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2023広島大学/国語/第三問/解答解説

【2023広島大学/国語/第三問/解答解説】

〈本文理解〉
出典は亀井俊介の随想「「書棚戦争」の思い出」。著者はアメリカ文学者、2023年8月逝去。前書きに「筆者と筆者の妻はともに大学教師で、広くはない自宅の書斎と書庫を共同で使っていた」とある。
①段落。妻はイギリス文学を専攻している。私はアメリカ文学。しかし共通して使う辞書類も少なくないので、それは両方が手をのばせば取れる位置に並べた。ほかの書棚は、それぞれの専門分野に分けた。…書庫の棚も同様にして分け合った。
②段落。ところが、本は当然のこと増えるばかり。…書斎も書庫も、たちまち本で満杯になった。
③段落。「それから、戦争がはじまったのである」(傍線部(1))。ほとんどの場合、私の方が攻勢をかける。最初は、「この棚、譲ってよ」などと外交交渉的なことをいっていたけれども、この問題についてだけは、わが妻もなかなか譲らない。それで、あらゆる口実を設けて、彼女の陣営に侵入していくのである。…
④段落。戦いは、ゲリラ戦の様相もおびてきた。私は妻が読みそうにない本をそっと抜き取り、脇にのけて、そのあとへ私の本を入れておく。だが数日後には、彼女の本がもとに戻り、私の本が脇にのけられている。「「ばれたか」「当たり前でしょ」という有様」(傍線部(2)),。
⑤段落。…
⑥段落。とうとう、さしあたり読まない本はダンボール箱につめ、家中のあちこちにおくことにした。だがこんどは、どの本をつめるかで争いが果てない。…黙ってつめてしまうと、必ずもとに戻してある。「こんな本、読むことないだろう」と、ついに彼女の研究の中身までいちゃもんをつけはじめるのだが、妻は笑って受け流すだけ。
⑦段落。…
⑧段落。私はおよそ風流の才なく、書棚の整理がほとんど最大の趣味である。どんなに忙しい時でも、一日中書庫にこもって、僅かなスペースを作り出し、本を移動させることが大好きだ。…戦争を総括すれば、私はじわりじわりと彼女の陣営を圧迫していったように思う。

⑨段落。その妻が、昨年の夏、一年余り病んだ末に亡くなった。
⑩段落。妻が死んで間もなく、私は妻の研究室をはじめて訪れた。妻も私も、勉強は家でするたちである。だから私自身は、大学の研究室にはふだん使わない本や雑誌をおいている。ところが妻の研究室には、明らかに彼女がふだん必要とする研究書が整然と並んでいた。家の書棚戦争で私の攻勢に抵抗しながらも、じつは彼女は私に最大限の譲歩をし、不便をしのんでそれらの本を研究室においていたのだ。
⑪段落。がぜん、私は妻がいつも、重い本をもって家と研究室との間を往復している姿を思い出した。しだいに病いが進む身で、大きなカバンや風呂敷き包みをかかえ、帰宅するとつい「疲れた」という言葉を口にするようにもなっていた。それなのに私は、彼女の体の心配はしながらも、本のことについては鈍感になっていた。「彼女の研究室の本を眺めて、一気に後悔の念に打たれたが、もう遅すぎる」(傍線部(3))。
⑫⑬段落。…
⑭段落。妻の納骨や、人の死にまつわるさまざまな後始末もすまないうちから、私は妻の本の整理に没頭しはじめた。…
⑮段落。本をめくっていると、妻がそれを買った時の姿や気持ちまでが、目の前に彷彿としてきた。珍しい本の多くは、彼女が一年間、ロンドンで研修生活を送っていた時に買ったものと思われる。著者からの献呈の辞が書かれた本や、関係する資料をはさんだ本もある。彼女の記念に私がとっておきたい本も何冊があったが、いやそれこそ大学に属した方がよいのだ、と思い返した。
⑯段落。妻が一番打ち込んでいたチャールズ・ディケンズ関係の本は、私の素人目にも、なかなかのコレクションになっているように思えた。…私が読んだことのない作家、いや聞いたこともない作家についての本もある。それに、彼女はおよそ理論家らしくなかったのに、小説論風の本も少なくない。私は彼女の本の世界が私の思っていたよりはるかに広かったことを知って、「またあらたな感慨に打たれた」(傍線部(4))。
⑰段落。選んだ本は、かっきり五百冊になった。そのリストを、妻の教え子で大学院生のSさんがきれいにタイプしてくれた。それを製本し、日本女子大学におさめたのは、妻の死後、半年たった時だった。
⑱段落。この間、私の心の中で、これによってわが家の書棚も少しは余裕が生じるだろう、という打算が働いていなかったといえば嘘になる。しかし、現実にはまったくそうはならなかった。妻の研究室から送り返した本は、家の中にあふれてしまった。その多くをダンボール箱につめて、ようやく、書棚の彼我の戦線は従来の膠着状態を保つ有様なのだ。…
⑲段落。「それでも、激しかった書棚戦争は終わったというべきだろう」(傍線部(5))。私たちの息子は独立して家を出ているものだから、私はたった一人残されて、たとえば書斎にぼんやり座り、あたりを見まわすと、「敵の愛した兵士たちである本が、むしょうにいとおしい」(傍線部(6))。敵軍はしだいに味方になり、いつしか私の軍とまじり合っていくに違いない。
20段落。だがまた、もっと戦争を続けたいなあという思いもわき立ってくる。もしもう一度、戦争を再開できるなら、こんどはあんなに不利な戦いを妻に強いないで、公明正大に振る舞いたい、とも思う。


