所属している会で、夜と霧で有名なヴィクトール・フランクルの本を、先生とともに読み進めていくことに数ヶ月前からなりました。
読んでいる本は、意味による癒し。
フランクルは、虚しさ(実存的空虚)の原因、特に近年においては、「人間の行動を支えてきた"伝統"が今や急速に衰えつつあるから」と断じています。
「君たちのような浅はかな読み方では、読み飛ばしてしまうんだろうけれど…」と何度も言わながら、どうにか食らいつく、厳しくも楽しい、充実した時間です。前後を先生の深い知見と洞察からの解説を交えて読むと、”伝統”の大切さが胸に迫ります。
"伝統"、ヨガ哲学だったり、軽んじてしまいがちな伝統に対して、襟を正して、真摯に向き合うこと。それをフランクルの文章を読みながら、反省しつつ、今後の人生の課題の1つにしていこうと読書会の後、思っていました。
そういえば、キックボクシングからボクシングに転向した那須川天心さんが、ボクシングジムではまだジャブやストレートなどの基本的なパンチしか、教わっていない(させてもらえない)らしいです。その基礎に取り組むことを、那須川さんご自身は楽しまれているようで、人聞きにこの話を知りましたが、随分と感心しました。
ぼくもボディワークを教えていますが、素直に学べる人もいれば、出来てもいないのに出来た気になったり、知ったかぶりをして誤魔化したり、残念な人も稀にいます。そういう人のことを思い浮かべると、「那須川天心は感心やのお」となります。
そして、ヨガ哲学の講義を聞きながら、「まあええ話ではあるけれども、この程度の内容だと….」と思ったりした自分が、まさに残念な人になっていることにも気づきます。
「おまえが、残念やん」
目の前にいる残念な人は自分の合わせ鏡のようになっていて、それは指輪物語のスメアゴル(ゴクリ)のようです。
風呂場で、ふとそんなことに気づき、思わず失笑しました。フランクルのあの文章のお陰で、残念さに気付けました。オモロ
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