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生き残るために乗り越えなければならないものとは?

こんにちわ。ぴくむんです。

私は、
小さい頃から実生活で役に立たない学問ばかり教えられる。
「現代社会でダイレクトに役に立つ学問がない」
研究は、勉強の醍醐味であるのに大多数の人がやっていない。
「大多数の人は研究をする機会がない」

ことに対して疑問を覚えていました。そこで、

国なんてあてにせずに
自分の力で「実生活に直接役に立つ学問の確立」することや、
大学に行かなくても「誰でも研究できる環境の整備」する活動を始めようと思いました。

この記事では、生きづらそうな自分の悲痛の叫びを綴っています。
この記事を読んでいただければ、あぁこいつは確かに生き辛そうな考え方しとるなぁって感じていただければ幸いです。

以下本文

最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるのでもない。
唯一、生き残るのは変化できる者である。
チャールズ・ダーウィン

という言葉がある。我々は、「生き残る変化」の重要性についてよく知っている。しかし、殆どの人がそれを理解しているようで全く理解していないのではないだろうか。

そもそも「生き残る変化」とは何か。
私は、「生き残る変化」という言葉を

・理性に基づいて教えに背く
・理性に基づいて既得権益の破棄
・変なプライドの破棄

という風に定義させてもらう。

変なプライドについては、

を参照したい。

一般的に「変化」というニュアンスは、
・自分に不利益があったから、それを除去または逃避する。
・利益のために、飛びつく
・応用が効く
が多い気がするが、これはダーウィンでいうところの「変化」ではないと私は考える。

これらは、「挑戦、逃避、無謀、応用」の言葉が近いと思う。世を見渡せば、胡散臭い人たちは、「挑戦、逃避、無謀、応用」を「変化」と宣い、ダーウィンの言葉を引用し、自分たちのビジネスに利用しているように見える。
(まぁ私も胡散臭い連中の一人かも知れないが、、、)

それの賛否と証明の議論は置いといて、今回は私の直感に従い、「生き残る変化」という言葉の意味は、上記のように定義させてもらう。


この直感を説明するために、ケーススタディとして「妻に優しくできない旦那」というケースで論じていこうと思う。

昔は、熟年離婚という最強のワイルドカードが存在しなかったが、女性の社会進出や法整備の賜物により、この最強の切り札が使えるようになった。そして、我々男性は、妻に対して優しくしなければならなくなったのであるが、残念ながら上の世代がそれをできているかというと怪しい人の方が遥かに多いように思える。おそらく、そのような人たちは、頭の中では「妻に優しくしたり、家事を手伝ったり、威張ってはいけない。」とわかっているのだが、それができない。

理由は大きく分けて、3つある。

・家庭は亭主関白であると両親から教わった。(教え)
・亭主関白でいることにより、家庭で楽できる(既得権益の享受)
・変なプライドが邪魔する。

これらがあることにより、頭でわかっていても動けないのである。行き着く先が熟年離婚という絶望だとしても、自分を「変化」させることができないのである。

身近な例でいうところの、「テスト前に勉強できない」もこの例に上がるだろう。目の前の娯楽を前にして、テストで悪い点を取るというマイナスな未来を想像していたとしても、動くことはできない。娯楽に流されることを既得権益の享受と読んでいいのかわからないが、これに該当すると思っていい。

もちろん大なり小なり存在するが、これが頭ではわかっているが動けないの正体である。

つまり、「生き残る変化」のためには

・教えに従う
・既得権益の享受
・変なプライドの維持

VS

・理性

に挑戦しなければならない。これは、並大抵のことではない。

教えに背き、既得権益を手放し、変なプライドを捨てるというのは、「自己アイデンティティの崩壊」と言ってもいいだろう。しかし、ダーウィンの言う「生き残る進化」というのは、これを指すと私は考えている。

