見出し画像

教育学者は頭で考え教師は手で考える

僕はカタカナ教育用語が嫌いです


1 昔からカタカナを使った小難しい理論を振りかざす教育学者
  が後を絶ちません。困ったものです。
  「アクティブ・ラーニング」が「深い学び」と
  姿を変えたことはまあ良かったです。


2 例えばコンピテンシー(資質・能力)ということばが
  ありますが
  資質や能力といえばいいじゃないですか。
  知識を知恵に高めることですよね。
  昔から教育は目指すところは何も変わっていません。


3 主体的で知識を知恵に高める教育をしましょう。
  これが全てを物語っています。
  小難しいカタカナを使うといかにも新しく見えますが、
  それは、より理解をさせにくくしています。


4 コンプライアンスとかリテラシーとかそんなの
  どうでもいいですよ。
  ちゃんと日本語で言え!と言いたくなります。
  日本人は英語に弱いですからちょっとしゃれた言葉を
  使って見たいんでしょうね。
  教養をひけらかしてどうすんねんって言いたくなります。
  以前、アカウンタビリティという言葉が流行った時、
 「説明責任」といえばいいじゃんと思いました。
  今では「説明責任」と言いますよね。


5 難しいことをやさしくいうのが本当の教育学者と
  いうものです。
  極論ですが、カタカナを多用する人は学者ぶってるだけです。
  現場のことは学者は何も知りません。
  本当に現場をゼロと言っていいほど知らない。
  信用できない人ですと言い切ってもいい。
  こういう人たちが「学習指導要領」を作るのですから。
  現場の人間が混乱するのも無理はないです。


6 コンピテンシーを育むアクティブ・ラーニング
 「何を知っているか」だけではなく、知識を活用して
 「何ができるか」ということ。
 当たり前でしょう。
 それを小難しいコンピテンシーなんて使うなと言いたい。
 「主体的・対話的で深い学び」(昔からそうだろうが!)


  言葉遊びはいい加減にしてくれ、と
  今日はかなり怒ってます。笑。


  そんなことより「立ち歩いてる子をどうするか」の方が重要!
  テストの丸付けの時間をどうするかの方が重要。


  言葉遊びをしている学校は本当にたくさんあります。
  いつまで言葉遊びしているのでしょうか。
  時代はどんどん変わっていくというのに!
  下は昔の海軍兵学校の組体操。下にはマット!
  進んでるよ、今より。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?