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ジエゴ クラッキ列伝 第158回 下薗昌記 月刊ピンドラーマ2022年12月号


ジエゴ

「ペレの未亡人」。2002年12月15日、サンパウロ市内のモルンビースタジアムに足を運ぶコリンチャンスサポーターは、34年間ビッグタイトルから遠ざかるサントスを揶揄するコールをし続けた。

舞台はブラジル全国選手権の決勝セカンドレグ。総当たり方式のリーグ戦で行われる現在と異なり、2002年の全国選手権はリーグ戦の上位8チームが再び決勝トーナメント方式で優勝を競う方式だった。

この大会で旋風を巻き起こしたのが17歳の天才MFを擁したサントス。ペレの引退以降、全国レベルの大会で優勝がなかった古豪は17歳のジエゴが背番号10を託され、18歳のロビーニョとのコンビで見事にサントスを優勝に導いたのだ。

サンパウロ州のリベイロン・プレット市で1985年に生まれたジエゴは幼少からその才能を見せていた。

幼少の頃のアイドルは、サンパウロFCのライー。当然、サンパウロFCのサポーターだったというが、ジエゴはサンパウロの下部組織に短期間所属したものの大都市での生活に適応できず、サントスの下部組織で本格的にプロを目指し始めた。

当時はクラブの財政に余裕がなく、若手を起用せざるを得なかったことも追い風となったが、2002年、ジエゴはエメルソン・レオン監督の指揮下で本格的に出番を得ると、サントスの攻撃を牽引する。

パス、ドリブル、シュートのいずれもが一級品。そしてやんちゃ坊主ぶりも際立っていた。

全国選手権の決勝トーナメント準々決勝では優勝候補の筆頭だったサンパウロFCと対戦。モルンビースタジアムでゴールを決めたジエゴは、あろうことかサンパウロFCのエンブレムを踏みつけ大喜び。怒ったファビオ・シンプリシオが詰め寄るなどスタジアムは大ブーイングをしたが17歳はどこ吹く風といった表情だった。

2003年にはコパ・リベルタドーレスの決勝でボカジュニオールズに敗れ、南米制覇は逃したが、ウルグアイのエル・パイス紙が選出する南米ベストイレブン入り。

2004年のコパ・リベルタドーレスで敗れた後、ポルトガルのポルトに移籍を果たすと年末のトヨタカップに欧州王者の一員として出場し、クラブ世界一のタイトルを手にするのだ。

その後、ブレーメンやユベントス、フェネルバフチェなど欧州各国の名門でプレーしたジエゴはブラジル代表でも2度のコパ・アメリカ制覇を果たすものの、ワールドカップには縁がないままだった。

そんなジエゴがキャリア最高の瞬間を過ごしたのが2016年から7年の時を過ごしたフラメンゴでの日々。

そして圧巻だったのは2019年のコパ・リベルタドーレス決勝のパフォーマンスだった。

キャプテンではありながら、先発の座を失っていたジエゴはジョルジ・ジェズス監督にとって貴重な切り札だったが、1点を追う後半に投入されると流れは一変。同点に追いついた後、終了間際にジエゴが繰り出したロングパスをリーベルプレートのCBが処理に戸惑うと、ガブリエウが抜け目なく決勝ゴールを叩き込んだのだ。

2003年の決勝では手にすることが出来なかったトロフィーをキャプテンとして掲げたジエゴは、2022年の決勝では出場機会がなかったが、自身2度目の南米王者の栄冠を手にし、この年限りでの引退を発表する。

37歳でスパイクを脱ぐことは決して近年のサッカー界では早すぎる年齢ではない。ただ17歳でデビューを果たし、20年間トップシーンを走り続けたサッカー選手は多くない。

現役引退を告げるツイッターでジエゴは、サントスの下部組織入りを果たした1997年当時の自身にこんな「手紙」を寄せた。

「夢を信じ、弛まぬ努力を続けてきた甲斐があったね。新しいサイクルに向けて出発し、新たな挑戦をする時が来た」

サントスの天才児はフラメンゴの英雄としてキャリアを終えた。


下薗昌記(しもぞのまさき)
大阪外国語大学外国語学部ポルトガル・ブラジル語学科を卒業後、全国紙記者を経て、2002年にブラジルに「サッカー移住」。
約4年間で南米各国で400を超える試合を取材し、全国紙やサッカー専門誌などで執筆する。
現在は大阪を拠点にJリーグのブラジル人選手・監督を取材している。

月刊ピンドラーマ2022年12月号
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