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キャリオク×キングコング対談から考える―保育現場にいたあの頃―

転職サービスの会社「キャリオク」のCMキャラクターに、今私が大注目の漫才コンビ、キングコングが起用された。

昨年度は、キングコングの西野さんおひとりでつとめていましたが、今回は梶原さんを含むコンビでの起用。

理由として、”芸人”から”絵本作家”に転身した西野さん、”YouTuber”に転身した梶原さん、こんなコンビが転職サービスのキャラクターとしてはもってこいだったからだ。

経緯についてはこちらを。


そして、CM撮影にあたって、なぜ2人がいわゆる”TV芸人”から違う方向へ進んだのかを含め、普段はなかなかお互いに恥ずかしくて話せないコンビ20年間の歩み、それぞれの本音を【ガチンコ対談】という形で展開し、それをYouTubeにあげてくれた。

キングコングのファンとしての思いまで書くとキリがないので(もう本当に涙涙)、今回は対談の内容から自分が気づいたことを書いてみようと思う。

一度貼っておきます。


お仕事、転職に関してのことで自分なりにまとめると。

①どんなに夢を持って就いた仕事でも、実際やってみないと分からないことがあるのが普通。

キングコングとしてデビューして、異例のスピードでTV界に入った2人。はじめはゴールデンタイムで冠番組をもってスターになって、、、と夢見ていた世界だったが、現実と向き合う中で、2人ともそれぞれのタイミングで”TVの仕事が向いていない”ことに気づいたという。

TVに出る芸人として”かくあるべし”なルールがあったり、食レポするにも食に興味がないことに気づいたり、大喜利が苦手だったり、ひな壇芸人としてうまく自分が出せなかったり。

向いているかどうかは、実際やってみないと気づけないし、自分が向いていないことにも気づけない場合が多い。

TV業界のみならず、どんな仕事についても同じことが言えるという。

だから、新しい場へどんどん挑戦して“向いている仕事”と出会って欲しいという。38歳にしてYouTubeという自分を表現できる場所を見つけた梶原さんは、今が一番たのしいし、小中学生の頃のキラキラ、わくわくした自分になっているという。


②”ここで頑張らなくては”、と無理して仕事を続けている人が多い。

西野さんが早めに見切りをつけて「ひな壇のTVには出ない」と宣言したり、絵本を描く準備に入る中、梶原さんは必死にTVに出ていたけれど、ことごとくすべり続けたという。

“自分の実力はこんなもんじゃない” と思っていたこと、

“自分だけでもTVに出ていないと、キングコングが忘れられてしまう” と思い自分がキングコングを背負おうとしていたことから、

なんとかTV界で踏ん張っていた梶原さんだったが、ひな壇という自分の実力が出しにくい場で苦しみ続けた。そこが自分に合わない場だということも気づいていなかったという。

人にはそれぞれに武器がある。その存在に気付けるかどうかは大きい。

自分にはこの仕事しか、と思っている人は多いし、現状から別の方向へハンドルを切ることは本当に難しいけれど、それでもハンドルを切らなければならない状況はある。

今は本当に、たくさんの種類の仕事であふれている時代。自分の持つ武器にぴったりハマる仕事は必ずある。

相方の西野さんが自分のフィールド(絵本、個展、書籍、オンラインサロンなど)で活躍する中、何も見つけられずにいる自分が情けなく、芸能界を辞めようというところまで追い込まれていた梶原さん。時間はかかったが踏み出してみてよかった、という、現在はYouTubeで活躍中の梶原さんの言葉ひとつひとつが、全てを物語っていた。


そういえば

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、


普通にキングコングファンとしては「このドラマのような2人の20年間を映画化してくれ(´;ω;`)」なんていう本当に素敵な、コンビ愛ありリアルあり笑いありの80分なのだが、

ふと、

今、職に就いていない、過去の職で挫折した、自分のことを重ねてみた。


こ、この対談、

10年前に観ていたら、間に合ったかも、、、、、、

私、、、、、、



フラッシュバックを恐れず、過去と向き合ってみよう。

対談の内容と照らし合わせて。



①どんなに夢を持って就いた仕事でも、実際やってみないと分からないことがあるのが普通。

私は保育士として、現場で約5年半働いていた。

地元の短大の保育科で2年間学んで、すぐに現場へ。

本音を言うと、学校で学ぶのは理想、現場で突きつけられるのは現実。学んだ通り、”子どもの意欲を尊重してゆったりと”、、、なんて保育、できないせわしない現場の方が多いのではないだろうか、、、

