見出し画像

2019東京大学/国語/第四問(随想)/解答解説

【2019東京大学/国語/第四問(随想)】  

〈本文理解〉
出典は是枝裕和「ヌガー」。筆者は、映画『万引き家族』で監督として2018年カンヌ映画祭のパルムドールを受賞した。
①段落。迷い子になった。
②段落。僕が六歳か七歳かの時だったと思う。乗り慣れた東武東上線の電車の中での出来事だった。車窓の風景を見るのが何より好きだった僕は、座っている母から少し離れたドアの前に立ち、夕暮れの町並みを目で追っていた。風景が止まり、又動き出す、その繰り返しに夢中になっていた僕は視界から遠ざかっていく「下赤塚」という駅名に気付いて凍りついた。それは僕たちが降りるはずの駅だった。
③段落。次の駅で降りれば、そこから家までは小学校の通学路だ。ひとりでもなんとか家に辿り着けるだろう。母はそう考えて、そのまま家に帰り、僕の帰りを待つことにしたようだ。しかし、僕がそのことに気付いたのは、既に電車が次の駅を通過した後だった。その二度目の失敗に余程動揺したのだろう、僕は会社帰りのサラリーマンでほぼ座席の埋まった車内をウロウロと歩き始めた。
④段落。(どうしようどうしよう)じっとしていることに耐えられず、僕は途方に暮れてただ右往左往を繰り返した。その時の、僕の背負い込んだ不幸には何の関心も示さない乗客たちの姿が強く印象に残っている。それはぞっとするくらい冷たい風景だ。「その風景の、僕との無縁さが不安を一層加速させた」(傍線部ア)。
⑤段落。記憶の中での次のシーンでは、僕は駅のホームに設けられた薄暗い駅員室のような場所にポツンと座っている。僕はその部屋で母の迎えを待つことになったのだ。
⑥段落。母を待っている姿があんまり寂しそうだったからか、駅員が僕の手のひらに菓子をひとつ握らせてくれた。ヌガーだった。キャラメルのような歯ごたえの、あの白いやつだ。僕はお礼も言わずに、そのヌガーをほおばった。しばらく噛んでいると甘さの奥にピーナッツの香ばしさが口いっぱいに広がった。美味しかった。ああ‥‥今度はこのお菓子を母親に買ってもらおうと、その時思った。「その瞬間、僕の中から不安は消えていた」(傍線部イ)。  

⑦段落。迷い子になったときにその子供を襲う不安は、両親を見失ったというような単純なものでは恐らくない。それは、僕のことなど知ることもない「世界」と、そしてその無関心と、否応なく直面させられる大きな戸惑いである。その疎外感の体験が少年を恐怖の底に突き落とすのだろう。自分を無条件に受け入れ庇護してくれる存在の元を離れ、「他者」(それが善意であれ悪意であれ)としての世界と向き合う──人が大人になっていく過程でいずれは誰もが経験しなくてはいけない「このような邂逅を、予行演習として暴力的に体験させられる」(傍線部ウ)──それが迷い子という経験なのではないだろうか。だから迷い子は、産まれたての赤ん坊のように泣き叫ぶのだ。たったひとりで世界へ放り出されたことへの恐怖から、これでもかと泣くのだ。そして、どんなに泣いても、もう孤独の世界と向き合っていかなくてはいけないのだと悟った時、少年は迷い子であることと訣別し、大人になるのだと思う。その時を境にして、母は、自分を包み込んでくれる世界そのものではなく、世界の片隅で自分を待っていてくれるだけの小さな存在に変質してしまう──。かつて迷い子だった大人は、そのことに気付いた時、「今度はこっそりと泣くのである」(傍線部エ)。  

〈設問解説〉
問一 「その風景の、僕との無縁さが不安を一層加速させた」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)  