〈設問解説〉
問一「それから、戦争がはじまったのである」(傍線部(1))とある。ここでの「戦争」とは、どのようなことか。説明せよ。(一行)

内容説明問題。「ここでの「戦争」」を説明するわけだから、制限字数の範囲内で適度に具体性を持たせながらも、「戦争」の一般的意味合いを保つように答えるとよい。先に解答を示すと「筆者夫妻が/共有する書棚に/合意なく/各自の本を置こうと競うこと」。このうち「筆者夫妻が/共有する本棚に/各自の本を置こうと」というのは最低限の具体的要素で、情報の取捨と圧縮に気を配ればよい。差がつくのは「合意なく/競うこと」という一般性を担保する箇所。このうち「合意なく」という要素は、傍線部の2文後「最初は、「この棚譲ってよ」などと外交交渉的なことをいっていたけれども」という記述を利用した。一般に国家同士の争いで、外交交渉で合意が見出せない場合、戦争が起こりうるのである。

〈GV解答例〉
筆者夫妻が共有する書棚に合意なく各自の本を置こうと競うこと。(30)

〈参考 広島大学解答例〉
二人が共同で使う書棚に、自分の本の置き場所を少しでも多く確保すること。(35)

〈参考 K塾解答例〉
本を置くスペースを筆者と妻で奪い合うこと。(21)


問二「「ばれたか」「当たり前でしょ」という有様」(傍線部(2))とある。この会話によって夫婦のどのような関係が読み取れるか。説明せよ。(一行)

内容説明問題。「ばれたか」「当たり前でしょ」という夫婦間のやり取りへの直接的言及を起点として、そこに現れている両者の関係性を端的に指摘するとよい。このうち筆者(夫)の「ばれたか」は、妻の本を脇にのけて自分の本を差し込むという自己の不正に対する自覚を含意する(a)。一方、妻の「当たり前でしょ」は、傍線部の次段落の似たような状況で「妻は笑って受け流すだけ」という記述があるので、これを利用するとよい(b)。
ただ、言葉のやりとりとしては一見穏やかで冗談っぽい雰囲気を保ちながらも、夫の不正に対して妻は当然のように自分の本をもとに戻し、夫の本を脇にのけるのである(傍線前文)(c)。以上を踏まえ、解答は「夫の仕掛ける不正を(a)/妻が受け流しながらも(b)互いに譲らない関係(c)」となる。

〈GV解答例〉
夫の仕掛ける不正を妻が受け流しながらも、互いに譲らない関係。(30)

〈参考 広島大学解答例〉
夫婦が互いを信頼しながら、ゲームを楽しむようにユーモアのある会話でコミニケーションをとる関係。(47)

〈参考 K塾解答例〉
冗談めいた会話を楽しむこともできる仲睦まじい関係。(25)


