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⑦「どん底ホームレス社長が見た闇と光」

第2章 ホームレスよりもどん底

大きな落とし穴

ところが、そんな幸せな生活も長くは続きませんでした。私が23年間、働き詰めで築いた会社で、信用していた社員Aによる莫大な金額の持ち逃げ詐欺が発覚したのです。新事業を始めるにあたり、Aに全てを任せていたのですが、準備していた資金をすべて持ち逃げされてしまったのです。その額、約5億円。勿論、銀行から借り入れた資金や信用貸しで私が保証人になった資金も入っています。持ち逃げ詐欺にあったとわかった時は、もう体中から血の気が引いていくのを感じました。

この事件が発覚する前のことです。私が打ち合わせに行く新幹線の車中で入った一本の電話。声の主はクライアントの社長でした。「岸田さん、最近、Aさんの動きが変だ。私も個人的にお金を貸しているのだけど、毎晩、大阪の高級クラブで散財しているようだ」と。「まさか」と思い、翌日Aに電話をしてみましたがまったく繋がりません。急いでAの家に行くと、もぬけの殻でした・・・。

Aは私の知り合いからも多額の借金をしていたことが後日判明。Aの実家にも行きましたが、お父さんは脳梗塞で入院中、お母さんは認知症で話になりません。Aの奥さんの実家にも行きましたが、「ここには来ていない」とのこと。まさか自分が騙されるとは考えてもいませんでしたから、もう目の前が真っ暗でした。

それからというもの、私は金融機関への返済ができません。債権者からの督促状や内容証明が届き、簡易裁判所からの呼び出しがあり・・・。頭の中はパニック状態で、自分の身の上に何が起こっているのかさえ分からなくなりました。社員からは「私達はどうなるのですか?」と詰め寄られる毎日。そう言われること自体、私自身、経営者として失格だと自己不信に陥りました。

 また、私はAの保証人にもなっていましたから、裁判所から毎日のように連絡がきます。簡易裁判所で約15回の調停。弁護士にお願いするお金などありません。一人で裁判所に出向き、何度も何度も調停委員と話をしました。私の訴えを理解してくれた調停委員はついに債権者にこう言ってくれたのです。「岸田さんは加害者であるけれど被害者でもあります。債権者の方々は、どうか債権放棄という形をとってもらえませんか」。この言葉は本当に嬉しく、救われました。

私はAをなんとか捕まえようと警察に何度も相談に行きましたが、最後に言われた言葉はこうでした。「捕まえることはできても相手が自己破産するだろうからお金は返ってこないと思ってください」。これにはもう言葉も出ませんでした。もういくら頑張ってもお金は返ってこないのだ、裁判所に行っても何をしても無駄なのだ、という絶望感に浸ってしまいました。

しかし、よくよく考えてみれば、私が甘かったということです。人の言うことを信じてしまい、仕事を任せた自分に人を見る目が無かったことに気付かされたのです。人を信じやすい性格が悪い方に出てしまったのです。

家族との離散

持ち逃げ詐欺が発覚した数日後、私は仕事を終えて帰宅しました。すると玄関には次女が鬼の形相で待っていたのです。「お母さんを悲しませてどう思っているの! 3年間で本当のお父さんになれたと思わないで!」。娘の氷のような冷たい言葉・・・。結婚してちょうど3年が経っていましたが、実の娘として接してきたつもりでしたが、次女からこんな言葉を浴びせられるなんて、もう辛くて悲しくて涙が止まりません。子どもからしてみれば、今まで父親として見ていなかったのでしょう。

 自分の家なのに入れてもらえなくて、その夜は仕方なく西宮市内のビジネスホテルに宿泊。翌日、奈良県の実家に行きました。父と母は、何があったのか分かりません。詳しい話をすると「しばらく、ここで休みなさい」って言ってくれたのです。実家から職場に通勤していましたが、ある日、妻から「会って話がしたい」と電話がありました。

 私は待ち合わせのカフェに出向くと、久し振りに見る妻の顔は疲れていました。申し訳ないことをしたというのがその時の私の気持ちです。これからどうするかを話そうと思っていたのですが、席に着いていきなり突き付けられたのが離婚届。最初私は離婚届に捺印することを拒否していたのですが、妻から「私のところにまで債権者が来ると嫌だし、離婚はするけれども、あなたが立ち直ったらまた一緒に暮らしたい」と言われたのです。今は妻や娘たちに迷惑を掛けたくなかったので、その言葉を信じてしぶしぶ離婚届に捺印しました。私が原因で妻にもつらい思いをさせてしまいました。

その夜は、私は、とぼとぼと奈良の実家へ向かいました。時間を見ようとしたら腕時計が止まっています。私の誕生日に妻と娘がプレゼントしてくれた大切な腕時計からも“全てが終わった”という通告を受けたような気がしました。しかし、私は「立ち直ったらまた一緒に住もう」という妻の言葉を信じ、腕時計が止まるという不吉な予感を必死でかき消していました。

 その数日後、着替えなどを送ってもらいたくて妻に電話をしました。しかし、聞こえてくるのは「この電話番号は現在、使われておりません」というアナウンス。自宅の電話も娘たちの携帯もファックスも同じメッセージが流れてきます。全ての電話番号が変えられていたのです。

 急いで苦楽園の自宅に行くと、家の鍵が取り換えられていて、中に入ることができません。そこで初めて気付いたのです。妻がカフェで言っていた話は、離婚届に捺印させるための口実だったことを。“金の切れ目が縁の切れ目”だったのです。今まで家族のために頑張ってきたことはなんだったのか・・・。気持ちの整理が付かず、苦しさと怒りの感情が湧き起こってきました。しかし、どうしようもないのが現実です。私は、落ちぶれた気持ちで実家に帰ったのでした。

 その2日後、私のもとに妻から荷物が届きました。私の服や私物でした。それで全てを終わりにして妻はけじめをつけたかったのでしょうが、私の中では悔やんでも悔やみ切れません。債権者から身を守るための離婚ではなく、金のない私を捨てる離婚であり、一緒にやり直そうという私の思いを裏切る離婚としか考えられませんでした。妻との最後の話し合いもない中で一人もがき苦しむ日がその後、続くのです。家族はどこに住んでいるのかも分からず、連絡方法も断たれてしまいました。私が築き上げた幸せな生活もたった一枚の紙で終わってしまったのでした。

自分では家族のために頑張っていたつもりでしたが、冷静に考えてみると、妻や子どもからすれば、仕事に追われている私に、不満や言いたいことが沢山あったに違いありません。例えば、こんな時、こうしてくれれば良かったのに、もっと話を聞いて欲しかった、子どもにこのように接して欲しかった・・・。私は、後悔の念がよぎりました。どれほど多くの人につらい思いをさせてしまったのかと。

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