内容説明問題(心情)。「その風景」とは「(それは)ぞっとするくらいの冷たい風景」であり、「それ」は「その時の、僕の背負い込んだ不幸には何の関心も示さない乗客たちの姿」である。「その時」、「僕」は迷い子となり電車の中を「途方に暮れてただ右往左往を繰り返し」ていたのである。
つまり、迷い子となった「僕」は車内を途方に暮れ右往左往しているのに、乗客たちはそれに何の関心も示さない、その「風景」に子供の「僕」は、「ぞっと」したのである。この内容で傍線の「その風景の、僕との無縁さ」が説明でき、その「ぞっとするくらいの冷た」さが、不安を高めたのだ。「ぞっと」するは、「おののく」、「冷たい」は「疎外感」とそれぞれ置き換えた。傍線の「不安」は、特別な意味でもないので、そのままにしておく。
注意しないといけないのは、「不安」を感じる主体は「子供の僕」である。大人になった筆者の感情ではない、ということである。ここでの「僕」の感情は、迷い子に対しても全く無関心な大人たち、その「風景」自体に即して異様さを感じとり、おののき、不安が高じたのである。大人の目線で観念的な説明をしてはならないのである。  

<GV解答例>
車内で一人途方に暮れ右往左往する迷い子の僕は、それへ何の関心も示さない乗客たちの姿におののき疎外感を覚え、不安が高じたということ。(65)  

<参考 S台解答例>
迷い子になって母親とはぐれた上に、無関心な大人たちに囲まれる未知の疎外感に直面し、さらに恐怖を覚えたということ。(56)  

<参考 K塾解答例>
母とはぐれて電車に取り残された不安が、自分にまったく無関心な乗客たちに囲まれたことからくる疎外感によって、ますます募ってきたということ。(68)  

<参考 T進解答例>
迷子になって途方に暮れてうろつく自分の様子に全く無関心な他の乗客から、完全に疎外されていることを感じ、ますますどうしようもない気持ちが強まったということ。(77)  

問二 「その瞬間、僕の中から不安は消えていた」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか、説明せよ。(60字程度)  

理由説明問題(心情)。当然、「その瞬間」の指す内容が「不安が消えていた」の直接理由となる。その内容は、「今度このお菓子を母親に買ってもらおうと、その時思った」(A)である。ただ、Aのままでは、理由の説明とはならないので、とりあえずAをキープして広く見る。
迷い子になった「僕」は駅に保護され、母の迎えを待っている。それに駅員がヌガーを与え、「僕」はお礼も言わずに、それをほおばる。すると「甘さの奥にピーナッツの香ばしさが口いっぱいに広が」り、美味しいと思った(B)。この時の記憶が途切れがちの中、「美味しかった」という印象は現在の筆者に確実に残る。このBの要素が、迷い子としての不安が解ける第一段階。このBから、Aの連想が続くのである。その連想の中に、「母」の存在があるのを見逃してはならない。「僕」にとっての「母」は、⑦段落(筆者が「迷い子」の体験一般を考察する部分)に詳しい。ここで子にとっての「母」は「自分を包み込んでくれる世界そのもの」(C)とされる(「迷い子」はそれを失う経験)。
以上、ABCを総合すると、「僕」は駅員からのヌガーに思わず引き込まれる(B)。そこから、それを「母」に買ってもらいたいという連想が浮かぶ(A)。そのことが、「僕」の拠り所である「母」との関係を近くした(C)。よってその瞬間、「僕」の「不安が消えていた」のである。  

<GV解答例>
ヌガーの甘さに思わず引き込まれた上、今度それを母に買ってもらおうという考えが心を占め、自己の拠り所である母を近くに感じられたから。(65)  

<参考 S台解答例>
周囲の優しさに触れ、お菓子の甘さに包まれ母親を思い出したことで、自分を庇護する者の存在を意識し落ち着きを取り戻したから。(60)  

<参考 K塾解答例>
母と離れた不安の中、母を待つ間に駅員のくれた甘いヌガーを味わい、それを母に買ってもらうことを想像して、母のいる日常を取り戻せた気になったから。(71)  

<参考 T進解答例>
駅員がくれたヌガーをほおばったことをきっかけに母のことを思い出し、自分を無条件に庇護してくれる存在との確かなつながりを回復できたように感じられたから。(75)  

問三 「このような邂逅を、予行演習として暴力的に体験させられる」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)  