問三「彼女の研究室の本を眺めて、一挙に後悔の念に打たれたが、もう遅すぎる」(傍線部(3))とある。筆者は何を後悔したのか。説明せよ。(二行)

内容説明問題。傍線部は⑪段落の末文にあるので、その「後悔」に至る⑩段落「妻が死んで間もなく、私は彼女の研究室をはじめて訪れた」以下の内容をまとめればよい。根拠となるのは叙述の順に「妻も私も、勉強は家でするたち(a)」「妻の研究室には…彼女がふだん必要とする研究書が…並んでいた(b)」「彼女は私に最大限の譲歩をし(c)/…それらの本を研究室においていた(d)」「妻がいつも、重い本をもって家と研究室の間を往復している(e)/…しだいに病いが進む身で(f)」「それなのに私は…本のことには鈍感になっていた(g)」。以上より、解答は「病身の妻が(f)/筆者に譲歩し(c)/必要な研究書を(b)/普段の勉強の場である(a)/自宅から研究室に移していたことに(de)/妻の死後初めて気づいたこと(g)」。
ポイントは「本を研究室に移していた(a〜f)」までならば、事実を指摘しただけで「後悔」した内容にはならない、ということ。その事実に「妻が死ぬまで気づかなかったこと/妻の死後初めて気づいたこと(g)」に筆者は衝撃を受け、それが取り返しのつかないこと(→「もう遅すぎる」)であるから「後悔」しているのである。

〈GV解答例〉
病身の妻が筆者に譲歩し、必要な研究書を普段の勉強の場である自宅から研究室に移していたことに、妻の死後初めて気づいたこと。(60)

〈参考 広島大学解答例〉
妻は自宅の書棚を筆者にかなり譲ったために不便をしのんで重い本を持ち運んでいたのに、筆者はそのことに気づかず書棚の獲得に懸命になっていたが、もはや自分の態度を修正できないことを後悔した。(92)

〈参考 K塾解答例〉
重い本を持って家と研究室を往復していたことを知りながら、それが病身の妻にとっていかに大変なことであるかということに気づかなかったこと。(67)


問四「またあらたな感慨に打たれた」(傍線部(4))とあるが、これはどういうことか。説明する。(三行)

内容説明問題。傍線部は⑯段落末文にあるが、これは⑫段落以降、妻の本を大学に寄贈する目的で筆者が整理する場面(a)での「感慨」だから、その範囲を視野に収め、「あらたな感慨」を、「また」で並列されている「それ以前の感慨」と合わせて説明するとよい。「あらたな感慨」については、⑯段落の内容、特に傍線直前「私は彼女の本の世界が思っていたよりはるかに広かったことを知って(b)」を根拠にするとよい。「それ以前の感慨」については、⑮段落の内容、特にその冒頭「本をめくっていると、妻がそれを買った時の姿や気持ちまでが、目の前に彷彿としてきた(c)」を根拠にするとよい。
以上をまとめて、解答は「死んだ妻の残した研究書を整理するうち(a)/妻がそれを買った時の姿や気持ちが眼前に浮かんでくるのに加え(c)/妻の本の世界が筆者の想像を超え豊かだったことを知り(b)/妻への追憶を深めているということ」となる。締めを「妻への追憶を深めている」とし、「感慨に打たれた」をただの単語の交換でない形で有効に表現した。

〈GV解答例〉
死んだ妻の残した研究書を整理するうち妻がそれを買った時の姿や気持ちが眼前に浮かんでくるのに加え、妻の本の世界が筆者の想像を超え豊かだったことを知り妻への追憶を深めているということ。(90)

〈参考 広島大学解答例〉
筆者が自宅で見ていた妻は彼女の一面でしかなく、長年共に暮らしていても知らなかった妻の世界があり、それを妻が残した本が気付かせてくれたことに心を打たれた。(76)

〈参考 K塾解答例〉
妻が残した本の整理をしながら、生前の妻を思いしみじみと感じ入っていたが、妻の本の世界が自分の想像よりも広かったことを知り、妻の新たな一面に感銘を覚えたということ。(81)


