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ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌51・2002年11月

この月は、松井秀喜選手の大リーグ移籍のニュースから始まりました。松井選手は、慣れないメジャーの野球に苦労しながらも、存在感を発揮していきます。後に31本の本塁打を放った時は、本当に誇らしかったです。今は、大谷翔平選手が大リーク記録を塗り替え、ベースボールの概念そのものを変えるような大活躍をしています。本塁打王のタイトルを取ってほしいです。イラクが、大量破壊兵器の廃棄を求めた国連安保理決議を受諾しました。あの間違ったイラク戦争への布石が打たれていきます。日誌を読み返しながら「それは間違いだ」と声を出したくなります。

 11月1日(金) 朝日と毎日を除く各紙が朝刊で「松井、大リーグへ」と打っている。そして、松井秀喜の記者会見。一選手の話題としては異例の扱いだが、一面と社会面で全面展開。野茂やイチローと違うところは、松井が巨人の四番だということ。日本のプロ野球にとって未曾有の激震と言える。この日の紙面では、スポーツとしての視点に加え、社会学的、経済学的な分析が求められる。運動記者にとっては腕の見せ所だ。
11月5日(火) 夕刊番の日は午前6時に起きることにしているが、この日の寒さにはまいった。布団を抜け出すのがつらい。東京・大手町の最低気温は、平年より4・8度も低い6・7度。郊外のわが家周辺はさらに冷え込み、車のフロントガラスには霜が降りている。異常に暑かった10月、冷え込む11月。秋はどこに行ったのか。もっとも、季節の移ろいを楽しむ余裕もないが。
 拉致家族の取材戦線も見直しの時期に来た。発熱した記者もおり、メンバーを入れ替えたが、人繰りに悩む日が続く。いつもなら新年企画の取材班が正月に向けて離陸しているころだが、今年はまだ、滑走路の手前といったところ。担当デスクは焦っている。
11月8日(水) 名古屋刑務所で、刑務官が受刑者に暴行した事件が発覚した。朝日が朝刊一面トップで特報している。看守の横暴を描いたブラッド・ピット主演の米映画「スリーパーズ」を思い出させる内容だ。事件の展開もさることながら、「公権力による虐待」が表面化したことで人権擁護法案の審議に影響を与えることになるかも知れない。法案成立を目指している旧知の与党議員は「個人情報保護法案をとめた防衛庁リストのような存在になったら困る」と漏らしていた。
 深夜、イラクに対する新たな査察決議が国連で採択された。中間選挙では、ブッシュ大統領を支える共和党が上下院の多数派を制した。イラク攻撃は時間の問題だろう。また、歴史が動くことになる。日本の針路、国としてのあり方も問われることになる。

11月11日(月) 6月の逮捕から145日ぶりに、あの「ムネオ節」が帰って来た。衆院議員、鈴木宗男被告の初公判。「過去に逮捕した政治家のなかでは、捜査段階で一番よくしゃべった」(法務・検察幹部)という宗男議員。法廷でも本当によくしゃべり、裁判長に二度も制止された。検察と全面対決となるこの裁判は、長期化が避けられないだろう。宗男議員への捜査を終えた東京地検特捜部には、何か虚脱感が漂っている気さえする。検察にとって、いかに難敵であったかがよくわかる。でも、少し気を抜くと、検察はいつのまにか大型事件を内偵しているものだ。だから、朝駆け、夜回りは欠かすことはできず、事件記者の日常はきょうも変わらない。
11月12日(火) 夜になって拉致事件取材班から特ダネの売り込みがあった。欧州で拉致され、北朝鮮が「死亡」と伝えてきた松木薫さんの遺骨は「60代の女性の可能性が高い」という。家族、警察、政府の各筋で裏が取れたので情報の確度は万全なのだが、もう一、二社並ぶかも知れないという。全社注目している中、確かに完全スクープは難しい。深夜になって一部民放と通信社が流してしまい、特ダネの夢はあわれ露と消えた。明け方に配られる他紙の交換紙を見ると、朝日が特オチしている。裏取りがうまくできなかったのだろう。日々はっきりと結果が出てしまうのが、この業界の辛さだ。

 11月13日(木) イラクが、大量破壊兵器の廃棄を求めた国連安保理決議を受諾した。といっても、イラク側が出した正式回答は6ページ半にわたってアラビア語で書かれた「一読しても趣旨がよくわからないもの」で、受諾したのかどうか、しばらくは国連側も判断がつかなかったようだ。一瞬、朝刊に間に合わない!と肝を冷やしたが、イラクの国連大使が「決議を全面受け入れる」と語ったことで「決議受諾」とわかり、予定稿にゴーサインが出せた。
 もっとも、査察が行われても、イラク攻撃がなくなるわけではないだろう。大量破壊兵器が見つかれば「これまで隠していた」と攻撃の口実になり、見つからなければ「やっぱり隠している」とまた口実になる。英国通の同僚によると、こういうのを英国ではダブルヘッドと言うのだとか。コインを投げて「表が出ればオレの勝ち、裏が出ればお前の負け」。なるほど。
 さて、この日、イラク取材班が立ち上がった。といっても、今のところ専従記者は必要最低限の人数しかいない。イラク問題では、米、英、中東と日本国内の動きを追いながら、有機的な取材をすることが求められるが、その下地づくりをする。担当記者のメールアドレス、携帯電話、関係取材先などのリストづくりなどがとりあえずの仕事になる。

