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私がセブンイレブンのスパサラを食べられない理由

セブンイレブンの麺類が好きだ。会社にいたころはお世話になりまくっていて、特にスパゲッティサラダがコスパ・量・味の観点から大好きだった。サラダチキンが乗ってるみたいな、さっぱりした清涼感のあるドレッシングが付いたやつ。あれが一番大好きだった。

しかし私は、今、そのスパサラが食べられない。

それは、4年前に私が経験した、2週間に及ぶ病魔との戦いの古傷だった………


と、語りたくなるくらいにしんどい戦いを繰り広げたことがあります。

おたふく風邪と。

予防接種さえ受けていれば怖くないおたふく風邪。子どものころに罹っておけば、もう罹らないおたふく風邪。耳の下が腫れる、あのおたふく風邪です。

そんなしんどいことないでしょ。

と思われている方もいらっしゃるとは思いますが、私は地獄をみました。地獄を見た結果、いまでもスパサラが食べられないわけです。

4年前、記憶も薄れかけているあの夏の日のことを、書いておきたいと思います。

発症

おたふく風邪を発症したのは、私が社会人になりたての夏。

22歳の8月29日だったと記憶しています。

というのも、当時ハチャメチャに慕っていた上司が転勤になり、私が発症した日、最終出社日の上送別会だったんです。なのでこの日付は間違っていないはず。

朝はすごく元気に、それこそ上司の送別会で力いっぱい送別する気マンマンで出社しました。昼頃まではいつも通り、セブンイレブンのスパサラを昼食に食べました。数時間後には、全部トイレの中でゲロになってるんですけどね。

おかしいな、と思い始めたのは昼休憩終わって、1時間ほど仕事したくらいだったでしょうか。私は事務職だったので、スケジュールを考えると月末の立て込んでた仕事をさばいていたと思いますが、なんだかとっても頭が痛くてしんどいんです。その時、大きな会議で上司は全員席に居なくて、仕方ないので、ベテランのお姉さまに断って医務室に行きました。生理前とか、体調悪くなるときよくあるし、冷房も効いてたし、薬もらって寝ればよくなるだろと。

でも、もうこの時点で、病魔は完全にね、私をあざ笑ってたんでしょうね。

薬もらって寝て、起きてもどうにも体調が悪い。悪いどころか悪化していて、微熱まであった。しかも、なんだか気持ちが悪い。ここにきて、「これは仕事できんわ」と思った私は、早退することにしました。

部署に戻って「送別会出られなくてすいません。転勤先でもお元気で」って上司にいったら「いや、お前がな。顔まっさおやぞ」みたいなことを言われました。

上司に「タクシー呼ぶ?」って聞かれたんですが、そん時は帰れそうだったので「大丈夫です」って言って帰りました。その10後くらい、会社出て数歩くらいでね、すでになんか、尋常じゃなく気持ち悪くなっていました。でもまあ大丈夫やろ、病は気からっていうからな、と、私は電車に乗ったわけです。

まあ、気持ちではどうにもならなかったんですけど。

私が勤めていた会社から家までは、一回乗り換えを挟んで徒歩含めて30分ほどなんですが、なんとまあ、家に帰るまでゲロを2発キメました。

一回目の乗り換え駅でトイレに駆け込んで滝のように出し、そして自宅の最寄り駅についてからもトイレに駆け込み滝のように出しました。昼ご飯で食べたスパサラがそのまま出てきてね。胃液でちょっとふやけてるもんだから寄生虫みたいになっちゃってね。(それから今でも、スパサラは食べる気にならないんですけど)

そん時ほんとに思ったんですが、最寄りの駅のトイレがきっっっっっっっっっっ(×1000000回)たないんですよ。でも汚いトイレでゲロ吐かずに歩きだしたら、道に汚物をまき散らすことになるので、背に腹でしたね。汚い!!!と思いながら私も汚物を出しているわけです。無常を感じますね。

最寄りの駅から自宅まで徒歩5分強、何とかたどり着いた自宅で帰宅早々トイレに駆け込んで即ゲロ。そして熱は上がっている。

ここにきて私もようやっと察するわけです。察するというより、若干の諦めです。目を背けてた真実を見てしまった。

「あ、これはもうおたふく風邪かもしれん」って。

なんでかっていうとね、私の弟がね、数日前におたふく風邪だったんですよね。(もう逆におたふく以外の選択肢あるか?)

