払えない。

将来、自分が受け取れるか分からないもののために、こんな多額、毎月、、、、、、

支払猶予というものもあるが、借金のようなもので、いずれ請求される。後々たまっていって多額の請求をされるくらいならと、家族と話し合った結果今は毎月支払っているが、結構、限界がきている。


②障害年金について

これは、私が考えを述べることで誰かを傷つけてしまう恐れがある話なので、とても怖い。

怖いな、、、、、、

もし、実際、②について支援を受けていらっしゃる方が、これを読んで不快な思いをしてしまったら申し訳ございません。


というのも、私はこれを受給していない。

最初に障害年金の話をされたのが、総合病院に通っていたときの主治医からだった。

パート保育士をしたがダウンして辞め、心を休めてから他の業種で短時間のパートを探すも、面接に落ち続けた。心を休め、また仕事を探しても、またダメ。社会に出ていけないことで将来が不安になり、自信がなくなってきていることを主治医に伝えると、


「障害年金というものがあります。」


、、、、、、、え?

、、、、、、、障害? 年金? え、障害?


唐突のワードで、混乱した。

私は、お金が欲しいと言ったわけじゃなくて、働くこと、社会に出ることに関して自分ができないから落ち込んでいると伝えたかったのに、、、、、、

という感想がひとつ。

そして、もうひとつは

”障害” という、今まで自分に言われたこと、思ったことのなかった言葉が出てきたことに対して、とにかく動揺してしまった。

「私って、障害者ってことなんですか?」

ときくと

「3級に相当します」

と。「身体でいうとここがこういう状態と同じで、、、」と説明は続くのだが、私は、その後の説明を全く覚えていない。とにかく、頭が混乱していた。

”先生、どうしたの?ひとが変わったの?”、、、くらいに驚いてしまった私は、言われるがまま病院の相談室へ行き、担当の方から手続きについてのお話も聞いたはずだが、全然覚えていない。

”そういうことじゃないのに” と ”障害ってどういうこと?”

の2つを抱えながら帰宅し、親にそのことを話した。

「あんたは障害者なんかじゃないでしょ!」

と母に一喝され、友人にも「pizzaは障害者じゃないよ」と言われた。

私は何が正しいか分からなかった状態だった。でも障害年金を受けることは反対されたし、このときちょうど諸事情で薬を変えてみたかったのもあり、主治医=病院を変えることにした。

今も、障害年金はもらっていないし、調べたらだいぶ前の記憶にまで遡らないと申請が難しそうだ。


③障害者手帳について

同様、③を支給されている方、何か不適切なことを書いてしまっていたら申し訳ありません。

私を” 障害者” とすることに、特に母には抵抗がある。

というのも、母の友人の息子さんに2人程、実際に知的障害者がいて、親の苦労なども知っている。それに比べたらあんたが障害者って名乗るのはおかしい、甘えだ!、、、、、、と、こんな感じの考えなのは目に見える。

そして、何より、今まで育ててきた娘が”障害者”なんて思うのは辛いはず。

私自身も、心の中でまだちょっと受け入れられないんだなぁ、、、と実感したのが、先日ハローワークの”専門支援部門”という窓口を紹介され行ってみたとき。私の話を聞いてはくれるが、話すごとにすぐにそれに関する専門機関(主に障害者向けの)の資料を出されて、だんだん心が苦しくなっていった。加えて、その前に働いていたときの自分の状況を伝えたときの、その担当者の言葉がぐさぐさ刺さったのもあり、完全に働けるメンタルを失った。

単にその担当者と合わなかったのももちろんあるが、渡された数冊の資料がほぼほぼ障害者のための施設で、ここ、冷静に考えて、今の自分に合っていいるのかな?が分からなくなった。とにかく、行こうかを考えると具合が悪くなる。主治医にも話したら、「これは違いますね」と言ってくれたので心が楽になったし、「心が向かないことはしないほうがいい」と言われたので考えることをやめ、就活もお休み中。、、、な現状だ。

これまで、何度も就活チャレンジをしてきたが、鬱病患者の就活には現在の鬱病を「オープン」にするか「クローズ」にするかということがよくいわれる。面接で、履歴書の空白(療養の無職期間)について聞かれたときに、親の介護などと他の理由を話すか、正直に病気のことを告白するか、ということだ。

私は嘘がつけない。嘘ついて何か問題が起きたら大変なことだし、何より心が許さなくて、嘘をつく能力がない。だから、鬱病治療のことを隠して面接が受けられない。結果的に落ちまくっているが、もし、これが一般求人でなく、障害者求人で応募することになれば、面接に臨むときの苦しさ自体はきっと緩和されるのだろう。

就活にあたって、面接に挑むとき毎回かかるストレスが軽くなることは、就活をすること自体のストレスを軽くしてくれる。きっと、わたしみたいなタイプの人間は、障害者雇用枠で仕事を探すのが、”就活”自体のみを考えたら心に良いのだろう。

そのためには、障害者手帳の発行が必要だ。

ただ。

問題なのは。

★”障害者”であることを、自分や家族が受け入れられるか。

★障害者雇用で採用はされても、その職場の雰囲気、人間が合っているかどうかは一般求人で就職したとき同様分からない。

★一般の方と同じ現場で昨年仕事していた自分が、重度の障害者と一緒の作業などの場合、やりがいを感じられるか。心が元気でいられるか。

など。


何度か言われたことがあるが、私は障害者と健常者の間の、微妙なボーダーラインに属している状況らしい。そして、同じような状況で悩んでいる人はたくさんいるらしい。

少し、心や、コロナが落ち着いて、また就活に向かうとき、私がとるべき手段は何だろう。



④同世帯に2人以上精神疾患患者がいる場合の手当、保障はないのか

、、、、、、私はこれをずっとずっと思っている。ないのだろうか。

私だけじゃないはず。同じこと、思って苦しんでいるひと、家族、いませんか?

