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2016東大国語/第一問/解答解説

現代文の問題は、特に記述の場合、やっても大して伸びないし、他の教科に時間を回そうと考えている人が多いと思います。しかし、そう考えるのは解答の必然性を見極める訓練をしていないからだと思います。解答の必然性が見えれば、質の高い解答が再現可能になります。つまり努力が十分に報われます。
では、解答の必然性はどこに求められるのか?そのヒントは「設問」にあります。「設問」には「出題者のメッセージ」が込められていて、僕らはそれを正しくキャッチしなければならない。問われていることに答えるのだから当たり前ですね。しかし多くの場合、「設問の分析」が非常に甘いのです。もちろん現代文の実力のベースは論理的な「読解力」と「表現力」にあることは言うまでもありません。そこで今回も、本文を表現に着目して重要箇所を抽出した上で、少し基本に立ち戻って設問ごとの解説を丁寧に行いたいと思います。

〈本文理解〉
出典は内田樹「反知性主義者たちの肖像」。「反知性(X)」と「知性(Y)」を対比を見つけるのは容易だろう。
①~③段落。ホーフスタッターの引用(①)。それを受け、反知性主義(X)を駆動しているのは、ほとんどの場合「ひたむきな知的情熱」である、とする(②)。
バルトに従えば、無知(X)とは知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることができなくなった状態である。「自分はそれについてはよく知らない」と涼しく認める人は、他人の言うことをとりあえず黙って聴く。それで「得心がいったか」…どうかを自分の内側をみつめて判断する。「そのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に代えることができる人」(傍線部ア)を私は「知性的な人(Y)」だとみなす。その人においては、知識が活発に機能している。そのような人たちは、自分の知的な枠組みそのものをそのつど作り替えているからである。知性とはそういう知の自己刷新のことを言うと私は思っている。(以上③段落)
④~⑤段落。反知性主義者(X)たちはしばしば恐ろしいほどに物知りである。手持ちの合切袋から、自説を基礎づけるデータやエビデンスをいくらでも取り出すことができる。けれども、それをいくら聴かされても気持ちは晴れない。というのは「この人はあらゆることについて正解をすでに知っている」(傍線部イ)からである。「あなたが同意しようとしまいと、私の語ることの真理性はいささかも揺るがない」というのが反知性主義者の基本的なマナーである。…「あなたが何を考えようと、何をどう判断しようと、それは理非の判定に関与しない」ということは「あなたには生きている理由がない」(傍線部ウ)。(以上④段落)
私は私をそのような気分にさせる人間のことを「反知性的(X)」とみなすことにしている。それは彼が知性を属人的な資質や能力だと思っているからだ。(以上⑤段落) 
⑥~⑨段落。知性(Y)というのは集団として発動するものだと私は思っている(⑥)。人間は集団として情報を採り入れ、その重要度を衡量し、その意味するところについて仮説を立て、どう対処すべきかについての合意形成を行う。「その力動的プロセス全体を活気づけ、駆動させる力」(傍線部エ)の全体を「知性」と呼びたいと私は思う(⑧)。(例)。「それまで思いつかなかったことがしたくなる」というかたちでの影響を周囲にいる他者たちへ及ぼす力のことを、知性と呼びたいと私は思う(⑨)。
⑩~⑪段落。知性は集団的にしか発動しない。その人がいることによって、その人の発言やふるまいによって、集団全体のパフォーマンスが、彼がいない場合より高まった場合に、事後的にその人は「知性的(Y)」な人物だったと判定される(⑩)。(逆に)その人が活発に「知力」を発動しているせいで、集団全体のパフォーマンスが下がってしまう場合、私はそういう人を「反知性的(X)」とみなすことにしている。これまでのところ「この基準を適用して人物鑑定を過ったことはない」(傍線部オ)(⑪)。

〈設問解説〉
設問(一)「そのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に代えることができる人」(傍線部ア)とはどういう人のことか、説明せよ。

