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ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌55・2003年3月(忙中日誌最終回)

「忙中日誌」は、イラク戦争開戦とともに最終回を迎えました。この時期に終えた舞台裏を明かすと、私が2003年春の人事で、社会部デスクから横浜支局長に転出したからです。「新聞研究」編集部からは、ありがたくも連載の継続を打診されましたが、デスクでない人間がデスク日誌を書く続けることは、やはり背信になると考えました。2020年10月から始めた記者20年日誌の「忙中日誌」編も、今回で終わりとします。想像以上にたくさんの方々に読んでいただきました。ご愛読ありがとうございました。ただ、記者20年日誌は、形を変えて今後も継続したいと思います。過去の事例だけでなく現在の動きも含めた新たな日誌として書き綴っていきます。これまでは毎週末に投稿していましたが、随時の投稿にします。これからもご愛読よろしくお願いします。

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 3月1日(土) 土曜日の夕刊デスクといえば、取り置きの原稿を2、3本出して、はいおしまい、という楽なローテ番が多いのだが、この日は、管制コンピューターのトラブルで、全国の航空機が離陸できなくなった。さて、何かあると、土曜夕刊の取材は大変。週休二日制が定着したことで、役所がまったく対応しない。この日も国交省が会見を設定したのは午後1時。日曜なら夕刊がないので何とかしのげるのだが…。なんとかかんとか夕刊紙面を仕上げる。楽な番が多い土曜日だけに、何か損をした気になる。それにしても、交通トラブルが多い。
3月2日(日) 居眠りをした新幹線の運転士は、睡眠時無呼吸症候群だった。ニュースが流れると、編集局のあちこちで「オレもそうだ」の声が上がる。かく言う当方も「寝ている時、息が止まっている」と家族からよく指摘される。病気と認識されないことが、この病気の深刻なところなのだとか。運転士は前夜、10時間も寝ていたのになぜ居眠りするのか不思議だったが、これで合点がいく。症状が進むと、寝れば寝るほど疲れるのだそうだ。
 3月4日(火) 事件の後に入社した記者が判決の原稿を書くことになってしまった。一審判決までなんと13年。長い長いリクルート事件の公判で、裁判所は江副浩正被告に執行猶予付きの有罪判決を言い渡した。被告、検察の双方は控訴し、さらに裁判は続く。「値上がり確実な株」があった時代はもう遠くに行ってしまった。先行する朝日の報道を懸命に追った日々を思い出しながらのデスクワークとなった。そして、年度末の判決シーズンはまだまだ続く。
3月5日(火) 内偵事件の「打ち時」というのは本当に難しい。午前3時すぎ、いつものように新聞各紙が紙面を交換する。坂井隆憲衆院議員の秘書をめぐる現金授受疑惑を、毎日と日経が報じている。知っていたのに抜かれることを、業界では「黒字倒産」と呼ぶが、これはその典型。他の新聞は捜査を妨害しないよう気を使っていたようだが、結果的に先を越されてしまった。

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 3月6日(水) 朝刊は各紙とも一面トップで「坂井議員 逮捕許諾請求へ」と報じている。捜査は予想を超えたピッチで進んでいる。去年の今ごろは、鈴木宗男議員の疑惑取材で大変だった。政治とカネのスキャンダルはどこまでも終わらない。
 ロス疑惑・一美さん銃撃事件で、三浦和義被告の無罪が確定することになった。実行犯が特定できなかったのだから、法的には当然のことだが、被害者はたまらないだろう。若いころは、この取材に駆り出された。やはり、無罪には複雑な思いがある。この事件もリクルートと同じで、子供のころに事件をテレビで見ていた記者たちが取材をしている。過熱取材、プライバシー侵害など、メディアのあり方をめぐって多くの課題を浮き上がらせた事件は、疑惑を残したまま幕を引いた。
 午後は、イラク問題の全社会議が開かれた。攻撃は不可避というのが、国際部デスクが説明だ。現地にいる記者たちの安全確保についても話し合う。来週はいよいよなのかも知れない。
3月7日(金) 電車に揺られながら、1日の時間割を考える。新聞各紙を朝夕刊しっかり読むには、どんなに急いでも3時間はかかる。週刊誌は最低でも6誌、月刊誌は4誌は必読。となると、1日1時間は雑誌を読まなければ。読書にも1時間は必要だ。合わせて5時間。しかし、現実には「読む」ために取れる時間は、通勤電車の中を含めて2時間が限度だ。差し引き3時間の空白が、まるで知識の不良債権のように日々増えていく。どうにかしたいが、どうにもならない。
 朝刊のデスク番につく。カロリーたっぷりのメニューがすでに用意されていて胸焼けしそうだ。午前0時半からは、またもや国連の査察報告。どんな結果にしろ全面展開しなければならない。そして、石原慎太郎都知事の再出馬表明。坂井隆憲衆院議員が逮捕されたが、ニュース満載のきょうは、どこか鮮度が落ちて見えてしまう。原稿が払底し、新聞ができないのではないかとおびえた正月が懐かしい。さて、どこにどうニュースを押し込むか。うーん、悩ましい。

