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性別は無くさんでええ、僕は機械じゃない

名称変更について考える

看護婦が看護師に。

スチュワーデスがキャビンアテンダントに。

痴呆症が認知症に。

日射病が熱中症に。

マイルドセブンがメビウスに。

シンクロナイズドスイミングが

アーティスティックスイミングに。

それぞれ名称変更の理由があります。

ただ、今まで馴染んでいたものを

変えるのは誰だって抵抗があります。

あるブログからお医者さんの本音。

少し長いですが、引用***************

「看護師に服を脱ぐのを手伝わせますから」と、

いきなりお医者さんに告げられたら貴方はどう感じますか?

私なら

「待てよ、ひょっとしたら野郎が俺の着替えをさせるのかよ」

と思うでしょう。

男性の私でも抵抗を感じますし、そこには癒しも安心も感じません。

ましてや、もしも貴方が女性だったら脱衣の介助など

絶対に男性にはして欲しくないでしょう。

「私に付いて来るのは男性か女性かハッキリさせといてよ」

と思われるでしょう。

 「看護師」という表現の中には、性別は一切含まれていないのです。

それが届出などの書類なら、いたしかたない場合もあるでしょう。

しかし、医療の現場では、性別は絶対に必要なのです。

それは性差別ではなく、必要な性区別なのです。

丁 度、文語 体と口語体があるように、書けば「看護師」で、

話せば「看護婦さん」でいいのです。

書けば「医師」でも、誰もお医者さん本人に向かって「医師さん」とは言 わないでしょう。

特に、ある程度怖さを漂わせる必要のある事もあるお医者さんに対して、ナースという存在は何となく甘えさせて欲しい存在で、

それは決して「看護師」ではなくて、

「看護婦さん」の方が良いのではないでしょうか。

例外として、精神科病棟などのように「男性看護士」のままの表現でいい場合もあります が。

 ちなみに、当院には「看護婦さん」しかおりませんので…。

***************ここまで引用

これは「婦」というのが「慰安婦」などの負のイメージを与えるので「婦」が消えてきたのです。

「婦」そのものが悪いわけではありません。

大正5年創刊の「婦人公論」はまだ健在です。
「婦」にマイナスイメージを持つ方の方が、差別していると僕は思います。

ただ昭和生まれにとっては看護婦さん、スチュワーデスといえば、憧れです。男性にとって。

それを今日から看護師、キャビンアテンダントと言い換えます。
なぜなら男性もいるからですと、言われても
男性かあ、要らねえなあと思ってしまう僕はやっぱりすけべなんでしょうか。

人権問題、〇〇ハラスメント、差別と区別の違い。
色々と考えさせられます。

同じようなことを考えている人はいるものです。

「ブルマーはなぜ消えたのか」

真面目な本です。

名称変更についての考察でした。

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