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主婦不適合気味の妻と、ロジカル夫の3000日

夫婦という社会の最小単位を運営する者として、この12年間が平坦なものであったかといえばそういうわけではなかった。

籍を入れたあの日、地獄の釜の蓋があいたのだ。

※前提として、今は普通に仲良い家族やってますご安心を
※妻主観1000%なので夫の描写がちょっと可哀想かも

【1速】同じリングで戦えない新婚時代のジレンマ

夫はどちらかというとロジカルなタイプである。それと真逆なのが、妻であるわたしだ。

喧嘩になると、私は理詰めにされて負ける。

「5W1Hを簡潔に述べよ」

みたいなことを夫が言えば、私は黙ってクローゼットに籠城する。というような具合だ。

ロジカルシンキングは私の最も苦手とするところだ。正直、ここまで感性だけで生きてきた人間にはロジカルなんて猛毒でしかない。

そもそも同じフィールドには立てない。それが辛かった。

リングにも登れない奴が対等に戦えると思うなよ。とでも言われているようで、腹が立ってしかたがない。
それを、愛を誓ったはずの夫に言われているような気もして、嫌悪感メーターはマックスに振り切ってしまう。

「息すんの、やめろ!」

そういう小学生みたいな返答しかできない自分に対しても嫌悪感が生まれる。

ここで言い返せればまだ良かったのかもしれないが、わたしの貧相な脳みそでは押し黙る以外の選択肢がなかった。

お互い他人と暮らすことに慣れていなかったこともあり、感性とロジックという絶望の組み合わせによる不協和音だらけの結婚生活の幕が開けたのである。

【2速】主婦偏差値ゼロの私には生きている価値がない

わたしは圧倒的に家事が苦手だ。

ほんとうに絶望的なレベルで苦手なのだ。
掃除機の音が大嫌いで、洗濯機の回る音は今もめまいがする。

しかしこれを理解してくれる人は、夫を含め多くはない。

おそらく他の人にとっては、私が感じているよりもずっと難易度が低いのだろう。掃除も洗濯も、そういうものだ。

しかし、私はほんとうにこれらが苦手なので最低限しかできない。ほんとうにできないのだ。

これについては何度も喧嘩の火種になった。別のことで喧嘩していても、このことが掘り返されることも多く、その度にこれをどう説明したらいいのか分からなくて、またクローゼットに籠城することになる。

普通ならできるのに、わたしには出来ない。それを夫も理解してくれない。

これがわたしの自己嫌悪を加速させ、そして夫のことを心の隅で敵だと認定するようになった。

この頃、長男が生まれ、私は乳飲み子を抱え毎日泣いていた。ホルモンのせいもあっただろうが、とにかく毎日涙が止まらなかった。

【3速】夫コンプレックスと社会的弱者の自覚

妊娠〜産後〜復職までの間は自分自身の底にあったヘドロのようなコンプレックスにがんじがらめになっていた。

特に、わたしの卑屈さは出産してから明らかに悪化していったのだ。仕事を辞め、日本語を話す相手はロジカルシンキン夫のみ。

夫はまったく別の世界の住人になってしまったようだった。

仕事の愚痴などに関してはまったく話についていけず、またその事に激しいコンプレックスを感じた。

夫の収入が頼みの綱で、生産性のない自分は社会的に圧倒的弱者であることを自覚せざるを得ない。生きる価値が、見出せない。

どうして同じ目線で話せないのだろうか。

もともと低かった知能指数が地の底まで落ちたような気がして、ずっと涙が止まらない。毎回クローゼットで泣いていた。

たまに夫が謝ってくれたりもしたが、いつもロジカルで余計な一言がくっついてくるせいで、わたしの不機嫌は加速し続けた。

【4速】再就職してSUUMOのヘビーユーザーに

それからしばらくして、子どもを保育園に預けられる目処がたったので、わたしは再就職を選ぶ。

とにかく、まずはカネだ。

わたしのスカスカな脳みそでたどり着いた結論がカネだった。

しばらく遠ざかっていた社会に再び出れば、この先どう転ぼうと生きていける。

そこから馬鹿みたいに働き続け、ようやっと夫の扶養から外れた時、なんとも言い難いスカッとした気分になった。

当時、ずっと見ていたのはSUUMOだった。

わたしは息子と2人、どこか遠くで暮らしている。築10年以内の1LDKで、慎ましく2人で暮らしている姿を妄想していた。

このとき、表面上は夫とうまくいっていたけれど、お互い嫌悪の塊みたいなものを心の奥底に持っていて、いつそれが爆発してもおかしくない状況だったのだ。

かろうじて、子供がいる事で繋ぎとめられていたようにおもう。

扶養を外れ、自分で納税し、まっすぐ前を向いて歩いている。それだけで気分は無敵だ。

次に派手な喧嘩をした時には、市役所に寄ってあの紙を取ってこよう。そう思っていた。

【失速】リストラ、倒産、キャリアの失墜

積み上げたものが、わたしのちっぽけなプライドが、キャリアが、木っ端微塵に砕け散った。

これはさすがに驚いた。

収入がいきなりゼロになる恐怖、転職先がなかなか決まらない不安、本当に頭がおかしくなるかと思った。

そんな時、実は夫がいちばん支えてくれた。

大丈夫だよ、好きに過ごしていい、と言ってくれた。

そんなことを言うなんて、夫はどこに頭を殴打したのだろうと思った。きっとまた、ロジカル責めにされ、自己否定の日々に、あの暗雲の日々に引き戻されるものだと思っていたのに。

このことは今でも忘れない。

しばらく、本当に、夫に甘えて好きなように過ごした。
洗濯物も少し畳んだり、ルンバのスイッチをいれたり。料理はもともと好きだったから、たまに手の込んだものを作った。

失職のショックからようやく立ち直り、フリーランスの仕事もぼちぼち入るようになった頃、夫と2人で食事に行くこともあった。

その頃には、夫も私も、ずいぶん丸くなったものだなと実感した。
結婚してから失職するまでの7年半、ずっと2人の間に横たわっていたトゲトゲした何かがずいぶんキレイに消えていった。

平穏を手にするまでかかった3000日

結局、振り返ってみれば籍を入れた日から、毎日平穏を実感して過ごせるようになるまで、3000日くらいかかった。

これを書いている時、いろいろ思い出して吐きそうになったけど。

私は今、また会社に所属して平均的な収入を得つつ、扶養からしっかり外れて納税もしている。もうクローゼットに閉じこもったりもしないし、毎日泣いたりしていない。

たまに喧嘩になることもあるけれど、夫がロジカルで攻めてきたら、戦意喪失するくらい適当な事を言うようにしているから、あまりバトルには発展しない。

正直な事を言うと、この先どうなるか少しも見当つかないが、少なくとも今、やっと手にした平穏な家族の形が、少しでも長く続くように努力したいと思う。

そして、夫がもし、とてもしんどい状況になったなら、あの時みたいに私は言うだろう。

「きっと大丈夫、私がなんとかするから」

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