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 3月8日(土) 米英と仏露中独。国連を舞台にした大国同士の駆け引きは本当に息をのむほどスリリングだ。日本でも、世論は反戦に傾き、新聞の論調は二つに分かれつつある。世界が混迷、分裂するかのような時代、新聞はどうあうべきか。より高い知性と強い意志が求められるのに、まるで力不足の自分が恨めしい。土曜日だというのに、またイラク攻撃の編集会議。新たに英の決議案が出たことで、17日にも武力行使が行われるのか。週末から週明けにかけては、日本の各紙の記者がペルシャ湾などの展開中の米の艦艇に相次いで乗り込む。まさに従軍記者だ。米軍がこれまでの姿勢を一転させ、メディアを積極的に受け入れるのは、やはり孤立に対す危機感があるのだろう。空母に乗るとあまりの爆音に精神状態がおかしくなることもあるという。同僚たちの健康を祈りたい。
 3月10日(月) 朝日新聞襲撃事件がついに時効を迎える。朝日だけでなく、毎日や産経なども時効にあたっての連載を組み、エールを送った。しかし、腹立たしい。言論へのテロをなぜ解決できなかったのか。言論の自由はなんとしてでも守らなければならない。朝日の前大阪編集局長が毎日の特集紙面で語っていたが、私たちの犯人への答えは「書き続けること」しかない。
 昨年さかんに言われた「三月危機」。今年はあまり耳にしないなと思っていたら、突然、株価が地滑りするように下がり始めた。日本経済の生命線と言われた8000円台をあっさりと割り込む。株価は20年前に逆戻りしてしまった。編集局は、戦争モードに加えて恐慌モードが輻輳し、一層あわただしくなる。もう打つ手のない経済政策だが、さらに折悪しく、日銀総裁の異動時期とも重なって司令塔が不在。どうしようもない。さて、どういう紙面展開をしようかと考えるが、いつものメニュー、いつもの書き出ししか頭に浮かばない。打つ手がないのは、紙面も同じだ。

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 3月11日(火) 世間は広い。いろんな考えの人がいる。そんな思いを新たにするニュースが飛び込んできた。横浜・帷子川を泳ぐアザラシ「タマちゃん」を、男性約20人が捕まえようとしているのを近所の人が見つけた。結局は失敗したが、このグループは「タマちゃんのことを想う会」と名乗り、「タマちゃんを故郷に帰そうと思った。捕獲して空輸し、北海道の稚内からオホーツク海に帰すつもりだった」のだとか。この行動に、タマちゃんの様子を観察している市民団体「タマちゃんを見守る会」のメンバーが怒り、詰め寄る騒ぎも起きた。うーん、どう考えればいいのか。タマちゃんにしてみれば、頼んでもいないのに住民票をくれたと思えば、今度は無理に連れだそうとする。本当に迷惑千万だろう。環境大臣は「タマちゃんがそこにいることが一つの自然現象であり、そのまま見守ていた方がいいのではないか」と語ったが、さて。
 裁判に国民が参加する裁判員制度の骨格案が公表された。驚くのは、メディア規制が当たり前のように組み込まれていることだ。裁判員への取材禁止をはじめ、報道全般を規制の視野に入れている。個人情報保護法案よりも、はるかに強力な規制だ。ああ、メディア苦難の時代が続く。
 3月18日(火) ブッシュ大統領の最後通告演説は、午前10時から始まる。早版の締切りまで、まだかなりの時間があるが、気を抜いてはいけない。妙に時間があったがためにリズムが崩れてしまい、締切り直前にドタバタで作った紙面の方がずっと出来がよかったという経験は何度もしている。ワシントン支局が原稿を書くのだが、東京の編集局も戦場のようにあわただしい。「猶予は48時間」。ということは、20日午前10時以降の開戦となる。
 中山恭子内閣官房参与が突然、記者発表するというのでいったい何だろうと思っていたら、拉致被害者の曽我ひとみさんが12日に上京し、14日に肺がんの手術を受けたという。はあ? 曽我さんの日程について、地元の真野町は「終日、自宅にて過ごしています」と発表していたではないか。ウソツキ! 集団的過熱取材(メディアスクラム)を避けるために実行してきた「節度ある取材」に対する裏切り行為だ。恐れていたことが現実になった。メディア規制という地雷は、いろんなところに埋められている。

