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⑧「どん底ホームレス社長が見た闇と光」

第3章 ホームレス生活からの脱出

図書館で猛勉強
 
ホームレス生活で夜のベンチで一人夜空を眺めている時、このまま命を絶とうかと思ったことが何度かありました。実際、公園の木の枝にひもを掛けて首を吊ろうとしたこともあります。しかし、私は何も悪いことをしていないのに何で死なないといけないのかという疑問が湧いてきたのです。
(このまま命を絶ったら私の人生にはマイナスの足跡しか残らないじゃないか。この世に生を受けた限り、プラスの足跡を残したい!)
そう考えるようになったのです。

自分の生活を維持するだけでも精一杯だった私に「もっと社会に役立つことをしよう」という思いと力が湧いてきました。といっても何をすればいいか分かりません。自分には何ができるのだろうか、という自問自答を続けていましたが、ついに「私が23年間、続けてきた社長業の経験を活かして、私のように困っている経営者を助けよう」という考えに至ったのです。

とりあえず、皿洗いのバイトの空いている時間に近くの大阪市立阿倍野図書館に通うことにしました。そこで、経営・金融・法律等の本を読み漁りました。しかし、知識はできたものの、これからどう行動すればいいのか分かりません。そんな時、私の友人が中小企業支援コンサルタントの社長を紹介してくれたのです。それが私の人生で大きな分岐点になったのです。

コンサルタントという仕事は、私にとっては未知の世界です。本当にやっていけるのだろうかという不安もありました。その社長からノウハウを教えてもらい、クライアントの会社にも同席させていただけるようになりました。勿論、スーツなどは持っていませんでしたので、気まずい思いをしたこともありました。徐々に任せてもらえる仕事もできました。あくまでも鞄持ちのような立場ですから報酬はありません。すでに約半年が過ぎようかという頃に、社長から「岸田君、もうそろそろ一人で独立してやっていけるんじゃないか?」と言われたのです。私としては、まだまだ自信がありません。しかし、そう言ってもらった以上、もう甘える訳にもいきません。ホームレスにまでなったのだから、もう恐れるものは何もない!!と腹をくくりました。皿洗いのバイトも辞め、ホームレスコンサルタントの誕生です。


茶封筒の1万円札

さぁ、これから仕事を頑張るぞ!!と思っても心のどこかにあることが引っ掛かっていました。それは、私の会社のメインバンクだったM銀行の一人の行員Bさんのことです。創業のころから親身になって相談に乗ってくれ、会社のためにひと肌もふた肌も脱いでくれた方でした。ところが私が持ち逃げ詐欺に遭った時に多額の債務を抱え、解決されていなかったのです。Bさんに不義理なことをしてしまったと、後悔に苛まれ続けていたのです。

すると、まるで私の気持ちを読んでいるように、Bさんから電話がかかってきました。「一度、お会いしませんか? 銀行では話しづらいので、どこかの喫茶店ででも」と。私は嫌味や文句を言われることを覚悟で、天王寺公園近くの喫茶店で会うことにしました。

待ち合わせ場所の喫茶店に行くと、Bさんは笑顔で話し掛けてくれたのです。コーヒーを飲みながら雑談話をしていると、突然、Bさんはいいました。「岸田さんが生きていてくれて私は嬉しいです。銀行から借り入れているお金は返済する必要はありませんよ」。「いったいどういうことですか?」と私。するとBさんは「返済するお金があったら、これからの岸田さんの人生のために使ってください。時効までの10年間、銀行や債権回収会社からしつこく督促や電話があると思いますが、我慢して乗り越えてください」。私はポカーンとした感じで聞いていました。でも一つ肩の荷が下りた感じでした。

私の現状やこれからの仕事のことなどを話し終えた後に、Bさんから一枚の茶封筒を手渡されました。「これは何ですか?」と私。封筒の中身を見ると1万円札が入っていたのです。「岸田さんには大変、お世話になりました。うちの銀行のために無理難題も聞いていただいて感謝しています。今、岸田さんは、お金が無いでしょ。少ないですが何かの足しにしてください。これからの岸田さんの活躍を楽しみにしています」。私はBさんの温かい言葉と気遣いに涙が止まりませんでした。その1万円札は今でも机の引き出しに御守りとして大事にしています。

喫茶店を出て、そこでお別れをしましたが、私は駅に向かうBさんの背中を見ながら、こう誓ったのです。
「Bさん、見ていてください。必ず這い上がって人に恥じない活躍をしてみせます」。

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