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1970年代〜2000年代に海外ミュージシャンを招聘したプロモーターたちと大手レコード会社たちの思惑


SMS(Sophisticated Mad Sh*t)で知り合った欧米人の友達の話やYTのコメントをチェックすると、特に'70〜'00年代には大物ミュージシャンのライヴで、後に世界的に有名になるバンド(例外もある)が前座(Opening Act)で登場するようだ。
こういう事を聞くと我々日本人観客たちは高額なチケット代を捻出して一つのバンドだけを観た事になる。
何かさらに最高のバンドを見逃した気分になる(後に来日)。
とても羨ましいような…

 '70年代中盤からやっとコンサートに行けるようになったが、記憶に残る名前の前座があったライヴは、三つ(!)もある。
その前座のミュージシャンとは、バウワウ、YMOである。
洋楽ファンの端くれとしては、率直に言うとその日本人バンドには興味をそそられなかった。
バウワウが何を演奏したのかどの前座だったのか覚えていないし、後に有名になるYMOの楽曲のテクノサウンドに全く馴染まなかった(ドイツのクラフトワークのパクリとしか思えなくて)。
過去に日本人ロックミュージシャンの中にも演奏が上手くて素晴らしい私好みのバンドもいたのだが…
COLDPLAYの前座の外国人アーティストはエレクトロニクスな曲を30分くらい演奏し、私は頭痛がしてきた。周りの観客たちはおしゃべりしていた。
ようやく目当てのバンドが登場すると観客たちは総立ちに。

一般的に前座よりもお目当てのバンドを早く観たいという気持ちもあるだろう。
 さて、私が観た1976年代以降の日本で開催されたコンサートのチケットを見ると席種がS席からC席まであったがいつの間にかS席とA席だけの選択になっていた。正面あるいは正面に近い場所であれば、日本武道館のアリーナ(地下)から2階席までS席だ。S席は¥3,000→¥3,800→¥4,500とさらに我々観客たちの了承なしに高くなって行った。ちなみにC席は¥1,800。

 1970年代初期の日本でのコンサート、LED ZEPPELIN、DONOVAN、GFRの伝説の土砂降り雨/嵐の中での後楽園球場、箱根アフロディーテでのPINK FLOYD(数年前に写真集が出ていて当時のファン達の服装、参加した日本人ミュージシャン達、会場の雰囲気など興味深い)、JOHN MAYALL、CHICAGO、B,S&T、CCRなど住んでいた場所が会場から遠隔地である事で観られず未だに悔しい。
職場の年上の同僚が、1966年のBEATLESのコンサートに行っており、チケット/プログラムを拝見したが、保存状態はかなり良く美しかった。

で、当時はTVでしか観られなかったCARPENTERSのライヴの前だったか、インタヴューがあり、リチャードが笑顔で言った「日本はカネになるなぁ!」
Carpentersのイメージもあり、この一言に大ショックを受けてしまった。
どうやら、その当時のアメリカでのチケット代は日本と比較するととても安いらしい。
 前座の件については、他の欧米ツアーと比較はできないが、多くの観客をもっと楽しませたいというようなサービス精神旺盛のアメリカ文化を思う。
はて、日本の大手プロモーターたち&大手レコード会社たちは、観客へのサービスを考えていたのか?
キッパリ否。

例えば、観客がステージに上がること(外国でも多々あり)を想定したのかステージと観客たちの間(アリーナあるいは一階席)に1メートル以上の距離があった。ミュージシャンたちの中にも恐怖や警戒心があったかも知れない。メンバーとの握手なんて無理。しかしながら、ステージに観客のおんなのこを呼んで一緒にダンスしたりと言うようなシーンもあった。

 日本の音楽関係者たち、ここんところハッキリしていただきたい(東海林さだおさん風に)。
あと、いわゆる音楽評論家を標榜する人たちは招待客扱いだったと思う。
招待席は傍目にもわかるようになっていた。
武道館内の廊下で見た故福田一郎氏と大貫憲章氏はどっちの席だったのだろう。
評論家たちは招待席か一般席かそこんところハッキリしていただきたい(東海林さだおさん風に)。

 日本はすでに世界でも名だたるリッチな国になっていた。
世界でも洋楽市場の2位か3位だった。
80年代に入り、ほとんどの日本人たちが洋楽(MTVの登場など)に目覚め、来日公演ラッシュであった。開演間際に会場に着くと大勢のダフマンたちがいてチケット代を安くしてくれ、「彼氏と行きな」って一枚無料でくれたことがあった。

現在、ロックに限らずコンサートのチケット代は欧米でも非常に高くなっており、SNSでもロックファンたちが嘆いている。








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