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ドリヴァウ・ジュニオール クラッキ列伝 第168回 下薗昌記 月刊ピンドラーマ2023年11月号

ドリヴァウ・ジュニオール

2012年にコパ・スダメリカーナを制覇して以来、ビッグタイトルから遠ざかっていた名門サンパウロが2023年9月24日、唯一手にしていなかったコパ・ド・ブラジルで優勝した。

パウメイラスやコリンチャンスを下し、決勝では近年の実績でサンパウロを上回るフラメンゴと対戦。決勝の2試合を1勝1分で乗り切ったサンパウロを栄冠に導いた指揮官、ドリヴァウ・ジュニオールは現役時代、パウメイラスなどで活躍した名ボランチだった。

1962年、サンパウロ州奥地の町、アララクアラ市で生を受けたドリヴァウは本名をドリヴァウ・シウヴェストレ・ジュニオールと言う。

父は地元のクラブ、フェロヴィアーリアのサッカー部門の理事を務めていたこともあって、幼き頃から「ジュニオール」と呼ばれていた少年は、フェロヴィアーリアのマスコットボーイとしてチームに帯同する存在だったという。

古き良き時代のサンパウロ州選手権でフェロヴィアーリアはペレ擁するサントスとも対戦。ジュニオール少年は「王様」との思い出をこう振り返る。
「ペレと手を繋いで入場した試合もあったんだ」

ジュニオールの叔父はパウメイラス史上屈指の英雄、アデミール・ダ・ギアともプレーした名手、ドゥドゥ。サッカー一族に育ったジュニオールだったが、15歳の時にシウヴェストレ家はマリリア市に引っ越したことでマリリアの下部組織で本格的にサッカーを始めたが、その後フェロヴィアーリアでプロデビューを飾るのだ。

そして1982年7月21日、若き俊英はついにプロデビューを飾る。相手は奇しくもサンパウロ。ワールドカップスペイン大会でイタリア相手に痛恨の敗戦を喫したブラジル代表の主力も当時のサンパウロには数多く在籍していた。

現役時代の登録名も「ジュニオール」だったドリヴァウだが、デビュー当時から技巧派のボランチとして注目を集め、サッカー専門誌「プラカール」は当時、「叔父と同じような成功を収めるだけの全てを持っている」と評している。

長身でタフに戦うボランチだったジュニオールは1989年から1992年までパウメイラスに在籍し、157試合に出場。自身のキャリアの中で最も多くの試合に出場しているが、ビッグタイトルには縁がなく1999年に現役を退いた。

叔父ドゥドゥほどの成功は収めきれなかったジュニオールだが、ドリヴァウ・ジュニオールとして知られる監督のキャリアでは今やブラジル国内でも屈指の成功を収めている。

2002年に現役時代の古巣であるフェロヴィアーリアで監督としてのキャリアをスタート。現在までブラジル国内の20クラブで指揮を執っているが、2022年にはフラメンゴをコパ・リベルタドーレス制覇に導き、大会最優秀監督に輝いた。

また2022年にはフラメンゴでコパ・ド・ブラジル優勝を果たしているが、監督として2年連続で優勝したのは1989年に始まったこの大会ではドリヴァウが初めて。

今やブラジル代表を率いてもおかしくない実績を持つ国内屈指の名将について、辛口コメンテーターのブラジル代表OBネットは2023年7月、自らの番組の中で「どうしてドリヴァウがブラジル代表の監督でないんだ」とフェルナンド・ジニスを暫定監督に選んだブラジルサッカー連盟の選択に疑問を呈した。

ワールドカップ南米予選で低調なスタートを切ったブラジル代表だが、ドリヴァウ待望論が持ち上がってもおかしくないだろう。

選手としては叔父を超えられなかったが、ブラジルのサッカー史で監督として刻み込んだ足跡は偉大な叔父に決して引けを取らないだろう。


下薗昌記(しもぞのまさき)
大阪外国語大学外国語学部ポルトガル・ブラジル語学科を卒業後、全国紙記者を経て、2002年にブラジルに「サッカー移住」。
約4年間で南米各国で400を超える試合を取材し、全国紙やサッカー専門誌などで執筆する。
現在は大阪を拠点にJリーグのブラジル人選手・監督を取材している。

月刊ピンドラーマ2023年11月号表紙

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