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2016筑波大学/倫理/第一問

【2016筑波大学/倫理/第一問】

問一 現代の思潮の一つにヘルシズム(healthism:健康至上主義)がある。古今東西の思想家を一人取り上げ、健康や若さが過剰に価値を持つ社会の貧しさについて自由に論ぜよ。(400字以内)

〈GV解答例1・荘子〉
人為によらない無為自然の道を説いた老子の思想を継承し発展させた道家の思想家に荘子がいる。荘子は万物斉同を唱え、善悪美醜などの区別は人間が恣意的に定めた制度にすぎないとし、そうした区別にとらわれない逍遥遊の生き方、その実践者としての真人の境地を説いた。荘子に従えば、現代人が自明の価値として疑わない「健康」や「若さ」も荘子が指摘する人間の恣意的な尺度にすぎないと言えよう。まず「健康」「若さ」を盲目的に追い求めることは、その逆の状態としての「病気」「老い」を不当におとしめ、実際は誰もが病気や老いから逃れられない以上、結果として自らの生を息苦しくするだろう。またヘルシズムは、老人や障碍者を不完全な存在として排除する考え方、「姥捨山」やナチス・ドイツの採用した優生思想とも地続きである。少子高齢化が進む中、若者の負担増の原因を高齢者福祉に短絡するような近年わが国で見られる主張にも注意を払う必要がある。(400)

〈GV解答例2・ハイデガー〉
選挙権の拡大とマスメディアの普及による政治の大衆化や、産業の発展に伴う「豊かさ」の実現と消費社会化に抗い、平均化されない個人の主体性の回復を図るのが実存主義思想である。20世紀前半に活躍し実存思想家にも分類されるハイデガーは、生きる意味を問い続ける現存在としての人間は、同時に「世界ー内ー存在」として周囲のトレンドを常に伺う中で無個性な「ひと」に陥る危険性をはらむが、自身を「死への存在」と自覚することで一回きりの人生を有意義に生きる主体的な生が実現できる、と説いた。ハイデガーに従えば、「健康」や「若さ」を過剰に追求する現代の風潮は、老いの現実から目を背け「終わり」を意識せず弛緩した日常を生きる「ひと」を量産することになろう。またヘルシズムは、障碍者や外国人など「標準」から外れた存在を排除する優生思想と親和性が高い。その点でハイデガーが優生思想を信奉するナチスを一時支持したのは歴史の皮肉である。(400)

〈ChatGPTくんの答え・フーコー〉
フランスの哲学者ミシェル・フーコーを取り上げて、ヘルシズムがもたらす社会の貧しさについて論じる。フーコーは権力と知識の関係を探求し、特に「生政治」という概念を通じて、現代社会における健康の管理と制御について洞察を示した。彼によれば、健康や若さが過剰に価値を持つ社会では、個々人の身体が国家や市場の管理下に置かれ、人々は自己管理と健康維持の義務を負わされる。これにより、健康であることが一種の道徳的義務となり、健康を維持できない人々は社会的に疎外される危険がある。

さらに、フーコーはこのような社会が、個人の自由を奪い、健康を商品化することで市場経済の利益を追求する傾向を批判した。人々は健康食品、フィットネス、医療サービスなどに過度に依存し、健康に対する不安を煽られることで、消費行動が強化される。このような状況は、健康を中心に据えた一元的な価値観を生み出し、他の価値や生活の多様性を軽視する結果となる。

結果として、健康至上主義は、個々人のライフスタイルや価値観の多様性を奪い、社会全体の貧困化を招く。人々は健康であることに執着し、真の幸福や人間関係、自己実現といった他の重要な側面を見失う可能性がある。フーコーの視点から見ると、健康や若さの過剰な重視は、現代社会における権力と市場の介入による、新たな形の抑圧を生み出すと言える。

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