「営業」という言葉のニュアンス
ドラッカーと言えば、経営学者として
右に並ぶもの無き偉大なる先達だ。
彼に私淑している人は数知れず。
その著作が世界中のビジネスパーソンに
与えた影響は計り知れない。
私自身、彼の本から直接的に学んだ
ことが多いのはもちろんのこと、
彼の教えを実践している方々から
間接的に学んだことが数限りなく
あるように思う。
「マーケティングの神様」の異名を
取るフィリップ・コトラー氏は、
「(現代)マーケティングの父」と
呼ばれることもある。
そのコトラー氏をして、
「私が父であるならば、ドラッカーは
マーケティングの祖父である」
と言わしめている。
そんな、「神様の父親」である
彼は、マーケティングの究極の目的は
「セリング(販売)を不要にすること」
だと言う。
先日、ご縁あって参加させてもらって
いるドラッカーの勉強会で、この辺に
関係する話が出て来たので、先生に
質問を投げかけてみた。
その際、
「ドラッカーは、マーケティングを
”営業を不要にすること” と定義して
いますが、云々・・・」
と書いてしまい、先生から
「ドラッカーは、営業を不要にする
とは言ってないですよ、販売を不要
にするとは言ってますが・・・」
という趣旨の返答が返ってきた。
「しまった!」と思ったが、時既に
遅し、自分の不注意を恥じる羽目と
なったのである。
ドラッカーが言っていたのは確かに
「販売(セリング)を不要にすること」
であり、
「営業を不要にすること」とは一言も
言っていない。
「セリング=販売」
「販売≒営業」
という図式が頭の中にあり、あまり
意識せずに「販売」と「営業」が入れ
替わってしまっていたのだった。
「営業」は単なる「販売」ではない、
もっと高度な営みだ。
「業」を「営む」のが「営業」。
屁理屈に聞こえるかもしれないが、
あるいは野暮に感じる人が多いかも
しれないが、言葉の成り立ちから
すればそういうことだ。
つまりは、「商売」そのもの、
「事業経営」そのものに近いと
考えた方が良い。
モノを売るだけではない。
それがお客様にとってどんな意味を
持つのか、どんな嬉しさを、価値を
お渡しすることができるのか。
実際に売る瞬間の前に、それなりの
長きにわたって時間をかけ、ニーズ
の汲み取りやお膳立てを行い、
また売った後もより望ましい使い方
を伝える等して価値の実感を後押し
する。
そして、そう考えるならば、
私が考えている「マーケティング」
の定義と非常に近しいことになる。
「コンサルティング営業」という
言葉がある。
お客様に耳を傾け、何が問題かを特定
し、その問題を解決する策を提示する
ような営業、そんな意味合い。
しかし、「コンサルティング」という
言葉をわざわざ頭に付けずとも、
営業たるものすべからくそうあるべき
だと思う。
問題を解決してこそ、お客様のお役に
立つことができるのであり、そこに
こそ営業の本質があるといって差し
支えないのだから。
ついつい、マーケティングとの対比で
「営業」という言葉を使いがちだった
ところを改めるのに、良いきっかけに
なった。
あくまでも「マーケティング」の
対義語は「販売」であり、
「営業」はむしろ類義語なのである。
己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。