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 3月19日(水) イラク攻撃をめぐる各紙の論調は大きく割れている。毎日は政治部長の署名記事を一面に載せ「首相は米になお不戦を迫れ」と書いている。毎日は、2月7日の朝刊一面でも、外信部長の署名記事で「戦争への道を急ぐな」と主張していた。その立場は鮮明だ。朝日も名コラムニストの署名記事を一面に掲げている。さすがにうまいが、内容は「悲しい…」といった詠嘆調で、毎日に比べると、やや腰が引けている。東京も戦争反対論を全面展開している。特に、社会面の記事は、各社の中でも反戦色が最も強い。日経のこの日の社説は、主張というよりは解説記事に近い内容だ。戸惑いが見える。産経は、米国を語らせれば右に出るものはいないとさえ言われる有名な記者が署名記事を書いている。ただ、いつもの歯切れ良さはなく、心中は複雑なのかも知れない。毎日と対極にあるのが、読売だ。米国支持、米国支持の小泉首相の全面支持を明確にしている。経済政策をめぐってボロクソに近い批判をしていた小泉首相に対して、ほめ殺しに近い称賛を惜しまない。米大使館前で反戦運動を続ける市民からは「読売不買運動」の呼びかけさえ出ているというが、その社論は揺るがない。
 3月20日(木) いよいよ「時間切れ」の日がやって来た。午前8時すぎには、記者がそれぞれの配置についた。当番以外の編集幹部も早朝から出社している。まるで総選挙の公示日のようだ。時計は運命の午前10時を回ったが、攻撃が始まる気配はない。仕方なく、というのも変だが「開戦なし」のシナリオで早版をつくる。ところが、「午前中はないようですな」という外務省幹部の独り言が聞こえてきて間もなくの午前11時半すぎ、バクダッドに空襲警報が鳴った。薄暮の空に砲火の列が並び、爆発音が起こった。ああ、もう早版は出来上がっているのに…。それに、号外紙面もつくらないといけない。号外は事前に用意していたものを印刷に回し、早版の方は、急きょ原稿を一部差し替えて、「開戦」の紙面につくり変える。でも、とてもじゃないが全部の記事を直し切れない。かなり不完全な紙面のまま見切り発車をしてしまった。読者に申し訳なし。続いて、ブッシュ米大統領の演説、午後一時すぎから始まった小泉首相の演説など次々と出てくるメニューを何とかかんとか紙面に押し込み、怒涛の夕刊帯が終わった。
 朝刊は朝刊であふれる情報をさばき、わかりやすい紙面をつくらなければならない。押し寄せてくる原稿の量に、押しつぶされそうになりながらも踏ん張る。気付いたら、日付はもう変わっていた。
3月21日(金) 春分の日で夕刊はなし。こういう修羅場の時は、新聞づくりを一回パスできることが何よりうれしい。いつも夕刊がない産経がうらやましい。開戦直後、テレビ演説したフセイン大統領はやけに精彩がないなあと思っていたら、影武者説が真面目に論じられている。開戦時の第一波の攻撃は、大統領の暗殺を狙ったもので、着弾地点には、大統領と息子二人がいたはずだと米高官が明らかにした。本物の大統領はケガをしたのか、死んだのか。ところで、米軍の司令部があるカタールで、なかなか中東司令官の会見が開かれない。報道管制が強すぎてブラックアウトと言われた湾岸戦争だったが、シュワルツコフ司令官が名調子で会見に臨んでいた。従軍記者の数は多くても、結局は何もわからない。戦争報道の難しさよ。

