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ウェリントン・パウリスタ クラッキ列伝 第171回 下薗昌記 月刊ピンドラーマ2024年2月号

ウェリントン・パウリスタ

世代別代表の経験もなければ、ブラジル代表の招集歴もないが、ブラジルサッカーを知る者ならば、誰もが彼を「WP9」の愛称で知っている。ウェリントン・パウリスタ。9の数字が付くのは彼が生粋の点取り屋だったからだ。

2023年12月、王国きってのストライカーは20年間のプロキャリアにピリオドを打ち、緑の芝生に別れを告げた。

パウリスタの登録名が示すように、ウェリントン・ペレイラ・ド・ナシメントはサンパウロ市内で1983年、生を受けた。イタリア系の移民が集うモオカ区で育った彼は母方の祖父がイタリア系で、父方はペルナンブーコ州出身だった。

友人はパウメイラスサポーターが多かったというが、ナシメント家は家族全員がイタリア系をルーツに持つモオカ区を代表するクラブ、ジュベントゥス(もちろん、イタリアの名門ユベントスにちなむ名である)を応援していたという。

草サッカーやフットサルで技を磨いたウェリントンではあるが、決してエリートコースを歩んできた訳ではない。ポルトガル語で「ふるい」を意味する下部組織のテスト、ペネイラでは実に16回の不合格を経験。サンパウロやパウメイラスだけでなく、ジュベントゥスでは6回目のテストでようやく合格。十代の頃のウェリントンは小切手を回収する仕事をしながらサッカー選手への夢を辛うじてつなぐ日々だった。

ジュベントゥスの下部組織に入った当時、攻撃的な中盤だったがストライカーの才能はすぐに覚醒。パラナー・クルーベを経て2006年に加入したサントスではブラジル全国選手権で9得点を叩き出し、スペインのアラベスに移籍するもフィットせず、2008年にボタフォゴに移籍。ウェリントンは国内の主要4州全てのビッグクラブに所属し、ゴールを積み重ねていくのだ。

総当たり方式のリーグ戦に移行した2002年のブラジル全国選手権以降、最も得点しているのは158点のフレッジだがウェリントンはフラメンゴのエース、ガブリエウと並んで109得点で歴代3位(昨年12月時点)。

そんな流浪の点取り屋がキャリアの終盤に存在感を見せたのが2017年に加入したシャペコエンセだった。

2016年11月28日、コロンビアのメデジンに向かうシャペコエンセ一行を乗せた飛行機が墜落。選手ら77人が犠牲になったが、悲劇からの再建を目指すクラブが白羽の矢を立てたのがウェリントンだった。

2017年、初の公式戦でピッチに向かうウェリントンの背中には9番の数字が刻まれていたが、事故で亡くなったブルーノ・ランゲウの妻は「背番号9は私の夫のユニフォームの数字だった」とウェリントンを激励。涙を流しながらキックオフを迎えたウェリントンは見事にゴールを決めるのだ。

主力の大多数を失いながら翌年の2017年のブラジル全国選手権では8位でフィニッシュ。2018年にはシャペコエンセで通算102試合出場を果たすなど、137試合に出場したクルゼイロに次ぐ活躍を見せている。

ベロ・オリゾンテ市に本拠を置くアメリカでも2023年に12試合6得点をマーク。40歳とは思えない健在ぶりを見せたが「体はまだ元気だけど、もう頭の方は休みを必要としたんだ」(ウェリントン)。

ビッグタイトルには最後まで縁がなかったが、ゴールマシーンとして知られた「WP9」はキャリアの最後まで安定稼働を続けた。


下薗昌記(しもぞのまさき)
大阪外国語大学外国語学部ポルトガル・ブラジル語学科を卒業後、全国紙記者を経て、2002年にブラジルに「サッカー移住」。
約4年間で南米各国で400を超える試合を取材し、全国紙やサッカー専門誌などで執筆する。
現在は大阪を拠点にJリーグのブラジル人選手・監督を取材している。

月刊ピンドラーマ2024年2月号表紙

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