なぜ?相手を説得できないのか? byニーチェ
どんな仕事をしていても、TEXTを書くことは皆がやっている。
LINE一つ、メール一つでも。
そして仕事で文章をかいて相手を説得できないと、
永遠に自分の出番はない。
いえいえ、PRIVATEな友人関係もこれ一つで誤解されて
望まない方向へ進んでしまうのが現代人です。
本屋にいけば、それ関連の本が平積みになっている。
▶ライティング・マーケティング・思考法。
Q:なんで それを読んでも、上手く書けないのだろう?!
Q:永遠にそのコーナーサブスク契約でお金を払い続けるしかないのか?
この永遠のテーマに対しての、私が好きなニーチェの言葉を紹介します。
結論は、今風の言葉でいうと
「頭の中のOSが古いからバージョンUPしろ・・
でそれだけいいのか?おい!」という
シニカルな表現でニーチェは、私達に語りかける。
「厳しいぃぃい(T_T)」
ここでニーチェに対するあなたの偏見を助長さえるエビソードを一つ。
おきますね。
理由ですか? ”あなたの否定のバイアス”を加速させたいからです。
子どもを産めなくなった女性を「出来そこないの女」と称するなど、
現代では考えられないような表現が多々あったニーチェ。
私の専門である生殖医療の世界では、相手の人間性を
全否定する呪いの言葉です。
聞いた人の心に一生残ってしまうことです。
こんな言葉を履いたニーチェですが、
45歳で発狂する前の本のPhraseを紹介しますね。
現代でも人気があるニーチェです。
▓ 目の前にある日常的な文章を書く機会で、損をしていないか?
相手が仕事相手でも、友達でも、別れた奥さんでも
昔にくらべて、文章の”トルク”が大きくなったような気がする。
私は、昔から車やオートバイが好きだから
この「トルク」という言葉を良く使います。
携帯もAUの「トルク」だったし、スマホもAUの「トルク」だ。
☆トルクは馬力とは違う。☆
ともにエンジン(E/G)の性能をしめすDataの一つなのですが、
トルクは、自動車の加速などの力強さを評価するのは重要だ。
たとえば、120kmで高速道路を走っていたとしよう。
前の車を抜きたいなぁと思ったら、
レーンチェンジをしてアクセルを踏むだろう。
そこのスピードからいくつ加速が乗ってくるかがトルクだ。
”ドッカーン”という加速がトルク。
私は5300ccの12気筒のイギリスの車を
長く所有していたことがあるのですが、強烈な加速だった。
笑ってしまうのが、”3速のオートマ”でした。
「3速で十分!トルクがあるから・・」とイギリス人のプライドでした。
その代価は、燃費で1Lで3キロでした。ガソリン満タン100L。
無給油で300Km走れるからいいじゃないかいうイギリス理論。
だから
冬の雪道を走った時にちょっとアクセルを踏んだだけで
FR(前にエンジン、後ろのタイヤが駆動する)だから
簡単に・・キュートなおしりを振ってしまう。
つまり、トルクがあるエンジンは、
アクセルワークが微妙で、シビアさを要求される。
事前共有は、この辺にして今の時代の「言葉」の怖さの話をしましょうか。
対面で、相手を目に話す「話言葉」よりも、
今の時代はメールやLINEなの「書き言葉」が
これほど重要になってきた時代はないと思います。
相手の背景や、感情の動きがみえない中でも、どう伝わるか?相手次第。
上手に・・トルクの乗った言葉を書かないといけないからだ。
”相手のことを想像する力”が重要になると思う。
知覚力がないと、そのあとはどんなロジックを通しても相手のエモーションに対抗すらできない。人は感情で最初と最後は動くからです。。
「このくらいは、だいじょうぶだろう?相手もわかっていると思うから」と思って
言葉の「トルク」を踏むと・・完全にオーバーテイクする。
相手をそこにおいて、はるか先にビューンと行ってしまい、
思っていたようなコミュニケーションが実現できない寂しい世界にアクセル一つですっと飛んでしまう。
友人だったら、わかってくれるとか許されない。
仲がいい間柄ほど「地雷」はある。
怖いのは仕事相手や、顧客だったら? 次はない!