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 3月22日(土) 午後11時すぎになって、やっとフランクス中東司令官の会見が行われる。司令官の姿を見るのは初めてだが、長年の経験で「生粋のメディア嫌い」だとわかる。支局時代、取材に応じないのでよくけんかした県警の刑事部長とそっくりだ。恐らく、会見が行われない理由の5割近くがトップの性格によるものなのだろう。現場の報道官は「1日2回は会見します」と約束していたのだから。こういうメディア嫌いの人種は世界の津々浦々までいるものだと改めて感じ入った。
 3月24日(火) 米アカデミー賞の選考結果がわかるのは午前11時前だ。注目は、長編アニメーション部門。宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」は栄冠に輝くのか。短編アニメ部門も、山村浩二監督の「頭山」が有望だ。アカデミー賞次第で紙面のレイアウトは大きく変わる。早版の締め切り時間が迫る中、やきもきしながら結果を待つ。はたして「千と千尋」は見事受賞し、「頭山」は惜しくも落選した。「久しぶりの明るいニュース、派手めに扱えと」と編集幹部が声をかけてくるが、イラク戦争の原稿が洪水のように流れており、なかなか思うように紙面取りができない。ない知恵を懸命にしぼっての編集作業となる。それにしても、善悪二元論が声高に叫ばれる米国でこの作品の良さが理解されたのだとしたら、それはうれしいことだ。米国の懐の深さを信じたい。長編ドキュメンタリー部門の受賞監督、マイケル・ムーア監督のスピーチも「自由のアメリカ」を感じられてよかった。
「ブッシュ大統領よ、恥を知れ」の言葉に会場から大きな拍手がわいたことに安堵する。
 戦争報道の難しさを痛感する毎日だ。フセイン大統領は元気なのか。側近死亡説は本当か。バスラは結局制圧できなかったのか。何が真実なのかさっぱりわからない。読者もさぞかし混乱していることだろう。「わからないこと」をどうわかりやすく伝えるのか。神ならぬわが身をうらむ。
 3月27日(木) 統一地方選がいよいよ始まる。イラク戦争の陰に隠れてあまり目立たなかった選挙取材班が忙しそうに作業に追われている。だが、編集局の関心は何と言っても戦争だ。可哀想に。東京都知事選は、樋口恵子さんが立候補して随分面白くなった。自分を平和ぼけばあさん、と石原慎太郎知事を戦争じいさんと位置付けた戦術はなかなかうまい。女性と男性、平和と戦争という対立軸ができれば、いい勝負になるかも知れない。候補者乱立の北海道は再選挙が心配だ。自民党が戦闘放棄した佐賀の結果も気になる。ポカポカ陽気のこの日、東京は桜の開花宣言があった。統一地方選の風景には、いつも桜がある。選挙取材班の健闘を祈ろう。
 3月31日(月) 人事部の同僚は、あすの入社式の準備に忙しそうだ。今年の大手紙の新人記者は数十人規模で、地方紙もほぼ例年並みのようだ。ただ、採用形態は、社会人採用あり通年採用ありと多様化している。当方が学生だった20余年前は、朝日、毎日、読売が11月の同じ日に入社試験を実施していた。時代とともに試験も変わる。さて、今年はどんな新人がやってくるのだろう。超氷河期の就職戦線を勝ち抜いた俊英。一方で、同級生の3、4割はフリーター、新入社員は3年で3割がやめてしまう世代の若者たち。記者の仕事は偽りも誇張もなく激務だ。その苦しみよりも、さらに大きな喜びを見出せなければ、仕事は続かない。がんばってくれよ、後輩たち。ジャーナリズムの未来は君たちとともにあるのだから。
忙中日誌は1998年11月1日に始まりました。世紀をはさんだ4年5カ月は、ジャーナリズムにとってまさに激動の年でした。再販問題、メディア規制、小渕、森、小泉政権の盛衰、米同時多発テロ、アフガン攻撃、そして、イラク戦争。途切れなく大きなニュースが起きました。。その日々をこの欄で書き続けられたことを幸せに思います。社の垣根を越えて、取材に応じていただいた方、あるいは、執筆に参加していただいた方、たくさんのデスクの協力を得ることができました。改めてお礼を申し上げます。本欄はこれで終わりますが、報道の最前線で働く記者たちのそれぞれの忙中日誌に終わりはありません。信頼され、愛される報道をめざして、努力を重ねます。今後ともよろしく応援をお願いします。ご愛読ありがとうございました。

次回は、私が2021年9月21日、日本ジャーナリスト懇話会の招待で講演した「情報格差の中の新聞の使命」の内容を紹介します。

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