「死」の重さを知った日。
今回は私の大切な人達の「死」を
経験して感じた事、不思議な体験談
私の思う死後の世界の話しをします。
長くなりそうなので
まずは祖母の「死」の事から
書いていこうと思います。
私は最近までは死んだら皆
「無」だと思ってました。
あの世や天国や生まれ変わりなどない。
霊感もないし、幽霊というものも見た事もない。
占いやそういうスピリチュアル系な事も
信じませんでしたし、初七日や四十九日等だって
仏教で都合良くお寺のひとが言ってる法要だとも
そう捻くれた考えでした。
けれど、人が死ぬ間際
人が死んだ後って不思議な事が起こるんですよね
私の大好きな祖母
ばあちゃんの死ぬ間際。
癌で8年前に亡くなりました。
物心ついた時からばあちゃんは私の家族とともに
一緒に住んでいて、かなりのばあちゃん子だったと思います。
母になにか言われたら、すぐばあちゃんに
慰めを求め、ばあちゃんの膝で泣いたのを
今でも覚えています。
反抗期である私の唯一の避難場所でした(笑)
余命もだいたい分かっていましたが
ばあちゃんはその余命された年から3年程
長く生き、病気と闘いました。
最後の方は自宅で病院の方に来てもらってました
自宅療養?って言うんですかね。
そしてその時はやってきました。
6月初旬
何故だか忘れてしまったのですが
従兄弟全員と私の家族全員その場にいたのです。
従兄弟なんて滅多にうちに来ません。
3つ離れた従兄弟だけが
うちにたまに遊びに来るくらいでした。
私は学校に遅刻で行く予定でした。
何故だかその日は学校に行きたくなかったのです
そんな全員に見守られながら
息を引き取りました。
今思うとタイミングがすごく不思議です。
きっと神様がみんなを呼んでくれたのかな?
なんて思っちゃいます。
高校生の私は初めて目の前で
人が死ぬという事を体験しました。
不思議な感覚と喪失感でした。
なんで今までいた人がいないのか。
何も考えられず、
ぽかーんとしていたのを覚えています。
病院の人は淡々と色んな作業をしてましたが
見ていたくなかったです。
そして後日登校した際には
先生が励ましてくれたのも覚えています。
その時は、まだ立ち直る事が出来ました。
何故なら、死ぬ事が既に分かっていたから。
心の準備を十分にしていたから。
学校なんて別に少し休んだくらい平気でしたし
元々行きたくない時は行かない学生でした。笑
そんな事より、その時は私は残された
母の心配をしていた気がします。
そして、ばあちゃんが亡くなってからは
「死」という言葉にとても敏感になりました。
人に対して「死ね」と言う人が大嫌いで
言った相手が本当に死んだらどうするんだろうと思っていました。
生きたくても、死んじゃう人がいるのに
よくそんな無責任な事言えるな…と
ばあちゃんの「死」を経験して
私は「死」の重さをこの時知る事が出来ました。
8年経った今も変わらず、何か助けて欲しい時は
ばあちゃんのお墓に行き、慰めてもらいます。笑
と言っても一方的に話しを聞いてもらってます。
返事が返ってこないのがとても寂しくなりますが
それでも心は少しだけなぜかスッキリします。
祖母の弟もまた、
姉の後を追うように半年後亡くなりました。
元気なはずだったのに、です。
確か、病気が突然悪化して亡くなりました。
ばあちゃん、叔父にとっての姉がいなくなって
きっと叔父も寂しくなってしまったのかなと
その時の私は思いました。
長くなってしまいそうなので
ここで一旦区切ります。
次の記事では私の友人と彼氏の「死」を
経験して思う事を書こうと思います。
ここまで読んで下さった方
ありがとうございます🥰
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