我が家は母が軽度鬱病(本人談)、私が鬱病。

同じじゃないけど似ている。でも違う。

軽度鬱病は、調べたところ治療期間が長くなりがちらしく、母も10年以上治療中。なんなら、育ちから関係している可能性がありかなり長い間患っていたかもしれず、、、

私は完全にがっつり鬱病なので、抗うつ薬を服用している(母には処方されていない)。私も8年、治療には時間がかかっている。

母が調子悪いときは、私同様沈むこともあるが、ヒステリーのようにかっとなり怒鳴ることがある。私は、怒鳴り声や雰囲気でパニックになったり理性を失うので本当に苦しい。パニックになる私を見て母はさらにそれに怒りを感じヒートアップしてしまうこともある。

お互いが分かっているから助け合えることももちろん多いし、逆にお互い調子を下げ合ってボロボロになることがある。その、ボロボロ具合には本当に、、、、、、耐えられない。

深く話すのは今メンタルがもたない気がするのでざっとにするけれど、とにかく父に対する母の怒号が止まらない。父がふがいないのも十分理解している。頼りがなさすぎる。だが、もう、、、、、、

どうやら、父と母が出逢ってからずっと、父が頼りなかった。うまく説明ができないのだが、母は家族のこと全部決めてきたし、姑から受けていたストレスにも知らん顔だった父。何十年も苦しみ続け、数年前、姑に私の鬱が治らないのも母のせいにされようとしたときについに母はブチぎれて、それがきっかけとなり母は父方の祖父母(私から見て)と、縁を切った。

私のことで。わたしのせいで。

母を苦しめる人間は許さない、と、刃物を持って祖父母宅に押しかけたい衝動にまで駆られた。

その後、父と母は離婚騒動になった。

でも、母は働けない。収入がない。慰謝料も、父が払う確証がもてない。私が働けていたら、離婚させてあげられたのに、、、と悔やんだ。

結局、離婚はしないことにしたそうなのだが、毎週、土日が怖い。母の怒号が止まらないし、母も疲弊する。離婚騒動から父は若干変わったが、もうじき定年を迎えるとなると、悪寒が走る。

私は、父の定年までは自立している目標だった。もう、両親のケンカなんかに心を苦しめ続けるのは嫌だった。親と離れなければ、私の鬱病完治はないとすら思う。

、、、、、、私情をだらだら書いてしまったが、親の感情の影響を受けやすい状態の私にとって、ここから離れることは本当に望ましい。ただ、お金なんて全然なく、1人暮らしができない。

母だって、父と離れたいが経済的に離れられない。が、それはいったんおいておいて自分の話をさせてもらう。

働いてお金をためて一人暮らし、までには、あとどのくらいかかるのか分からない。それまではこの家にいなければ生きられない。ただ、ストレスは受け続けることになるので、治療は進んでいかないのでは?と思うと先が見えない。散々お世話になった挙句家族と離れたいなんて贅沢にもほどがある、という声が聞こえてきそうだが、私は本当に悩んでいる。

母の言うことがよく変わるのにも対応できないし、母の目が気になったりいまだに怖かったり。母との間で、何か私が乗り越えるべきことがあるからここにいなければならない状況になっているのか?神様が与えた試練なのか?

鬱病の家族を看ているうちにそのひとも鬱病に、というケースは実際あるようだし、そんなときによりよい、お互いが負担にならないような環境の中で治療できるための、制度とか、手当とか、あればいいのになと。

何かないのかと、ネットで調べてみたこともあるが、みつからなかった。

鬱々とした雰囲気に、片方も飲み込まれてしまう、、、、、、ということ、私と母は何度も経験している。母も私がストレスに感じることはかなり多いと思う。

重度だったら入院などの措置をとるが、そうでなくても辛い思いをしているひとは絶対多いはずだ。

ひと世帯に2人以上の精神疾患患者がいる場合の、何かしらの支援があれば、もう少し生きやすくなると思う。

とはいえ、何かそのことにむけて運動を起こすほどのパワーもないし、、、、、、




長々と、私情を書いてしまい、、、、、、

今、コロナのこともあり健康でも生きにくい状況なので、私だけが辛いんだとかいうつもりは全然ない。

ただ、、、、、、

ずっと、思っていたことを書いてみた。

特に④については、苦しみながらずっと思ってきたことなので、どこかで言いたかった。

年金も、今月まだ払っていない。

”お金がない”ことはストレスにつながる。将来が見えなくなる。でも、すぐには働けない。


鬱病を抱えながらも、前に進もうとする意欲が出てくるような、もっと生きやすい環境、状況を作るには、どうしたらよいだろうか。


”心を守る環境は、自分で作る” と言いたいところだけど、経済的なことが絡んでくると、本当に難しいなぁ。



今苦しんでいる全てのひとが、視界が晴れるきっかけを見つけられますように。

未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。