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月光再演。さようなら。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。
どこの誰が見ているかは想像もつきませんが、恐らくヨルシカが好きなんでしょう。
僕も好きです。


やっぱり「月光」は素敵って話

2019年12月11日、2022年3月20日どちらの「月光」も本当に素敵だった。幸せだった。
やっぱり楽しみな事が控えていたり、終わった後の翌日っていうのは、会場に行くまでの道のりだったり、出来事だったりっていうのが、何故か鮮明に思い出せる。

僕はライブに参加した次の日辺りに、そのライブのプレイリストを作る癖がある。
2019年に作ったセットリストは今でも偶にきく。
いつでも戻れた気分になる。

それほど、戻りたくなる。引き返したくなるのが「月光」というライブだった。確か2019年はあの二人がライブ慣れしてないという事も考慮されての小さめのキャパ。今回は3千とか5千とか平気で収容している。それでも変わらず感動を与える姿を見て、ああ、怪物なんだなと思う。

何よりもあのライブをより多くの人が体感できたことを、1ファンとして非常に喜ばしく感じる。

願うならば、あのライブの円盤化はしないで欲しい。
生で見て、受けた衝撃をいつでも振り返れるっていうのは、少し美しくない気がする。
たぶん、私はあのライブの円盤は買わない。
頭の中で懸命に思い出して、最高だったなと思い出すのが最高に楽しいと思うから。

n-bunaのラストのポエトリー

だぼやめ(だから僕は音楽を辞めたの略。僕は結構好き)の後のn-bunaのポエトリーがとても好きだ。
n-bunaというかエイミーの最期というべきか。

ライブのポエトリーを聴いていると、とても大人だなぁ。という印象のエイミー。また、死ぬ間際でもなんとなく、何処か他人事のような感じで、俯瞰したような感じで自分を見ているとも感じさせられた。だが、最後の最後で見せる人間臭さ。あれが言葉にならないくらい好きだ。

「今更だ、今更君に会いたいと思った」
「もう一度だけその泣いた顔が見たいと思った」

ヨルシカ月光より

そして木箱についても、

「君はそれを見て、何を思うのだろうか」
「分かってくれるだろうか」
「分かってくれないだろうな」

ヨルシカ月光より

と、想い人に想いを馳せるシーンと死という相反関係は美しさを感じさせる。皮肉にも。

だから僕は音楽を辞めたにも個人的には劣らない。そんな感動を与えるポエトリーだった。

ドラマチックな愛とか死って皮肉にも皆に刺さって売れるじゃないですか。どっかのヒッチコックでも言ってましたけどね。私も烏合の衆だなと実感させられます。

ちょっとだけ残念だった事


夕凪、某、花惑いの際に垂れ幕がなかった事。
2019年、初ヨルシカだった事もあってか、実在する!夕凪カッコいい!垂れ幕から出てきた!とかぐちゃぐちゃな感想を抱いたのを覚えてる。
その演出がなかった事が、ちょっと心残り。

でもよくよく考えると、あれはスタンディングでみんなで手を振り下ろしたりできるから良かったのであって、座席スタイルだった今回には不向きな気がする。

どっちのスタイルも好きだ。
ヨルシカがやりたいライブをやってくれればそれでいいと思う。


最期に

上記でも述べましたが、恐らく私は円盤化されても買わないと思う。そのため、僕は「月光」は2度と見る事が出来ないんだろうな。思い出として、そして記憶として、たまに振り返って過去に戻ろうと思う。
毎日頑張って生きよう。

本当にヨルシカのお2人、サポートメンバー
スタッフさんや、映像等作成してくださった方々には感謝しかございません。
ありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。





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