問五「それでも、激しかった書棚戦争は終わったというべきだろう」(傍線部(5))とある。この文章は、妻を追想するのに、全体にわたってこのような「戦争」の比喩が用いられている。そこには筆者のどのような姿勢が読み取れるか。説明せよ。(三行)

表現意図説明問題。本文は良きパートナーで良きライバルでもあった妻を亡くした筆者の哀悼と寂寥感に貫かれている。それを「戦争」という比喩によりカリカチュアし、あえてユーモラスに描くことで、先の主題をヴェールに包みながらも、それがつい滲み出てしまうように仕掛けられている。どんなに悲しみが深くとも、日々を送る中で楽しみや面白みが生じるのが自然だし、それは前者を損なうものではないのである。
解答は、傍線部の内容に直接言及しながら「戦争」の勃発と終結について述べ、その比喩のメタ的な狙いの説明を加えて、以下のようにまとめる。「自分と妻は違う専門分野をもつ研究者として競う立場にあったが/妻が死んだ今ではその張り合いがなくなってしまったという/夫婦の関係を「戦争」という比喩で/面白味を加えて伝えようとする姿勢」。

〈GV解答例〉
自分と妻は違う専門分野をもつ研究者として競う立場にあったが、妻が死んだ今ではその張り合いがなくなってしまったという夫婦の関係を「戦争」という比喩で面白味を加えて伝えようとする姿勢。(90)

〈参考 広島大学解答例〉
妻を追憶する文章に、あえて「戦争」という激しい比喩を導入することによって、半ば楽しみながら書棚の勢力争いをしていた対等な夫婦関係をユーモラスに表現して、妻を失った悲しみをやわらげようとする姿勢。(97)

〈参考 K塾解答例〉
生前の妻を、同じ文学研究者として広く書物を読み漁る者同士、本の所蔵をめぐってスペースを争っていた良き好敵手だとみなして向き合ってきた姿勢が読み取れる。(75)


問六「敵の将の愛した兵士たちである本が、むしょうにいとおしい」(傍線部(6))とある。「本」とは、筆者にとってどのような存在なのか。文章全体をふまえて、百字以内で説明せよ。

内容説明問題(主旨)。傍線部は、妻の死によって「書棚戦争」は一応の終結を迎え(→問五)、妻の本を整理し(→問四)、大学への寄贈を終えた後に筆者をおそった感慨を表現している。ここで筆者は、妻の残した研究書のコレクションから妻がそれらに接した時の姿や気持ちを読み取り、改めて妻の生をいきいきと感受し、それをいとおしむ(a)。傍線部の「敵の将の愛した兵士たち」というのは言うまでもなく妻の愛読書のことを指しており、それは読む人の生と一体化したものとして捉えられている(b)。
以上は傍線部、筆者の妻との関係で「本」を説明したものであるが、さらに「文章全体をふまえて」筆者との関係での「本」についても説明を加えたい。これについては前半のコミカルな部分、妻との「書棚戦争」に無邪気に励んだ筆者について考え合わせるとよい(→問一問二)(c)。特に⑧段落冒頭「私はおよそ風流の才なく、書棚の整理がほとんど最大の趣味である」が参考になる(d)。以上より、解答は「特に趣味もない筆者にとって(d)/単なる仕事の道具である以上に他のことを忘れて夢中になれる存在であり(c)//死んだ妻の愛読した本からその生を感受しいとおしむように(a)/ただの物ではなく読む人の生と一体化した存在である(b)」となる。

〈GV解答例〉
特に趣味もない筆者にとって単なる仕事の道具である以上に他のことを忘れて夢中になれる存在であり、死んだ妻の愛読した本からその生を感受しいとおしむように、ただの物ではなく読む人の生と一体化した存在である。(100)

〈参考 広島大学解答例〉
本は、研究者であった筆者と妻とがそれぞれの人生を通して集めて大切にしてきたもので、書棚戦争をめぐって仲良く争う要因であり、また妻の知らなかった一面を知る手がかりともなる持ち主を象徴するものである。(98)

〈参考 K塾解答例〉
妻の愛した本とは、筆者の本が書棚を圧迫することに最大限譲歩し、病身でありながら不便をしのんで重い本を持ち歩いていた妻の姿、妻の本との広範な向き合い方、妻の人生、筆者と妻との関わりを象徴する存在である。(100)

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