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女の子の自己肯定感とクズ男の話。

大学時代、教職課程を取っていました。その時に学んだことで一番覚えているのは自己肯定感についての授業。

自分はこのままでもいいんだ、このままで他者から大切にされるんだという自信と安心感、子供は周りの大人から愛情を注がれて、その子の持つ愛情の器が一杯になって溢れだしたとき、初めてその子は他人に愛情を注げるらしい云々。確かこんな感じでした。

初めて彼氏の出来た大学生の頃からつい最近まで、DVやらモラハラやら浮気性やらギャンブル、本当により取り見取りのクズな男とつるんでいました。(つるんでいたというのは、付き合っていた男と付き合っていたんだかいないんだかよくわからない男もいたのでそう言います)

両親に常にお前はダメな子だ、ブスでデブでどうしようもない子だと言われて育った私は、クズにとってとっても都合がよかったと思います。

悪い男はよく知っています。そういう自己肯定感の低い女は、かわいいとか君が必要だとかこんな俺だけど愛してるとか言えば自分のもとからいなくならないことをよーく知っています。なので男にいいように扱われても私は、こんな自分でも好いてくれる人がいる、ほめてくれるひとがいる、私の居場所は家ではなくこの人のところなんだと思っていました。

今思うと頭おかしいけれど、当時は本気でそう思って、この人を逃したらもう一生誰からも相手にされないと、尽くして尽くして捨てられる恋愛を何度も繰り返していました。

5年前姉が女の子を産みました。

私は会うたびに可愛い可愛いというし、何をしても大げさに褒めるようにしています。たとえ反抗期を迎えて、姉と喧嘩をして家を飛び出したとしても、おばの私は絶対的な味方であり居場所でありたいのです。姪っ子にはクズに依存して搾取されるような女の子には絶対なって欲しくないのです。

自己肯定感がもし自分にあったなら、クズに出会ってもそんな男と過ごすのは時間の無駄だと気付けた気がします。捨てないでと男に泣いてすがることもなく、きっぱり断ち切れた気がします。

子供、特に女の子に周りの大人が持たせないといけないものは兎にも角にも自己肯定感、そう私は思います。


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