小川一

毎日新聞客員編集委員。成城大学非常勤講師。インターネット協会理事。超教育協会理事。毎日…

小川一

毎日新聞客員編集委員。成城大学非常勤講師。インターネット協会理事。超教育協会理事。毎日新聞でデジタル担当取締役、編集編成局長、社会部長などを務めました。1958年生まれ、京都市出身。

マガジン

  • ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌*2001年~03年編

    日本新聞協会発行の「新聞研究」に連載した「忙中日誌」を振り返りながら、ジャーナリズムについて考えます。

  • ジャーナリズムよ。私の感動日誌

    私が感動したり、感銘を受けたりした新聞・雑誌の記事やノンフィクション、ドキュメンタリーの作品を紹介します。

最近の記事

ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ <11> 2021年10月

今回は、2021年10月8日に行ったオンラインセミナー「誹謗中傷、誤情報と向き合うープラットフォームから考えるメディアリテラシー」の内容を紹介しながら、誹謗中傷や誤情報をどのようになくしていくのかについて考えてみます。このセミナーは、インターネットメディア協会(JIMA)・リテラシー部会の主催で行われ、セーファーインターネット協会専務理事の吉田奨氏とヤフー株式会社メディアチーフエディターの岡田聡氏が登壇し、私がモデレーターを務めました。メディアリテラシーの課題を議論する時、情

    • ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ <10> 2022年2月

      前回に続き、新聞通信調査会が発行する月刊誌「メディア展望」2022年2月号に書いた記事を紹介します。「新聞の『信頼』揺るがす逆風の数々 選挙報道も大転換期に」と題した記事では、まず昨年10月31日に行われた衆院選の事前調査について振り返りました。続いて取り上げたのは、検察庁法改正案をめぐる報道です。新聞、放送など政治部という部署を抱え、そこに精鋭を投入すしているはずの大手メディアが問題点を整理しきれずにいる中、ひとりの女性が発したひとつのツイートが大きな世論のうねりをつくり出

      • ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ <9> 2022年2月

        年末年始は連載をお休みしていました。再開します。新聞通信調査会が発行する月刊誌「メディア展望」2022年2月号の巻頭記事を書きました。紙媒体に書く機会はめっきり減ってしまったこともあり、少し肩の力が入った文章になってしまったかも知れません。ただ、現在の私の問題意識をまとめる機会になりました。今回は、この記事を引用しながら、ジャーナリズムの現状を改めて考えます。 記事のタイトルは「新聞の『信頼』揺るがす逆風の数々 選挙報道も大転換期に」としました。リードは以下のようにしました

        • ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ<8>2016年5月

          今回は5年半前に時計を戻します。ここでは、当時に行った内外切抜通信社の広告企画の対談を取り上げます。「ブック・コーディネーター」という新しい仕事を創り出し、世に広めた内沼晋太郎さんと対談し、大変示唆に富んだ話をいただきました。対談した2016年5月は、インターネットへのアクセスの主役が、パソコンからスマホへと完全に置き換わった時期でした。これから何か劇的な変化が起きるという予感を共有しながら話が弾んだことを覚えています。実際に、対談の直後から劇的な変化を目にすることになるので

        ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ <11> 2021年10月

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        • ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌*2001年~03年編
          26本
        • ジャーナリズムよ。私の感動日誌
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        記事

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ<7>2021年10月

          時計をまた現在に戻します。帝京大学准教授・内外切抜通信社特別研究員の吉野ヒロ子氏と対談しました。2021年10月に対談し、その内容は内外切抜通信の広告特集として翌11月から毎日新聞のニュースサイトに掲載されています。今回はこの対談や吉野氏の研究からネットの「炎上」について改めて考えます。 実は、以前から吉野氏と会って話をしたいと願っていました。吉野氏の著書「炎上する社会」(弘文堂)は、「炎上」の本質について極めて的確にまとめられており、感服したからです。私にとって「炎上」の

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ<7>2021年10月

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ<6>2012年2月

          今回も、SNS草創期に新聞はどう向き合ったかについて振り返っていきます。毎日新聞は社内でソーシャルメディア研究会を開き、役員会にもその取り組みが報告されました。その際に、私が提出したペーパーです。ソーシャルメディアを使うにあたっての心構えをまとめました。今、読み返すと、何か牧歌的な感じがしてきます。 ソーシャルメディア活用にあたっての考え方について ツイッター、フェイスブック、ミクシーなどソーシャルメディアの活用が広がっています。毎日新聞社員として、この新しいメディアにどう

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ<6>2012年2月

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ<5>2012年2月

          前回に続き、SNS草創期に新聞はどう向き合ったのかについて考えます。2012年2月に時計の針を戻し、毎日新聞の取り組みを紹介していきます。毎日新聞は2012年2月18日朝刊で、社内で開いた研究会の様子を報じました。  講師は私が務めました。当時の私の肩書は、コンテンツ事業本部次長でした。「教育と新聞」推進本部長も兼ねていました。その後の組織改編で、この二つの部署名は今はありません。私は2012年7月、編集編成局総務として、編集現場にまた戻ることになります。  毎日新聞はい

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ<5>2012年2月

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ<4>2012年2月

          私がツイッターのアカウントを登録したのは、2010年2月のことでした。最初はなかなか使いこなせず、使う頻度も少ないままでした。そのツイッターの力に私が驚いたのは、東日本大震災がきっかけでした。これはコミュニケーションのあり方を根底から変えるものだと確信しました。ジャーナリズムもマスメディアも、ソーシャルメディア(SNS)の力を積極的に取り入れるべきだと考えました。ただ、当時、私の考えは、会社の中では極めて少数派でした。なんとか理解を広めようと、記事を書き、社内で研究会を毎週の