11月15日(金) いよいよ中国で胡錦涛体制がスタートした。鄧小平氏によって10年も前からトップの地位を約束されていた人物。権力闘争の激しい中国で、その「約束」が守られたことは驚くべきことだ。これも、中国の成熟ぶりを示すことなのだろう。ただ、古くはサッチャー、レーガン、最近ではクリントン、ブレア、プーチンといった時代の息吹を感じさせる人物がリーダーとして登場した時は、自然に筆がはずんだものだが、胡さんはいかにも地味な雰囲気で、紙面にも躍動感が出てこない。「もうちょっと派手なキャラならなあ」と紙面編成のデスクは不満そうだが、こればかりは仕方がない。
11月20日(水) 珍しく官僚のミスに同情してしまった。2002年版の犯罪白書で、日本の刑法犯の検挙率が英・米・独・仏の欧米4カ国と比べ最低になった、と誤記された件だ。19日の閣議で了承された後、警察庁の指摘でデータの拾い出しに手違いがあったことが判明、最低ではないとわかった。法務省は、大騒ぎになった。官邸に報告して閣議了承を取り直し、印刷も止め、謝罪会見も行った。どんな優秀な人でもミスはする。そして、一人がミスした場合、それを見つけ、修正するのは大変に難しい。新聞の紙面に毎日のように出ている「訂正」も、そうした一人のミスが全体のミスとなり、組織として責任が問われたものだ。明日はわが身。日本の官僚も落ちたもんだ、とは決して言えない毎日を、われらデスクは送っている。

11月21日(木) 夕方、宮内庁から皇族が重体になったらしいと一報があった。さて、どの宮様か。失礼ながら、高齢の方々の顔を思い浮かべた。ほどなくして高円宮さまとわかった。「え!あのサッカーの」と声を上げてしまった。47歳。スカッシュの練習中に倒れたという。語学堪能のスポーツマン。日本サッカー協会名誉総裁のほか、国際交流やスポーツの団体の要職を務める「元気印の宮様」だっただけに信じられない。健康を過信したのか。午後11時すぎに逝去の発表があった。デスクにとって皇室報道はひときわ緊張感を強いられる分野だ。敬語の使い方は難しく、用語は複雑怪奇、見出しや紙面扱いにもきちんとした考え方が求められる。とりわけ、皇位継承順位7番目という高円宮さまの逝去の扱いをどうするか。社会面で全面展開するのは当然としても、一面トップにするのかどうか。一面トップにすると、今後は、他の皇族方の逝去もすべて一面トップに扱うことになり、扱いが際限なく大きくなっていかないか。一方で、ワールドカップでは皇族として初めて韓国を訪問した「ニュースな宮様」。また、中年男性の余暇の過ごし方が、酒からスポーツへと変わり平日の夜や週末のジムは大にぎわいとなる時代にあって、その死は、皇族の逝去とは別のメッセージも含んでいる。さあ、どう判断すべきか。
 11月22日(金) 高円宮さま逝去の扱いは、横見出しの大きな一面トップが読売、産経、たて見出しの地味めの一面トップが毎日、東京、一面トップをはずしニ番手が朝日、日経。グラデーションを見るように判断が分かれた。多様な言論を提供する新聞としては、むしろ好ましい結果なのだろう。ただ、各紙が予定していた12月1日の敬宮愛子さま誕生日の特集紙面は、足並みをそろえて中止することになりそうだ。
 11月27日(水) 内偵捜査の着手シーズンを迎えている。10日前には日本信販の総会屋利益提供事件が摘発され、1週間前には、日本中央競馬会(JRA)汚職事件にメスが入った。それぞれ警視庁の事件で、JRA汚職では着手当日の朝刊で毎日が予告記事を抜いた。各社の警視庁キャップ以下担当記者が殺気立っているところに、この日の朝刊は朝日がNTTコムの水増し請求事件を抜いている。事件記者の戦いの舞台は、東京地検特捜部から警視庁に移ったようだ。この日は、豊田商事事件以来の大型詐欺とされる「全国八葉物流」出資法違反事件の着手日でもある。また、千葉県の八千代市長も汚職容疑で朝から千葉県警の取り調べを受けている。検事や捜査員が正月休みを取るために、例年11月中旬から下旬にかけて、まるで紅葉狩りのように事件の「旬」がやってくる。知能犯の事件記者が「季節労働者」と呼ばれる所以だ。そう言えば、今年も紅葉狩りに行けなかったことを思い出した。
 11月29日(金) 朝日と産経が一面で「個人情報保護法案 廃案へ」と打っている。毎日も二面で慎重な表現で「廃案」の方向に進んでいると報じている。臨時国会に入ってからは、ほとんど話題にも上らなかった法案がここに来て突如脚光を浴び始めた。27日朝刊で、毎日が「基本原則削除案も」と政府・与党内に抜本的修正案が浮上していることを報じると、同日夜には時事が「廃案で調整」、28日朝刊で日経が「廃案を検討」と伝えた。東京も28日の社説で「基本原則を削除せよ」と歯切れ良く論じている。政府・与党がどう出るかはまだ不透明だが、メディア各社の地道な訴えがじわりじわりと状況を動かしている。報道の大切さと力を改めて見た思いがする。

次回は、9月下旬に投稿します。






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