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基本自分は間違っているという考えを手放したい


こんにちは。先日ある自己啓発本を読んでいたんですが、その一文に心がイラっと反応し、次の瞬間悲しくなりました。


その一文は、「自己啓発本を読んでいる限り、あなたは成功できない。」


私は何にイラっとして悲しくなったのだろう。掘り下げてみました。



1、じゃあ今読んでいるこの本の存在意義は何なのさ!という怒り


シンプルにまず怒りが来ました。まず思ったのは、図星だったから。読んでいるだけでは何も変わらないって。


そして次に思ったのは、基本自分の考えはすべて間違っているから、自己啓発本の中に答えがあるはずだと、本にすがっているからだと気が付きました。


自己啓発本なんだから、為になる事書いてよ。ヒントを頂戴よ。完全にこじらせたクレクレ星人の自分がいました。・・・エグすぎて、穴があったら入りたいです。


またもう一つ感じた事があって、じゃあ自己満足でこの本を書いたの?って著者への攻撃的考えもでてきました。


この考えがでる要因の価値観は、必ず人の為になる内容でないと、本を書いてはいけないという思い込みからくる心の動きでした。


というか、本当に自己満足で本を書いてはいけないのでしょうか。それは何故?誰がそれを決めたのでしょう。たとえ自己満足で書かれた物だとしても、その人の視点からの物語だから、自分では感じる事ができない貴重な情報に違いはないはずです。



2、ちゃんと成功しないと!いう呪縛


成功というワードにも引っかかっている自分がいて、ちゃんと成功しないとって思っている節があるんです。ちゃんと朝早く起きないと、ちゃんと仕事やらないと、ちゃんと掃除しないと、ちゃんと、ちゃんと、ちゃんと・・・


学校教育から染みついている、凝り固まった日本全体の価値観。基本自分は欠陥品だから、ひたすらスキルを身に着ける作業。まだ足りない。まだ足りない。常に心休まらないあの、嫌な感覚。


そのパターンに嫌気がさして私は終止符を打ったつもりでしたが、いつの間にか戻っていたようです。むしろ抜けた気がしていただけかも。


唐突ですが、かのアインシュタインの名言が浮かびました。「常識とは、18歳までに積み重なった、偏見の累積でしかない。」


今まで常識という枠の中でぬくぬくと何十年も生きてきた訳ですから、いきなり自分の感じ方だけを基準にするのが怖いから、まだ外に正解を求めていたんです。


3、この一文に悲しくなるほど私はまだ私を信じ切れていないという事実に悲しくなった


私は私の考えを否定せずに、素直にまっすぐ認めてあげたいだけなんだと思いました。どんな素っ頓狂な考えでも、派手に転ぶかも知れなくても、自己啓発本にすがらず、私の感じ方のみを基準にして、この世界を生きていたいだけなんだと痛感しました。


二人で一人なのに、一番の相棒である自分を、信じないでどうする。


なんだか、愛のあるビンタをされた気分になりました。いいかげん目を覚せって(笑)


まとめ


正直申し上げて、今回この記事をUPするのをやめようかと思っていたんです。クレクレ星人の自分が、あまりにもエグくて恥ずかしいから。


でもここでエグくて恥ずかしい自分を隠蔽して、自分をよく見せようと仮面をかぶって記事を書いたら、何だか今までのパターンと同じになってしまう気がしました。


それにしても、この一文だけで思い込みを2個発見できました。もう機能不全な思い込みを思い出させてくれた。なのでそういった意味ではとても為になりました。


この著者さんがあえて、ガツンとした言葉を書いてくれたから、心に刺さったのだと思います。


思い込みを手放し、今後は少し自己啓発本を何でもかんでもすがるように読むのではなく、ピンときた本のみ読もうと思います。


それにしても、感情は自分の思い込みや本当の望みを抽出する為のセンサーなんだなと痛感致しました。心の研究は一生涯続きますね。


今回は感情むき出しの文になりましたが、これはこれで人間らしいか・・・って思いました。


最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

最後まで読んでくださりありがとうございます。頂いたサポートは心の調査、検証、実験に使わせて頂きます。