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なぜロックは隠キャのモノになったのか?

こんにちは。あかばねです。

突然ですが、私ロックミュージックが好きなんですよ。

ロックって定義が広くあいまいで、人によって考え方も違うのですが、
ここでは、古くはビートルズみたいな...
思想として反体制を掲げつつも、ある程度セールスがあり、大衆にも迎合しているものと定義します。
(軽音楽部がコピーするような音楽と言った方がわかりやすいでしょうか?)

私が特に好きなのは、年代で言うと1990年代前後のもの。
日本だと
ナンバーガール、ミッシェルガンエレファント、the pillows、銀杏BOYZ
海外だと
oasis、RADIOHEAD、レッチリ、ピクシーズetc...
なんかが大好きです。いわゆるロキノン系と括られる音楽ですね。

さて、本題に移りますが、ロックというと「不良の音楽」だとか「怖い人達がやっている音楽」
というイメージを持たれている方も少なからずいるのではないでしょうか?

しかし、最近のシーンを見ると、大学の軽音楽部出身の高学歴バンドなんてのもよく目にします。

リスナーの層も、どちらかと言えば、
クラスで影が薄くあまり目立たないようなタイプ(いわゆる隠キャ)が多い気がします。

もしくは、自己愛の強いサブカル野郎とか...

どちらにせよ「不良」「ヤンキー」の為の音楽ではなくなっているように思います。

なぜ、このようなことになったのか。自分なりに仮説を立ててみました。

昔の不良の事なんて、ドラマの世界や、上の世代から話を聞くくらいしか知る術がありませんが、
「大人に認められない」
「社会に見捨てられた」
という負の感情から、カウンターカルチャーであるロックを嗜好するという流れがあったのじゃないかな...と思います。

しかし、近年の教育では個々を重んじるようになり、教師が簡単に不良を見捨てる事が出来なくなりました。

なんなら、教師はどちらかといえば問題を起こす生徒に時間を多く割くようになります。
これにより、少なくとも彼らは「見捨てられた」という感情は抱かなくなります。

そして、教師だって時間は有限なので、
「影が薄く手がかからない人間」
のことはおざなりになってしまいます。

その中でも、クラスカーストの下位にいるような人間(いわゆる隠キャ)は、教師にも仲間にも認めてもらえず、学校という社会の中で自己肯定感が育まれることはありません。

以上のことから、ロックが隠キャのモノになってきたのは、隠キャと呼ばれるようなタイプ人間が、昔の不良が感じていたような
「社会に見捨てられた」
という負の感情を抱くようになり、カウンターカルチャーであるロックに没頭するようになったから。
と言えるのではないでしょうか?

これはあくまで私の主観です。

音楽や教育現場の知識も浅いので、この説が必ずしも正しいとは自信を持って言えませんが、共感してくれる方がいる事を信じて今日のところはペンを置きたいと思います。(ペンなんて使っていない)

いずれ、真面目に文献とかを調べて論文みたいに書き直しても面白いかもしれませんね。

なんでこんな記事を書こうかと思ったかと言うと、部屋の片付けをしていたら中学校時代の卒アルが出てきて、誰にも書いてもらえなかった白紙の寄せ書きスペースを見て当時の負の感情を思い出したからです。

私はこうしてロックにハマった...

ロックは死なない。
また、次の記事でお会いしましょう。




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