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ヨガを学び始めた、ある1日のある場面で

素敵な先生と出逢う幸運に恵まれ、昨年夏からヨガに取り組んでいます。今日もその先生から学ぶ機会に参加していました。

他人と比べることは良くない

先生は冒頭、ヨガ哲学のようなお話を少し話してくださることがあります。今回は「なぜ、他人と自分を比べることを良くないと、ヨガではよく言うのか」と問いかけられました。

先生の答えは、「花や木などの自然のように人それぞれ固有に素晴らしく…」といった内容。(私にとっては)先生がおっしゃるから良い話に聞きましたが、文章に起こしているので、君にとってはありがちな話に聞こえるかもしれません。少なくとも、同じようなことを言っている人は沢山いるでしょうし、薄っぺらい人が話しても、正直シラける内容ではあります。

ただ、僕はこの後、とても感動したのでそのことを書き記しておきたいと思います。

先生の問いかけ

ダウンドッグというアーサナ(ポーズ)があります。同じ形のエクササイズがピラティスその他にもあるメジャーなムーブメントなので、多くの方がご存じでしょう。そのダウンドッグの細かい身体の使い方を、先生が説明される場面がありました。

「AさんとBさん。モデル役になってくれるかな」「では、AさんとBさん。2人とも、ダウンドッグをやってみて」

そして先生、
「AさんとBさん。どちらのダウンドッグがより良いですか。今回は肘から先(前腕と手)で、比べてください」
「どちらのダウンドッグがより良いのか、その理由も教えてください」
と続けて、話されました。

感じる違和感

実際は僕の文章のように連続しているわけではなく、冒頭での問いかけから1時間前後、おそらく時間は経過しています。ですから、違和感を感じなかった人も参加者の中にはいたかもしれません。ただ、読んでくださっている君と同じように、僕はとても驚きました。

「おっ、先生。他人と比べるなと冒頭に話し、そして今、AさんとBさんを比べさせているぞ」

心の中で、つぶやきました。

確かに冒頭での問いかけは「自分と他人」であり、この場面は「他人と他人」です。でも、僕はドキッとしました。

「面白い…。どうこの場は進んでいくんだろう」

AさんとBさん以外には他人と他人の比較ですが、2人にとっては自分と他人の比較になります(自分が他人と比較されている)。ヒリヒリする、緊張感のある場面です。

AさんとBさん

Aさんは、先生の生徒の中でも屈指の実践者で、「ダウンドッグが最も上手な1人だ」と話されていたと、耳にしたことがありました。確か長く、先生から学ばれているはずです。

対して、Bさんは僕の知る限りでは、今回が初めてか、少なくともAさんよりは長くないはずです。ヨガ歴云々という話ではなく、先生との関係性には違いがありました。

全員が黙っていると、先生は先生から長く学んでいる生徒に「○○さん、どう?」と。理由も聞き、○○さんは「Aさんで、その理由は…」とBさんに失礼のないように言葉選びをしながら答えました。

先生の答え

先生の答えはAさんではなく、Bさんでした。その理由を丁寧に説明し、Aさんにも違いを体感させて、そして全体でまたその教えてくださった点を注意しながら、ダウンドッグに取り組みました。

もし「良い腕(肘から先、手)なのがAさん」だと先生が話されたら、僕はかなりガッカリしたと思います。関係性の深い、そして自分からより長く(深く)学んだ側の人を上げて、学びに来たばかりの人を下げるなんて、教育者として最悪だからです(上げる下げるという言葉選びもどうかと思いますが、わかりやすいと思って使ってます)。

先生は「Bさんがより良い腕である」と話し、Bさんは少し自信を持ったような、安堵したような、そして気づいていなかった自分自身の良さに気づいたような。そんな良い表情をしていました。

Aさんもまだまだ伸び代があることを知り、課題を持ってその後取り組まれて、充実感のある素敵な笑顔をされていました。Aさんはまだまだ上手にできると更なる可能性を知っておられるだろうけれど、先生から具体的にこういう形で指導されることで、とても意義深いものになったはずです。

Aさんにとっても、Bさんにとっても、プラスに働く比較。冒頭で話された「他人と比べない」とは、また違う角度からの愛のある、ひとの心を深く理解している先生ならではの問いかけでした。

Aさんなら教育者として最悪だと偉そうに言いましたが、実際に過去、そんな人間を何人も見てきました。そういう質の悪い人間が、学ぶ人たちの可能性の芽を潰しています。先生の教えてくださる態度、姿勢。愛に満ちていました。

より深く記憶される

ヨガやピラティスなどのムーブメント系のボディワークではダウンドッグに限らず、全身のあらゆる部位に細やかな意識を向けていきます。今回学んだ肘から先のその意識の向け方について、こういった形で教えて頂けたことで参加者の多くに、より深く意識づけられたのではないでしょうか。少なくとも、僕の記憶から消えることは生涯ないでしょう。

良い先生に出逢えて、大変幸運です。
幸せな時間でした。




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