一般に「どういうことか」という問いかけは「内容説明問題」に分類する。基本的な姿勢は「要素に分けて、本文の言葉を利用して、言い換え」る。当然「そのような身体反応を以て(A)」を具体化する。
ただし、ここでは「どういう人のことか」と聞いており、傍線部アを「知性的な人(Y)」と承け、「その人においては…」「そのような人たちは…」と続くので、傍線部分を字句通りに言い換えるのではなく、後ろの内容を傍線部分に盛り込んでYを説明する必要がある(B)。
A要素については、その前の部分を拾って「他人の意見を謙虚に受け容れ、それが実感に沿うかどうかを内省することによって」と言い換えるのは容易だろう。
B要素については、傍線部アの後半部から繋いで「当面の是非を判断しつつ、自らの知的枠組みの刷新ができる人」ぐらいになるだろう。この二つを足せば良いが、より本質的な部分を抽出して、引き締まった解答を作りたいところだ。
そこで、傍線部アのある③段落の二文目「無知(X)とは…知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることができなくなった状態」(X↔️Y)を逆利用し、「知的枠組み/未知の他者性導引→内的実感で吟味→知的枠組み/刷新」と「知的枠組み」でサンドイッチにする。

<GV解答例>
自らの知的な枠組みの中に未知なる他者性を引き込み、それが内的な実感に沿うかどうかの吟味を重ねることで、その枠組みの刷新ができる人。(65字)

<参考 S台解答例>
他者の言葉を自らの身体的な実感でその当否について判断し、知的枠組みを柔軟に刷新して未知なるものを捉えようとする人。(57字)

<参考 K塾解答例>
他人の話をわかったつもりにならず、それに耳を傾け、その内容を実感として納得できたか否かを、自らの知の枠組みが揺らぐままに内省できる人。(67字)

設問(二)「この人はあらゆることについて正解をすでに知っている」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

「どういうことか」なので内容説明タイプで、基本方針は「要素に分けて、本文の言葉を利用して、言い換え」である。そこで「この人は(A)」と「あらゆることについて正解をすでに知っている(B)」の2つに分ける。「この人」の指示内容は、一般化して「反知性主義者(X)」で良い。場合によっては、Xを具体的に説明する必要もあるが、ここでは助詞の「は」に注目する。「は」は「主題化/対比」を含意する。ここでもXに対して「反知性主義者でない人(Y)」が想定されている。
次にB要素。ここには一見言い換えが必要な言葉はないように見える。でも「何か」引っかかる。「正解をすでに知っている」って学校の先生とかカンニングとか「特殊」な場合を除いて、「普通」おかしくないか?一般に、書き手は読み手に対して「一定の了解(自明性)」があることを前提として文章を書く。僕らは、全うな読者として、それに気づかないといけない。
「正解をすでに知っている(X)」はおかしい。通常は「すでに知っていない/何かの後で知る(Y)」ものだ。ならば解答の方向性は、「反知性主義者はYではなくXだ」のようになるはずだ。
Yについては傍線のある④段落だけではピンとこない。そこで視野を広げて⑥段落以降を参考にするが、ここにも必然性がある。⑥段落以降には、筆者の考える「知性的なあり方」、つまり「反知性主義者でないあり方(Y)」が示されているからだ。
それで、Yとして特に⑧段落の二文目「人間は集団として情報を採り入れ…合意形成を行う」に着目する。それとの対比でXは、④段落から、特に三文目「…手持ちの合切袋から、自説を基礎づけるデータ…取り出すことができる」に着目する。

<GV解答例>
反知性主義者は、現実の事象に対応して他者と解決を探るのではなく、既得の知識を真理とみなし、全ての事象に適用しようとするということ。(65字)

<参考 S台解答例>
反知性主義者は自己の信ずる真理性を絶対的なものと思い込み、他者の判断を考慮する余地を全く持たないということ。(54字)

<参考 K塾解答例>
自説を根拠づける豊富な知識を盾にして他人に一方的に語る人は、自らの思考枠がすべてに妥当する絶対性を備えていると思い込んでいること。(65字)

設問(三)「「あなたは生きている理由がない」と言われているに等しい」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