つまり何をいいたいのか?というと
トルクFULLな言葉を、TEXTベースでやりとりをしなければいけない私達は、
自分の車のトルク特性を理解しておかないといけない。
コミュニケーションが難しくなってきているからだ。
そして、コミュニケーションを潤滑にするには、アクセルワークで「トルク」の乗せ方をシビアに考えないといけない時代。
▓ ニーチェとは?どんな環境下にいた?
Friedrich Wilhelm Nietzsche
(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
生年月日 1844年10月15日
没年月日 1900年8月25日
出生地 プロイセン王国※領プロヴィンツ・ザクセン州、
ライプツィヒ近くの小さな村レッツェン。
両親 父親は牧師、母親は牧師の娘。
父親は1849年に36歳で他界、母親は1897年に71歳で他界。
現代では人気があるニーチェですが、
全く幸せな晩年・・・とは行かず、
最期は発狂の10年後(1900年 55歳)に肺炎で亡くなったのです。
精神科に死ぬ前年に入院したニーチェ
死ぬ10年前(45歳)で発狂したニーチェでした。
発狂の際、病気の原因は梅毒で、
脳梅毒による精神障害、歩行困難、全身麻痺が起きていた
参照元)この人を見よ(ニーチェ年表より)
ニーチェ (著),丘沢 静也(翻訳),出版社:光文社
▓ ニーチェの言う「文章論」の引用前の基礎知識。
私は、ニーチェは好きなんです。
ニーチェの環境下では、都市化や産業化が進行していたため、
彼はこれらの変化についても議論しました。
彼の視点から見ると、個人の自由や意志が重要であり、
社会的な制約からの解放が求められていました。
仮面を剥がした本当のニーチェが。
私がカトリック者だから、
その真逆にいるニーチェを読むと自分の立ち位置が明確になるから?
ニーチェというと、「神は死んだ」とかPhraseや、
「ニヒルズム」の人ね・・とか
ひさんな生き方を強いられた天才ね?とかいう人もいると思います。
Q: 仮に、あなたが人生の黄金期でPENをとっているニーチェにLINEで
話したろしたら?と想像してみると面白いかもしれない。
あなたはニーチェの友達だとする。
ニーチェに投げる言葉を選びに選んでは、
結局は一文もLINEをいれられないかもしれない。
言葉のトルクが、どこにぶっ飛び、相手を落ち込ませたり、
激怒させるか怖いからだ。
【ニヒルズムの本当の解釈とは?】
ニーチェのいう「ニヒルズム」は
神は死んでおり(ちっぽけな私達が殺しており)
絶対的に信頼できるものは失われたとニーチェは説きました。
原文を日本語訳にすると、翻訳する人の意図と、
読む人の意図が見事にずれます。
ニーチェの「ニヒルズム」を日本語に訳したら、
『虚無主義』とかかれてしまいます。
これだと、もうなんのことだからわからない。
これも私のトルク感の幼稚さが出てしまいますが、
私はこう考えています。
ニヒルは、「無」 でも、それは”真空”ではないイメージです。
何かを生み出す前の「無」は、何かが終わった後の「無」とは違う。
ニヒリズムは、
「これが大事だ」という価値を見失った状態だと私は思っております。
☆☆一言でいうと・・・☆☆
『本当に大切な何かを全く信じられなくなった状態』かな?
▓ ニーチェの言う「文章論」の引用
「なぜ?相手を説得できないのか?」
本屋にいけば、ライティングのゴロゴロありますね。
このnoteというメディアでも、
自分の思いを発信するとか色々な方の試行錯誤を感じられます。
私はそれで、note上で商売する人はあまり好きではないです。
正直に言ってしまってすみません。(._.)
いくらテクニックを学んでも、
そこに思いという「トルク」は乗らないからです。
相手も響かない。
お客さんの行動を変えようとか厚かしく思えてきます。
つまり、人に教わるものではなくて、自分の脳のOSを上げるしか
解決策はないというニーチェの意見に賛成なんです。
そういうことを考えていた私に、
ニーチェは、「漂泊者とその影」という本で
語りかけてくださいました。
彼は言う:「テクニック以前の問題」
by ニーチェ
▓ 追伸P.S
「理解力が足らないのだからいつまでもわからず」の下りが
ニーチェらしいです。
目先の技術とうWHO TOという考え方は、1番てっとりばやくて
明日から使えるというような「実務書コーナー」の前に立つ人。
でも、これが1番売れるのだと思います。
でも本当に自分の脳のOSのバージョンUPしようとしたら
それなりの時間がかかる。↓
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