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どこから見るかで大違い

久々の、本当に久々の出張。
新幹線に乗って、大阪へ。

進行方向右側の座席を予約し、
PCの充電を確保。
それは同時に、富士山の特等席
をも意味する。

今日の午前は雲一つない快晴。
素晴らしい姿を拝むことができ、
それだけで幸せな気分に。

冒頭の写真は、三島市の辺り。
これが、富士市まで入ってくると
こんな感じになる。

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右肩が盛り上がっているのが
分かるだろう。
これは宝永山
江戸時代(宝永4年=1707年)に出来た
噴火口である。
これがあるので、静岡側から見た
富士山は、左右の稜線が均等ではない

これに対して、山梨側から見た富士山は、
左右の稜線がほぼ均等に見える。
毎年、正月に山梨県大月市の側から
富士山を拝むのが恒例なのだが、
これはその時の写真の一つ。

画像2

今日、新幹線で撮ったものとは、
富士山までの距離がかなり異なる
ので、比較しにくい部分もあるが、
私などはやはり山梨側からの眺めの
方が美しいと感じてしまう。

同じ静岡でも、冒頭の三島とか、
御殿場あたりからだと、宝永山の
盛り上がりが稜線とかぶらず、
山梨側に近い見え方となる。

もちろん、宝永山の盛り上がりが
見えている富士山も、十分に美しい。
「あばたもエクボ」よろしく、
あの宝永山が良いのだ!という人も
いるだろう。

静岡県と山梨県では、どちらからの
眺めがより美しいかという論争が
絶えない
というのは有名な話。
ただ、この辺は好みの問題なので、
争っても詮無いこと。
好みというよりは、恐らく自分たちの
住んでいる場所への愛着から来る
ところが大きいはず。

ここに、空からの富士山の眺めまで
参入してきたら、永遠に決着が
つかなくなりそうだ。

同じ富士山であっても、
眺める場所の違いで、かように
論争まで巻き起こるというのは、
ある意味面白い。
「群盲象をなでる」のことわざを
彷彿とさせる。

葛飾北斎は、『富嶽三十六景』
描いて、江戸時代に旅行ブームを
巻き起こしたといわれる。
色々なところから見る富士山が、
それぞれにユニークで味わい深く、
是非そんな富士山を眺めてみたい
という大衆の欲望を喚起した。

一つの対象物を、ありとあらゆる
角度から眺め、それぞれの視点に
おける面白さを見い出し、それを
広く知らしめていく。

これは、いわゆる「PR」でとても
大切な視点


自分の商品やサービスには、
いいところがないんです・・・
自信なさげにこぼす人もいるが、
もう一度、ありとあらゆる角度から
眺めまわしてはどうか。

宝永山のような「あばた」を、
「えくぼ」に変えることができる
かもしれない。
三島から、富士から、大月から、
あるいは飛行機から、見る場所を
変えるだけで何か新しい発見が
あるかもしれない。


今日の富士山を眺めながら、
そんなことを考えたのだった。



己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。