「どういうことか」なので内容説明タイプで、基本方針は「要素に分けて、本文の言葉を利用して、言い換え」である。それで、傍線部を見ると主部が欠如しているので、それを補うと「「あなたが何を考えようと、何を判断しようと、それは理非の判定に関与しない」ということは(A)/「あなたは生きている理由がない」(B)/と言われているに等しい(C)」になる。A要素は、個別具体的な記述なので一般化する必要がある。④段落の反知性主義者のあり方(X)を参考に、「自らを絶対化し他者性を無視する反知性主義者の言動」ぐらいに一般化すると良い。
そして、この設問の一番の肝はB要素の中の「生きている理由」をどう分かりやすく言い換えるかだ。これについて直接的な記述はない(つまり自明とされている)。しかし「生きている理由」を奪う反知性主義者が「他者性を無視する」(X)なら、逆に「生きている理由」を「自他の関与」(Y)の方向でまとめれば良いだろう。(人は、人と人の間に生きる「人間」だもの。)
加えて「生きている理由」は、例えば「靴下を左足からはく理由」とか「水曜の夜はカレーを食べる理由」とか何でもいいけれども、より根本的な次元にある。ここも解答に表現したいところ。C要素については、そのままでも構わないが、書いておかないと減点である。

<GV解答例>
自らを絶対化し他者性を無視する反知性主義者の言動は、自他が影響を及ぼしながら生きる人間の根源的あり方を否定するに等しいということ。(65字)

<参考 S台解答例>
自己を絶対化して他者の判断を無化する反知性主義者の言動は、人々の生きる力を否定して衰弱させる機能をもつということ。(57字)

<参考 K塾解答例>
自分の思考が相手に無視されることは、他者と応答し合いながら知を生成していくという人間の生のあり方が否定されるのと同じだということ。(65字)

設問(四)「その力動的プロセス全体を活気づけ、駆動させる力」(傍線部エ)とはどういう力のことか。(60字程度)

「どういう力のことか」なので内容説明タイプで、基本方針は「要素に分けて、本文の言葉を利用して、言い換え」である。本問は、第一問と違い、直後に「知性」と承けているだけなので、「知性の働き」をイメージしながら、傍線部分を具体的に言い換えたら良いだろう。それで、「その力動プロセス全体を(A)/活気づけ(B)/駆動させる力(C)」に分ける。
A要素については、指示内容を直前の文に求めるのは当然だが、ここでスペースを使うのは勿体ない(簡単すぎるし、他に重要なポイントがあるはず)。「集団で合意形成を目指す過程」ぐらいで良いだろう。
B要素については、傍線部エの次段落(⑨段落)、具体例をはさんだ後の「「それまで思いつかなかったことがしたくなる」というかたちでの影響を周囲にいる他者たちに及ぼす力(=知性)」を利用する。「成員相互に個々では到達し得ない発想や動機づけをもたらし」としてAから繋ぐ。
最後にC要素だが、これが難しい。傍線部に戻り、そこでの位置付けを確認する。「力動的プロセス全体を…○○に駆動させる力(=知性)」つまり「力(=知性)が/○○に/力動的プロセス全体を/駆動させる」。先のB要素が「集団」にあることで「成員」たちを活性化する力(=知性)のベクトル(集団➡️成員️)ならば、C要素は、そのことで逆に、覚醒した「成員」たちに「集団」を駆動させる力(=知性)のベクトル(成員➡️集団)ではないか。この理解を踏まえて、⑩段落の記述「その人がいることによって…集団全体の知的パフォーマンスが…高まった」を利用して、以下のようにまとめた。

<GV解答例>
集団で合意形成を目指す過程で、成員相互に個々人では到達しえない発想や動機づけをもたらし、そのことで逆に集団の知的生産性を高める力。(65字)

<参考 S台解答例>
相互に影響を及ぼすことで人々に新たな気づきと発想をもたらし、集団全体の知的活動を刺激して合意形成へと促す知性の力。(57字)

<参考 K塾解答例>
集団内でのやりとりを通じた合意形成に至る過程で、個人だけでは思いもよらぬ発想を人々にもたらし、人々相互の活発な知的活動を創出する力。(66字)

