見出し画像

ミランダ クラッキ列伝 第164回 下薗昌記 月刊ピンドラーマ2023年7月号

ミランダ

技術の高さだけでなく一癖も二癖もあるアタッカーと対峙するザゲイロ(CB)は、しばしば「屈強な」という枕詞で語られる選手は数多い。

しかし、芸術サッカーの国ブラジルはその歴史において華麗さも持ち合わせる名ザゲイロを生み出してきた。

古くはドミンゴス・ダ・ギアやカルロス・アルベルト・トーレス、さらにはマウロ・ガウヴァンらである。

2023年1月、世界的な活躍を見せてきた元ブラジル代表CBがスパイクを脱いだ。男の名は、ジョアン・ミランダ・デ・ソウザ・フィーリョ。ミランダの登録名で知られた彼は、ゴール前で体を張る守備の人でありながら汚さではなく、美しさで多くのサポーターを魅了したクラッキだった。

2022年限りで一時代を築いたサンパウロFCとの契約が満了。38歳のミランダは「その時が来た。本当にありがとう、サッカー。僕の歴史は残る」と自身のインスタグラムに投稿。引退を宣言したのだ。

国際サッカー連盟の公式サイトはすかさず「華麗で堂々たるミランダが38歳でサッカーから引退」との見出しでその功績を称えたが、近年のブラジルサッカー界が輩出した世界的ザゲイロだったのは言うまでもない。

1984年、パラナ州のパラナヴァイーで生まれたミランダは、12人きょうだいの末っ子だった。ミランダは大家族をサッカーに例えて、かつてこんな冗談を語ったことがある。

「うちの母はレギュラーとリザーブ(補欠)を持っていた。でも彼女がリザーブを持っていてくれて良かったよ、じゃないと僕が生まれていないからね」

人口87000人の町で生まれたミランダだが11歳で父を失い、6歳の時に幼きミランダにとってのアイドルだった兄を事故で失っている。

ピウと呼ばれた兄はアマチュアだったが、建設会社で働いている際、不幸な感電死でこの世を去っている。

6歳の少年は息子の死に打ちひしがれる母に葬儀の日、こう誓ったという。
「母さん、泣かないで。僕が兄さんのようになるから」

それ以来、サッカーに打ち込んだ細身の少年はコリチーバの下部組織から2004年、トップチームに昇格。フランスのソショー=モンベリアルを経て、2006年にサンパウロFCに移籍するとブラジル全国選手権で初となる三連覇に貢献。国内屈指のザゲイロとして成功街道を歩み始める。

ブラジル代表でも南米予選などで活躍しながら2010年の南アフリカ大会と2014年のブラジル大会には縁がなかったが2018年のロシア大会には主力として出場。しかしベルギーに準々決勝で敗れた一戦は「キャリアで最も大きな失望」と位置付けた。

ブラジル代表では2019年のコパ・アメリカ制覇にも貢献したが世界一には手が届かなかったものの、欧州のクラブシーンでもミランダの名は確かに歴史に刻まれている。

スペインのアトレティコ・マドリーには2011年から2015年まで在籍。世界屈指の守備戦術を構築する名将、元アルゼンチン代表のディエゴ・シメオネが信頼を置くCBとして堅守に貢献し、2013-14シーズンには18年ぶりのスペインリーグ優勝の原動力にもなった。

引退の知らせを聞いたシメオネも「君の素晴らしきキャリアに最大限の賛辞を送るよ。僕とともに戦ってくれて、ありがとう。新しいステージでの幸運を祈る」とツイッターでメッセージを送った。

生まれは12番目で「補欠」だったのかもしれない。しかし、幼くして父と兄を亡くした細身の少年は、ブラジルのみならず世界のサッカー界にその名をしかと刻みつけた。 


下薗昌記(しもぞのまさき)
大阪外国語大学外国語学部ポルトガル・ブラジル語学科を卒業後、全国紙記者を経て、2002年にブラジルに「サッカー移住」。
約4年間で南米各国で400を超える試合を取材し、全国紙やサッカー専門誌などで執筆する。
現在は大阪を拠点にJリーグのブラジル人選手・監督を取材している。

月刊ピンドラーマ2023年7月号表紙

#サッカー #海外生活 #海外 #ブラジル #サンパウロ 
#月刊ピンドラーマ #ピンドラーマ #下薗昌記 #クラッキ列伝 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?