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オランダの風車村

アムステルダムからバスで40分ほど揺られるとZaanse-Schansという町に着く。

ザアアンセ-スカンスと発音したいところだが、普通にザーンセ-スカンスで良い。アムステルダムの近郊で風車群が見られる有名な場所だ。
この小さな村へ行ったのは、これまでに綴ったアムステルダム旅から遡る。2015年の晩秋のことだ。

オランダにおける風車の役割は、生活の動力であった。小麦の粉を挽いたり、水を汲んだり、油を絞ったり、日々を過ごすための動力として使われていた。オランダの国土のうち7割が低地、つまり海より低い土地でありその水位を利用した風車が普及したと言われている。(フランス語でオランダはPay-bas すなわち低い国‥そのままである。)

とはいえ、ほかの動力の普及により風車は徐々に姿を消してゆき、ほとんどの町で簡単に見ることが叶わなくなった。 国内に1000基ほどは残っているらしいのだが、散在しているのかどこへ行ったら見られるのやらという感じだった。
わたしは大変なのんきだったため「オランダなんだから行けば見られる」と思っていたのだが、少なくとも電車に乗っていたら「あ!あそこに風車が!」という頻度で野生の(?)風車がで見られるわけではなかった。

結局は国に保存を指定された観光地に行くのが確実らしく、最近では19基もの風車群が見られるというキンデルダイクという村が有名で、世界遺産にも登録されているようだ。アムステルダムから電車で小一時間ほどのロッテルダムが最寄らしい。

一方わたしが訪れたザーンセスカンスは、キンデルダイクより規模は小さいものの、アムステルダムからほど近く、気軽に行けるのがとても良い。

風車群は、当時工業地域だった現地で実際に使われていたものと、オランダ各地から集められた風車たちを建て直したという場所らしい。
風車群こそ再編されたものだが、当時の家並みがそのまま残った小さな田舎の町は、雑多な首都の近郊だということを忘れさせる風情があった。


さてバスでザーンセスカンスの村に降り立つと、すぐに風車の場所はわかった。

干拓地に間隔をあけて広がる風車は思っていたよりも大きく、そして清々しい光景だった。
のどかで牧歌的な、というよりかは雄大な。


風車はゆっくりと動いているのに、時が止まっているかのような静けさのある空間だった。
目の前に広がる干拓地の余白のせいだろうか。

付近を散策すると、ザーンダムでも見た緑色の三角屋根の家が軒を連ねている。どこの店も家もひっそりとして人の気配が感じられないが、窓からはうさぎのミッフィーことナインチェがこちらを覗いていたりと、道ゆく人を和ませてくれる様子がうかがえる。


わたしが到着した時間は晩秋の18時ごろと遅い時間だったため、風車内部の見学や博物館、おみやげやさんなどを訪れることはなかった。

結果的に「ただ風車を見にきただけ」という状況になったのだが、それが逆に良かった。

ひとけのない時間帯だったので、観光地として訪れたというよりは、『オランダの田舎にふらりと立ち寄ったところ、風車群を見ることができた。』そんな感覚である。
ベルギーのフランドル地方を舞台にした「フランダースの犬」に出てくるネロとおじいさんの住む村みたいに、風車と生活が密着している場所のように見えたのだ。
望んでいた野生の風車を見つけたような気分になれた。



帰りのバスの時間も近づいていたため、さっと村をあとにした。
往路のバスから見えた羊たちはもう小屋に戻ったようで、ピンク色に染まった草だけがざわざわとゆれていた。

18世紀の田舎町にタイムスリップしたかのような時間を穏やかに振り返りながら、バスに揺られる。

夕暮れの柔らかい空の色がいつまでもわたしの心の中をあたたかく染めていた。




ちなみにこのザーンセスカンスは先のnoteに記録したザーンダムにほど近い場所にある。アムステルダムから遠くもないし、どうやらセットで行くことができそう。ヘンテコな家のホテルに泊まり、風車群を見に行く旅は、きっとおもしろいに違いない。みんなでザアアンセスカンス・ザアアンダムと言って楽しんでほしい。


ここでひとつお詫びを。
3つ前のユトレヒトの記事で、2018年のオランダ旅では「風車を見にいったりアンネの隠れ家に行くよ」と書いていたのですが、この記事にて前述の通り、風車を見にいったのは2015年、アンネフランクの家もおそらく2015年のこと。記憶違いしていてごめんなさい。

アンネフランクの家に関しては、撮影禁止だったので一切の写真が残っておらず、記憶もあいまい。
アパートの一室に上がり小さな部屋の本棚を押すと、それがくるりと回転し、奥の屋根裏空間に入ることができる。当時のまま残っているなんてびっくり‥!ということくらいしか覚えてなくて、じぶんにもびっくり。

アウシュビッツに送られたユダヤ人の少女アンネ・フランクの家族で、唯一生き延びることができたのが、アンネの父親オットー。この隠れ家は彼が1960年に公開した場所。貴重な遺産なので、アムステルダムを訪れた際にはぜひリストに入れてほしいなと思う。



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