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マーケターの要素を葛飾北斎に見る

このnoteを毎日更新し始めたのが
2020年の1月1日。
今日は271日目となる。
最初の1月1日は、元旦にふさわしく
富士山の写真、「富嶽に思う」という
気取ったタイトルを付け、葛飾北斎の
ことについて触れる内容だった。
その写真は、富嶽三十六景の41番目に
ある「犬目峠」から撮ったもの。
妻の実家がある大月市のはずれに位置
しており、冬には大層美しい富士山の
姿が拝める。

昨年の4月、桜がそろそろ散ろうかと
いうタイミングで、すみだ北斎美術館
を訪れた。
北斎が描いた様々な動物たちをテーマ
にした特別展、「北斎アニマルズ」
なるものを催していて、それを観に
行ったのだ。

アニマルたちも良かったし、常設展の
様々な絵も全て興味深く楽しませて
もらったのだが、とりわけ心に残った
のが、90歳の長命であったことや、
93回も転居を繰り返したこと、そして
死ぬ間際まで「もっと絵を上手く書き
たい」という強い意欲を持ち続けた
ということ。
実際、富嶽三十六景は70歳を超えて
からの作品。
本人曰く、73歳でようやく鳥や虫が
思う通りに描けるようになり、この
まま110歳まで努力すれば、まるで
生きているような絵が描けるように
なるはずだ、だから長生きさせて
欲しいものだ、ということである。

そんな北斎に、マーケター的な要素
を見受けたエピソードがあるのを目に
した。

彼が73歳の時に、天保の飢饉が勃発、
江戸でも多くの餓死者が出るという
状況下では、なかなか絵が売れようも
ない。
一計を案じた北斎が採った手段が、
「絵直し」というサービス。

これは、お客様の側が、点なり線なり
描いたものを用意すると、北斎がそこ
に大きく加筆して、完成品に仕上げる
というもの。
このサービスがヒットして、厳しい
時代を生き延びることができたと
いうことだ。

北斎ほどの有名画家のこと、
「良いものを描けば売れる」
とふんぞり返っていてもおかしくない。
そんなことを言ってられない、切羽
詰まった状況だったこともあるのかも
しれないが、単に絵が欲しい、という
ニーズだけでなく、
「一流画家との共同作業」
という付加価値を創造して売り出した
がために、庶民の間で大人気になった
のである。

とても柔軟な発想で難局を切り抜けた
わけだが、お客様の潜在的なニーズを
感じ取って、実際のサービスとして
具現化した実行力と併せて、北斎の
優秀なマーケターとしての側面を見た
思いがするのである。

今年は、北斎の生誕260年らしい。
日本だけでなく海外でも極めて評価の
高い「日本の宝」、これからも更に
注目を浴び続けるのだろう。



己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。