見出し画像

置かれた場所で咲いている花

私がいつも学生に話すのは次のようなことです。

「あなた方が自分の欲している職業に就くこと、それを心から願っているけれども、それ以上に私が願っているのは、与えられた仕事を果たす、そのために必要な力を願い求めていく人になってほしいということです。つまり、自分の職場で、自分の仕事を一生懸命に果たす人になってほしいということです。

言葉を換えて言えば、置かれた場所で咲いている花にいなってほしいのです。『私はあそこで咲きたい、あそこへ置かれたら私は咲けるのに…』と思う気持ちもわからないではないけれど、私たちは必ずしも自分が望んでいるところに置かれるとは限らないのです。それなら、神さまが植えてくださったところで、一生懸命咲きなさい。そのうちに、またどこかに植え替えられるかもしれない、その時はまたそこで咲いていらっしゃい。自分で自分の花を一生懸命咲かせて行ったら、それがあなたの人生の履歴書になるのよ」 

2020年秋のOnlineボスキャリで始めた就職活動は、翌2021年6月にようやく一つ目の内定が出て、終えることができました。じつに9ヶ月の長丁場となりました。それまでは、たいへんな暗黒期でした。先方から興味を持ってもらって受けても一次面接で落とされ、最終面接に進めた会社からも落ち続けた時には、人に会わす顔も無いほど心もすさみ切り、自分の存在価値に否定的な思いすらもち始め、「これが就活鬱か」と思ったものです。収穫のないまま半年以上も過ぎ、時間と労力だけが浪費されてゆき、はっきりと、人生最大級の試練の渦中にいるのだと自覚しました。

そんなとき、心の平安をもたらしてくれたのは「祈り」でした。

もちろんクリエイティブ系とか、英語を使う仕事とか、海外取引のある会社とか、個人的な「願望」や、自分なりに思う「向いてる仕事」は心の中にありました。でも、そういうところとは早々に上手く行かなくなることが多かったのです。
置かれた場所で咲く花。ふと、この言葉が頭をよぎります。「神さまはどこで私を活用して下さるつもりなのですか」「どうかそれを示してください」ということを問いかけ続けてきました。なるべく神さまの選択肢が広がるように、節操なくスカウトサイトに登録しまくり、ESを出しまくりました(笑)。もはや何が適職なのか、自分には判断がつかなくなっていたからです。これは決めて頂くしかない、と。

どんどん手持ちの札がなくなり、ゼロに近づいていく恐怖の中。神さま〜やっぱりいないんじゃないのぉぉ、、との思いがチラついた時。腹を決めることにしました。

「たとえ内定が出なかったとしても、自分を見捨てずに信じ続ける強さを与えてください。雇用形態がなんであれ、職種がなんであれ、私が私を最大限に活用しうる仕事を与えてください。そんな仕事に見合う自分になれるよう、成長の糧を日々与えてください… 」という、今までにして来なかった祈りを始めていきました。

内々定を頂いた時の面談で、人事さんからこんな話を聞かせてもらいました。

「正直、あなたを採用するかしないか大議論になったんですよ。うちはインターナショナルなビジネスをやってる民間企業で、あなたは情緒的な芸術家タイプだ。けれど、まったくちがう感性で周囲を見るあなたが、長期的に他人に良い影響を与えてくれるのではないかという結論になったんだよ。」

その会社に採用されたわけが腑に落ちた気がしました。経歴が採用基準に達していたから、とか、見合うスキルがあったから、ではなく、「未来の私がなりうる器」を会社の方々が一生懸命思い描き、それはいつか実現すると信じてくださり、期待を寄せて頂いたということ。本当に、そうなれるのかは今の段階では分からないのにも関わらず、です。高い視点から愛をもって見て下さっている、未熟な人間への温かなまなざし。祈りへの返答かもしれないな、ということが頭をよぎったのです。

その瞬間に、その場所に、その人の前に、その役割の前に、私が置かれている意味。

働きながら、生活しながら、見出していきたいと思います。

続きます。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?