内容説明問題。傍線は「──」によって挟まれる挿入部にある。ここは、前部の内容を別の側面から言い換え、後部で「それが迷い子という経験なのではないだろうか」と承けられる、「迷い子という経験」が象徴する意味を説明した部分である(それが「迷い子の経験」であるなど自明なので、答案に加えるのは無駄だ)。
傍線を分けて把握する。「このような邂逅を(A)/予行演習として(B)/暴力的に体験させられる(C)」。まずはAの指示語を具体化する。「邂逅」とは「突然の出会い」のことだが、これは「──」の前部より、「自分を無条件に受け入れ庇護してくれる存在の元を離れ/「他者」としての世界と向き合う」に相当する。ここから「他者」の説明が必要になるが、これは「…庇護してくれる存在(=母=自分を包み込んでくれる世界そのもの)」との対比と語義から考え、「自己の意のままにならない存在」というところである。こういう「他者」との「邂逅」は、「人が大人になっていく過程」(傍線直前)で経験するが、大人になると一般化された関係となるのである(→「予行演習」)。
以上より、Aを中心に、BCも忘れず言い換えると、「子供の成長過程で(B1)/否応なく(C1)/庇護者から引き離され/自己の意のままにならない他者と対峙する大人の関係性を(A)/先取りして(B2)/迫られる(C2)」とまとめられる。  

<GV解答例>
子どもの成長過程で、否応なしに、庇護者から引き離され、自己のままにならぬ他者と対峙する大人の関係性を先取りして迫られるということ。(65)  

<参考 S台解答例>
迷い子とは、自分を無条件に受け入れてくれる存在から引き離され、大人の世界に否応なく対面させられる経験だということ。(57)  

<参考 K塾解答例>
大人になる過程で誰もが経験する、自分に無関心な他者の世界に向き合うという試練に、子どものうちに否応なく直面させられるのが、迷い子の経験だということ。(74)  

<参考 T進解答例>
大人になる過程で誰もが経験する、何の庇護もなく一人で、自分とのつながりを持たずにただ存在する世界に向き合う状況に、子どものうちに否応なく直面させられること。(78)  

問四 「今度はこっそりと泣くのである」(傍線部エ)とあるが、それはなぜか。(60字程度)  

理由説明問題(心情)。理由を考える前に、傍線の「今度は」という表現に着目すると、一度「は」、迷い子として「泣き叫」んだ。今度「は」、「こっそりと」泣くのである。では、どうして?
直接には傍線直前「(かつて迷い子だった大人は)そのことに気付いた」から、である。何に気付いたのか?「母は、自分を包み込んでくれる世界そのものではなく、世界の片隅で自分を待っていてくれるだけの小さな存在に変質してしまう」こと(A)に気付いたのである。「今度は」と対応させて、変質に気付く「境」である「その時」も明確にしたい。それは、迷い子としてひとしきり泣いた後、「もう孤独に世界と向き合っていかなくてはいけないのだと悟った時」(B)である。以上より「Bを境に、Aに気付いたから」と解答できるが、まだ「こっそりと」泣くにきれいにつながらない。
「自分を包み込んでくれる世界そのもの」だった母が一人の存在に変質したことに気付き、大人になるとはどういうことだろうか。そこには、「自分を包み込んでくれる世界そのもの」であった母への「惜別の感」があるのではないか。そのことをしみじみと感じ大人になった「僕」(たち)は、かといって人前でおいおい泣くわけにもいかないから、「こっそりと」泣くのである。ここにある本質的な感情は「惜別/愛惜」しかありえないのである。  

<GV解答例>
孤独に世界と向き合わねばならないと悟った時を境に、母が自分を包み込む世界そのものでなくなったことに気づき、その変質を愛惜するから。(65)  

<参考 S台解答例>
自分を庇護する存在はもはやなく、世界と孤独に向き合うしかないと思い知った大人は、自分で自分を慰めて生きるしかないから。(59)  

<参考 K塾解答例>
孤独に世界と向き合う大人は、自分を庇護してくれる世界そのものであった母との関係を失い、母が自分を待つだけの小さな存在となったことに気づき、悲しくなるから。(77)  

<参考 T進解答例>
大人は、自分を庇護してくれる世界そのものだった母が、今や自分を待つだけの小さな存在と化したことに気づき、一人で世界に向きあって生きる孤独を痛感するから。(76)

〈設問着眼点まとめ〉
一.心理主体の確認→子供時の「僕」。
二.「ヌガーの甘さ」→「母」(拠り所)の連想。
三.「他者」を対立項(母)と語義から具体化。
四.「母」(拠り所)を失う感情の特定。  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?