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ<4>2012年2月

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ<3>2021年9月

          前々回、前回に続き、2021年9月21日に日本ジャーナリスト懇話会の講演録を紹介します。そして、講演録に入る前に、これも前回に続いて、講演の後に起きたSNS投稿の問題について再び考えてみます。旭川市でいじめを受けた疑いがある中学2年の女子生徒が凍死した事件は、今も波紋を広げ続けています。被害者の女子生徒はいじめの中で自慰行為を強制され、その映像を撮影され拡散もしていました。この悲惨で残酷ないじめ行為とこれを半ば放置した学校の対応は決して許されるものではなく、改めて取り上げるつ

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ<3>2021年9月

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ<2>2021年9月

          前回に続き、2021年9月21日に日本ジャーナリスト懇話会の講演録をもとに考えていきます。この講演の後に、SNSの負の側面について改めて考えさせる大きな出来事がありました。眞子さまと小室圭さんのご結婚をめぐる報道と人格攻撃を含んだ激しいネット投稿の問題です。とりわけネット投稿は、大げさでなく時代を画する局面になったと私は考えます。まず、激しい言葉の矛先が、結果として皇族にも向けられました。象徴天皇制は、国民の皇室への敬意と信頼によって支えられ、国民もまた皇族の方々の励ましやい

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ<2>2021年9月

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ<1>2021年9月

          「新聞研究」に連載した「忙中日誌」をもとにしたジャーナリズム日誌は55回で終わりました。これからは、現在・過去そして時には未来へと時間軸を動かして「私の記者日誌」を綴っていきます。その「パートⅡ」初回となる今回は、私が2021年9月21日、日本ジャーナリスト懇話会の招きで講演した「情報格差の中の新聞の役割」の講演録をもとに、改めてジャーナリズムについて考えます。講演の演題は、事務局からいただいたものでした。「情報格差」は多くの事象を内包する言葉です。情報環境が個人に合わせてカ

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌Ⅱ<1>2021年9月

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌55・2003年3月(忙中日誌最終回)

          「忙中日誌」は、イラク戦争開戦とともに最終回を迎えました。この時期に終えた舞台裏を明かすと、私が2003年春の人事で、社会部デスクから横浜支局長に転出したからです。「新聞研究」編集部からは、ありがたくも連載の継続を打診されましたが、デスクでない人間がデスク日誌を書く続けることは、やはり背信になると考えました。2020年10月から始めた記者20年日誌の「忙中日誌」編も、今回で終わりとします。想像以上にたくさんの方々に読んでいただきました。ご愛読ありがとうございました。ただ、記者

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌55・2003年3月(忙中日誌最終回)

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌54・2003年2月

          この月は、スペースシャトル・コロンビアの空中分解事故で始まりました。18年後の今、民間の宇宙船が、民間人を載せて宇宙に行く時代を迎えました。この時代の動きに感慨を覚えます。イラク戦争へと米英はひた走りに走っています。もしタイムマシンがあるなら「その戦争は間違っている。大量破壊兵器などどこにもない」と叫びたくなります。どうして世界はあの間違った戦争を止められなかったのか。日誌を読み返しながら、腹立たしさがこみあげてきます。 2月1日(土) 別のデスクが用意してくれていた原稿を

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌54・2003年2月

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌53・2003年1月

          松井秀喜選手のヤンキース入団会見には、ニューヨーク市長も顔を見せました。同時多発テロから1年半たったこの時期でも、ニューヨークはその傷跡から早く立ち直りたいともがいていました。テロの後の重苦しい空気の中で、イチロー選手そして松井選手が果たした役割の大きさを改めて感じます。繰り返しになりますが、コロナ禍の中の大谷翔平選手の姿と重なります。貴乃花が引退を表明しました。2021年9月の今、白鳳が引退しました。時代はなぜか時間を超えて同期します。イラク戦争が目前に迫っていました。米軍

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌53・2003年1月

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌52・2002年12月

          イラク戦争へと向かって、国際情勢が進み始めました。政権を取る前の民主党はゴタゴタ続きです。自民党の強みは、野党になっても離党者があまり出なかったことです。民主党は7年後に政権を奪取しますが、その後の低迷の種は、この時期にすでに見て取れるように思います。松井秀喜さんのヤンキース入りが決まりました。後にグラウンドゼロを訪れ同時多発テロの犠牲者に深く哀悼の意を捧げた松井さん。ニューヨークは松井さんの誠実な人柄を称えることになります。そして2021年9月。勝負してもらえず、四球ばかり

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌52・2002年12月

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌51・2002年11月

          この月は、松井秀喜選手の大リーグ移籍のニュースから始まりました。松井選手は、慣れないメジャーの野球に苦労しながらも、存在感を発揮していきます。後に31本の本塁打を放った時は、本当に誇らしかったです。今は、大谷翔平選手が大リーク記録を塗り替え、ベースボールの概念そのものを変えるような大活躍をしています。本塁打王のタイトルを取ってほしいです。イラクが、大量破壊兵器の廃棄を求めた国連安保理決議を受諾しました。あの間違ったイラク戦争への布石が打たれていきます。日誌を読み返しながら「そ

          ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌51・2002年11月