設問(五)「この基準を適用して人物鑑定を誤ったことはない」(傍線部オ)とはどういうことか、本文全体の趣旨を踏まえた上で100字以上120字以内で説明せよ。

内容説明型の要約問題。基本的な手順は以下の通り。

1️⃣ 傍線部自体を簡単に言い換える。(解答の足場)
2️⃣ 「足場」につながる論旨を取捨し、構文を決定する。(アウトライン)
3️⃣ 必要な要素を全文からピックし、アウトラインを具体化する。(ディテール)

1️⃣ 傍線部オは最終⑪段落の結論部にあり、筆者の実感に基づき「反知性的」人物(X)の見分け方について断定しているところだ。それを踏まえて、傍線部オを「この基準にあてはまる者は/経験上/反知性的といえる」と言い換える。そして「この基準」を具体化し、主語を置き換え、「当人の知力の発動により集団の知的パフォーマンスを下げる者(X)は/経験上/反知性的といえる」(A)としておく。
2️⃣ 土台ができた。後は、どんな内容を付け足す必要があるか?繰り返すが、Aは「反知性的」な人物についての筆者の実感に基づく判断である。その判断に説得力を加えるには、「知性(Y)とは?」または「反知性(X)とは?」についての理論的な裏付けが必要であり、実際、傍線部オに至るまで「知性/反知性」についての理論的考察が述べられたのだった。
ここでは、Aが反知性(X)について述べられてる部分なので、知性(Y)についての記述を前半に加えて「知性とはYであり/経験上も/当人の知力の発動により集団の知的パフォーマンスを下げる者(X)は/反知性的だといえる」という構文でまとめることに決定する。YとXの対比に気を配り、できるだけ重なりのないスマートな解答に仕上げたい。
3️⃣ Yの要素を本文全体から拾う。まず結論の裏側にあたる⑩段落から、「知性は(個人の属性ではなく)集団的にしか発動しない」(Y1)と、知性は集団の知的パフォーマンスが高まった場合に「事後的」に評価されるという要素(Y2)をピックする。
他にYについて顕著な記述があるのは、各々設問(一)(四)で問われている③段落と⑧⑨段落だ。③段落では、他者の受容を契機とした「知の自己刷新」を知性とし(他者➡️自己)、⑨段落では、他者に新しい発想を及ぼす力を知性としている(自己➡️他者)。ここは分けて書くと字数を奪うので、工夫してまとめて表現したいところ。
翻って、先ほど「当人の知力の発動により」と書いたところも具体化し、反知性(X)における「他者性の無視(X1)」「知の属人性(X2)」の要素を加えておいた(Y1↔️X1/Y2↔️X2)。

<GV解答例>
知性とは、集団の中で成員が自他の意見を交換しながら知的枠組みを刷新し、集団の知的生産性を高めた場合、結果として認められるものであり、経験上も、高い知性を自負し、一方的に自説を押し付け集団の活力を低下させる者は、反知性的だといえるということ。(120字)

<参考 S台解答例>
現在の日本を考えるとき、自己の独善的な主張を周囲に強いる人間が知性的であった例のないことから、私たちは反知性主義者の偏った情熱に屈することなく、知性を重視して他者とともに自己刷新をつづけ、集団全体を知的に活性化していく必要があるということ。(120字)

<参考 K塾解答例>
知性とは、個々人が互いに異なる意見に耳を傾け、自らの思考枠を刷新しつつ集団の知的活動を活性化するものである以上、自己の知識を誇示し、独断的な考えを主張するだけで、他の人々の知的創造力を失わせる人物が、知性的であったためしはない、ということ。(120字)

<参考 T進解答例>
知性とは、個人に属する豊かな知識のことではなく、他者の判断を受け容れつつ、他者の知の枠組みを刷新していく集団的な現象であり、集団の知的営為を向上させたかどうかを事後的に知性的か否かの基準とする人物評価の妥当性に、筆者は自信があるということ。(120字)

設問(六)
a.陳腐    b.怠惰    c.頻繁

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