信じる、愛する
「あなたのこと信じてるから」と伝えるのは、自分の心の奥に疑いがあるからな気がする。
「あなたを愛している」は本心でも、言葉にすると薄っぺらく感じてしまう。
「ずっと一緒だよ」と告げると、やがての別れを予知しているかのようだ。
そんな感じのひねくれ者だが、ふと愛が心によぎった時はすぐに伝えるようにしたいと思ってる。
誰かに裏切られたと思う瞬間もあったけれど、それはこちらが勝手にその人に期待していただけでして。
そんな人を見抜けなかった自分の底の浅さこそが丸見えで恥ずかしくて消えたくなるわけで。
本当に信頼し合える関係性は、わざわざSNSで他人に見せつける必要もない。
そんな事より、目の前の人に愛を素直に表現した方がいい。
「私の恋人」「私の友達」「私の仕事仲間」「私の世界」「私の美しさ」
すごいでしょう?綺麗でしょう?煌めいてるでしょう?恵まれてるでしょう?
必死に誇示するごとに、なぜか現実世界は錆びてゆくんだよね。
そもそも人は信用するしないの対象じゃないと思うのよ。
だってさ、その信用の基準は何?
みんな自分とは別の生き物で、その人の基準は変わっていくのが当たり前。
自分だって変化してるわけだから。
その人が以前と変わった事で信じられなくなったとしても、その人にとっては成長してるつもりかもしれないし、自覚があって闇堕ちしているかもしれない。
いずれにしても、こちらにはその変化の推測をすることしかできない。
それは例え長年連れ添った人であっても。
誰もが自分だけの世界を生きていて、他人が望む何かを演じている。
その人が変わったのではなく、こちらが知らなかっただけかもしれない。
そして、相手も同じ事を感じているかも。
そんなだから、あーだこーだ相手を定義するよりも、ただ愛せばいいと思う。
今のその人も、過去のその人も、これから変わるその人も。
大切な人は、ただ愛するしかできないんだよ。
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