Youtubeで中田敦彦とダイゴがYoutubeを伸ばす方法について話していた。彼らの結論は、自分の作風を変化できるかどうかで決まると言っていた。また、中田敦彦の持論として、自分のやりたい動画を上げるのではなく、伸びた動画をやるべきだと言っていた。

これらは

・頑張れば必ず報われる(教え:世界平衡仮説)
・好きなことをやる(既得権益の享受)
・変なプライドの維持(自分がやっていたことが間違いと思いたくない)

VS

・理性
を議論しているように、私には見える。

以上が、私が考えるケーススタディである。

私が言いたかったのは、生き残るために我々が必要なのは、

・理性に基づいて教えに背く
・理性に基づいて既得権益の破棄
・変なプライドの破棄
・正しい理性

である。

この理性というのは別にネットにググればいくらでも出てくるし、私はいくらでもnoteに書いているので、情報で溢れた現在では理性の入手方法は対して難しくない。とするならば、我々がやらなきゃならないことは、

教えに背き、既得権益、変なプライドの破棄すること

である。

結局、一言でまとめるとするならば、
「嫌なこと」
である。

つまり、「生き残る」能力というのは「嫌なことをする」能力である
と解釈することができる。

これを認めるのであれば、明確に勉強には意味がある。嫌な勉強をすることにより、「嫌なことをする」能力がつくようになる。
結果として、「生き残る」能力が高まっていくのではないだろうか。

勉強好きな高学歴と勉強が嫌いな高学歴で「嫌なことをする」能力の相関をとったらきっと面白いデータがとれると私は思うが、今はできないので、いつかコミュニティができたらデータをとってみたいと思う。

色々書き散らしてしまったが、結果としては陳腐なものである。

生き残るためには、嫌なことをするしかないのである。例え、親の教えに背こうとも、例え、自分の既得権益を捨てることになっても、例え、自分のプライドを捨てることになって、理性に従い、絶対に踏み込みたくない一歩を踏み出す。

これが、生き残る唯一の手段といってもいいだろう。
もちろん、踏み込んだ先は辛く険しい道である。
歩いている途中は、発狂したくなる時もあるし、自分が生きる意味を見出せなくなる時もあると思う。
しかし、その先を進んで初めて「生き残る」ことができるのである。

このnoteを読んでいる人には、様々な人がいると思う。
人によっては、生きることがイージーな人もいれば、私みたいに理性最強もしくは、何か他の要因でハードモードな人もいると思う。

そんな人生がハードモードの同志へ。
我々にとって、人生を「生き残る」のは並大抵のことではない。
強烈な理性が私たちを「絶望」へ何度でも叩き落とすことになる。
我々みたいな理性最強の異常者には、ただ生きることは許されない。
無事生き残るか、絶望で苦しみ続けるかの二択だろう。
そんな救いのない人生を共に生き残ろう。

以上。

ちなみにこの記事の内容を彼女に話したら、訳わからんって言われました。
そんなわけわからんこと言ってますかね。哲学者が使うような高尚な言葉は一切使ってないと思うのですが、、、

私は、「嫌なこと」に踏み込み続けて、その経験を後世に残すことがきっと、人類のためになると信じています。

最後はちょっとダサくなりましたが、勘弁してください。
ちょっと心の悲痛が入るとどうしても、こんな感じになってしまう癖があるのです。

あなたは、生き残るための変化ってなんだと思いますか?
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もし自分に興味があれば自己紹介noteがあるので読んでくれると嬉しいです。

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新たな試みとして、コラボ相手を探しております。

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冒頭繰り返しになりますが、もう一度言わせてください。

私は視野の広さと興味を持てる範囲、そこから物事を考える力、素直に相手の声を受け止める力は誰にも負けません。
なので、もしよろしければ、こんな私を推してください。
推してくれたあかつきには必ず歴代史上最高に役に立つ学問を作ってみせます。

わざわざ、こんな小難しい長い弱小記事をちゃんと最後まで読んでくれるそんな貴方が大好きです。本当に感謝しています。
ありがとうございました。

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