私は、子どもとの信頼関係を築くのは得意だった。学校で学んだ理想があったから。ひとりひとりを受け止めて関わるという基本的なことはよくできていたと思う。自己中なベテラン風お局には、これが全くできていなかった。私にはよく子どもが寄ってきた。保育士ならみんなそうなれるものだと思ったら、どうやらそういうわけではない。そして、ひとりひとりなんて言っていられない場面ももちろんあることを知った。子どもの想いを受け止めるより、発達を促すことより、何よりも最優先なのは命を、安全に預かること。ほっこりばかりしてはいられない。

学校では教えてくれない、現場で初めて知ったことはあまりに多い。

一瞬も気が抜けない8時間労働、休憩時間は連絡帳書き。そして、

年間計画、月間計画、週の計画、そしてそのすべての反省、日誌。3歳未満児は子ども一人一人についての月間計画。担当が回ってきたら園の行事の立案、準備。クラスの活動(四季の行事、運動会、発表会、制作活動など)の準備。

上記をすべて、ほぼほぼ時間外(残業手当なし)に用意しなければならない過酷さ。要領のいいひとや、複数担任の場合はなんとかなるが、要領の悪いひとり担任が多かった私には平日も、休日も、休む暇がなかった。頭と心がずっと保育の状態で、体力もなかったので帰ってとりあえず寝て、午前2時起きで書き物をしていた。←私は徹夜ができない体質

今は毎日が休日なのに、、、よくやってたな、、、

でもそれは正直よかった。やりがいはあったから。子どもの成長が尊くて。

向いてなかったな、は他にあった。この対談動画で気づいた。

それは、


前に立って行事などを進めること。

今思えば致命的だな、、、、、、

たくさんの人間、子どもを巻き込んで大きなイベントをすることに関して、発想が豊かでない。立案すら苦戦した。準備も、自分で気が回っていないことが多くて、迷惑をかけまくったと思う。不安だけが大きかった。実際、当日、子どもたちと職員の前に立っても、うまいこといっていない。全体が見えていない。手ごたえがない、、、もう、正直、行事の担当が回ってこないことを祈っていた。

実は、2年目で早々にひとり担任を任されたときも、2歳児の子どもたった5人を揃わせ園庭に出ることすら苦戦したことがある。2歳児は言うことなんか聞かない。ただ、職員配置の関係で担任は私ひとりしかおけず、わがまま放題の5人をひとつの方向へ向かわせるための手段に悩んだ。結果、うまくいかずにいた私をみてしびれをきらした施設長に、盛大に雷を落とされた。その後、フリーの職員にヘルプを出すことを覚えたり、自分の保育のスキルUPや、子ども同士の関係を作っていったことによって解消していったのだが、、、

(※普通、2歳児クラスの担任がひとりなんてほぼありません。少人数だったからです。)


そうか。これ、どう考えても向いてないよね。

って、ボロボロになって辞めてから気づいてどうするんだろう。

前に立って、たくさんの人数を動かすことが苦手なんだな。



②”ここで頑張らなくては”、と無理して仕事を続けている人が多い。

これ。これなのです。

私のように資格を持った専門職の場合、特に多いんじゃないかと思う。これ以外考えてなかったし、せっかく短大に通わせてもらって資格をとったという親に対しての気持ちも、あったりした。

実は、辞めようと思ったこと時期が2度あった。なぜ辞めようと思ったか。なぜそこで辞められなかったか。というと、、、

一度目は、先ほど書いた、2歳児クラスをひとりでもっていたとき。もうとにかくキャパオーバーで、次の仕事のあてとか考えもせず自分には無理だ、向いていないと思って、泣きながら施設長に「辞めたい」と訴えるまでしたことがある。そのときは、「逃げたい、楽になりたいだけじゃないか?」と見透かされた。

それと、そのときやめられなかった大きな理由が、ちょうどこのときに、母親がダウンしていたからだ。パートに出たことで被害妄想やら何やらを併発し、完全に人として機能せずおかしくなっていた。そのとき、妹は1年働いた会社をほぼ辞めさせられた形になり、就活無職状態が続いていた。父は単身赴任中。家族にとっても大きな局面。とてもじゃないけどここで、私が仕事を辞めるなんて言えない状況だった。私だけでも、元気に行って帰ってこなければ。そう思って、踏ん張って、踏ん張って、踏ん張った。


2度目の辞めたい期は、施設長の私に対する当たりが強いことに、限界を感じてきた頃。今思えば、パワハラなんて言っていいかもしれないのだが、周りの職員からしても、施設長が私に明らかに強く当たっているのは確かだったようだ。「また言ってるよ」くらいに思える強さが私にあればよいのだが、もろにぐさぐさ食らっていた。それでも、ほぼほぼ女社会、人間関係に独特の難ありなこの保育業界の中で、「またなんか言われたベー」と、涙と怒りが止まらない私の話を聞いてくれる同僚の方々ばかり(施設長以外全員女性)。いい職場だと思っていた。ここを辞めたら私なんかどこでも認めてもらえない、ここでだからやっていけているんだと思い込んでいたのだ。だから4年ほど耐えて、居続けた。

でも、限界がきて、年度末の面談で、今年こそはやめる意思を伝えよう、クラス的にも卒園児を担当していないし今がいいかもな、と、決めていたのは確か5年目の暮れ。他の保育園に移ろう、うまいこと言いくるめられないようにしよう、と、毎年恒例の、施設長との面談に臨んだ。

だが。


「持ち上がってもらうから。」

そのときの面談の、施設長の第一声。

「、、、、、、え 」


私は言葉が続かない。

当時の1歳児クラスの子を来年も任される。


「いや、聞いてください、私は辞めます」

と、


言えなかった、、、、、、、、、、

このときの自分をぶん殴りたい。

だってその後、

結局全然違うクラスに回されるし、複数担任のクラスを経験する中で、他の3人のバチバチな雰囲気の中での0歳児保育なんてしたくなくて、私が何とか雰囲気を和らげようと全員の間を取り持って、それが自分の役目だと思って背負っちゃって、結局体がおかしくなって、原因不明で治らず施設長に電話口で脅され、心も体もわけわからなくなって崩壊して、、、

お世話になった同僚の皆様にも子どもたちにもあいさつに行けずに辞めなければならない結末、待ってるんだよ、、、


あのとき、「ハンドルを切る」と強く言えていたら。

私がこのクラスの雰囲気を変えなきゃなんて勝手に背負わなければ。


鬱病になるリスクだけは、避けられたのに。

健康で、生きていれば、なんとでもなったのに。



なんて、今だからわかるんだよね。

西野さんが、梶原さんに

「ひな壇はやめた方がいいよ」と言っても、

「コンビでYouTubeやろう」と言っても、

そのときに本人がピンとこなかったみたいに。

自分が気づくタイミングがいつくるのか、わからない。


梶原さんの話は、いつもなんだか、自分と重なる。

そんな梶原さんが、38歳で、花開いた。

私は今、33歳。

就活すらできないけれど、何かやってみよう、今だから、鬱病の自分だから、できることだってある。

そう思えるようになったのは、今のキングコングの魅力を知ったから。


今回のキングコングの対談の動画のコメントに、勝手ながら自分の身の上話を書いたのだけれど、視聴者の方々から本当にあたたかいコメントといいねがよせられていました。感謝してもしきれません。

孤独感から少し解放されたのと、私なんかを応援して下さるひとがいるんだって、、、

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そんな素敵な動画を、もう一度貼っておきます。

私も、種を探さなくては。




たくさんのひとの未来が、明るくなりますように。


※8年間蓋をしてきた記憶、恐る恐る開けてみましたが、フラッシュバックは起きませんでした。きっと、自分が悪いのでなく、単に合わなかったからだと気づけたからだと思います。西野さん、梶原さん、キャリオクさん、本当にありがとうございます。

キャリオクについてはこちら。↓


未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。