ただ、母親に連れられて病院に行ったんですが、その時点ではおたふく風邪特有の腫れがなかったので、お医者さんも「胃腸風邪ですかねぇ」って言ってました。ちょっと期待する半面、心の中では「おたふくに違いないな」って思ってました。ゲロゲロしながらね。もう吐くもんもなかったと思うけど、胃液は出てたでしょうね。


2日目:耳の下が腫れる

光の速度で体調が悪化し、翌日耳の下は見事に腫れ、熱は爆発的に上がり40℃近い数値をたたき出していました。口に入れたものは秒でゲロに生まれ変わったので、脱水状態でもあったと思います。体のしんどさと気持ち悪さで、もうどうにもならず、とりあえず母親に病院へ連れていってもらいました。もう一人では立てないレベル。要介護です。実家暮らしじゃなきゃゲロまみれで死んでた。

耳の下が腫れたことでお医者さんも「おたふく」と確信したご様子。熱も高いし、私が頭が痛いって言ったからなのか、大きい病院に行くようにいわれました。おたふく風邪って、髄膜炎を併発することがあるので、そのせいかな、と思っています。

大きい病院についたはいいモノの、立っていることができないため車いすに乗せられ、吐き気は止まらず頭も痛い。もう全身どうにもならなくて、自分の体じゃないみたいで、まさに地獄を感じていました。こんなにしんどいことある?って。ある?って思いながらスーパーの袋(嘔吐用)に嘔吐してました。ほんとにゲロ吐き続けてた記憶しかない。

車いすで連れられて行くとね、部屋に先生がいて、とりあえずベッドに寝かせてもらいました。

なんか、藤原竜也を100倍チャラつかせたみたいな若い先生でした。藤原竜也(偽)に問診を受けて、とりあえず注射(なんの注射だったんだろう。吐き気止めかな)打ってもらって、そのあと点滴をしてもらいました。

点滴って、ホントすごい。もうスーーーーーーっと楽になるというか。私、生まれてこのかた注射ってものが大嫌いで、初めての採血で失神した人間なんですが、おたふくやってからは、もうしんどくなったら秒で点滴を打ってもらいたくなりました。中毒性がある。

そんな、ちょい楽になっているときだったからね、心の余裕が生まれてしまって。藤原竜也(偽)にね、ちょっと虚偽の申告をしてしまったんです(マネしないでね)

頭がすごく痛いとか、ありますか?って。聞いてくれたんですよ竜也が。

ホントはその時、マジで痛かったん。頭っていうか、首の後ろが突っ張る感じがあって。「なんかある?首の後ろになんかある?」って感じ。でね、私、前日に薬が効いて余裕があるときに、髄膜炎のことを調べてしまっていたんです。併発するらしいぞって。でね、髄膜炎の検査って、なんか怖そうだぞ、って思ってしまっていて。

言ってしまったんですね。

「ちょっと痛いけどそこまでです」

って。

バカなんでしょうね。この話を人にすると毎度人からアホ、バカとか言われますが、甘んじて受け入れています。生きててよかった。よい子は絶対にマネをしないでください。


その後、点滴が終わって、迎えに来てくれた弟と一緒に帰宅しました。(母親は仕事に行った)

点滴の効果もあって、結構楽になっていたので、先生の「一日入院しますか?」はお断りしていました。なんで断ったんやろね。

4年が経った今も、「あの時入院させておけばよかった」と家族に言われつづけています。(それくらい大変な看病だったみたいですごめん)

点滴で得た一時の安息も、効果が切れればそこにあったのが嘘のよう。さながら砂漠のオアシスが消えるかのごとき絶望。

熱は変わらず40℃近くをたたき出し、関節も首の後ろも痛み、物を食べれば吐き続ける始末。この晩、家族の介助のもとトイレにたった私が、自室で意識を失いぶっ倒れたことで、強制的にリビングで寝かされることになりました。倒れたときに棚にあごをぶつけたようで、安易なキャラ付の結果のキズ、みたいなのが顎にできていました。

3日目~6日目:ただひたすらに耐える

おたふく風邪って、特効薬がないので、対処療法しか手がないんですよね。なので、ひたすらに吐き気に対して吐き気止め、熱に対して解熱剤、とひたすらに耐えるしかなかったわけです。おたふく風邪のメインともいえる耳下腺の腫れは、私はそんなにひどくなかったです。腫れているといえば、腫れている、みたいな。耳下腺炎ちゃうんかいな。

(ところで、薬のどれかは座薬だったので、毎度「これがBLにおける受けの気持ち……」と思って自分に投与していました。それ以来、ベッドインが音速のBLをみると心がざわつきます)

日を追うごとに熱は下がっていきましたが、それでも2回ほどドーピング(点滴)にはいきました。あれが生命線だったといっても過言ではないですね。

このときほんとに実感したんですが、人間寝食が何よりも大事。普段、体調悪いな、と思ったらいっぱい食べて寝ることを心がけてましたが、それが大正解だったことがはっきりわかりました。

なんせ、ゲロになるから大したものは食べれないし、寝ようと思っても熱と吐き気でうまく寝れないので、自己免疫もクソもないんですね。この時ばかりは「ほんとにどうしような」と思いました。先の見えない不安ですね。実家暮らしじゃなかったら死んでました。

それでも時間が解決してくれるもので、7日目に差し掛かるころにはましになっていた記憶があります。

7日目~9日目くらい:回復に向かう

これくらいから、やっと普通の熱、って感じだったと思います。

ていうのも、耐えてた期間の記憶がすでにかなり曖昧なので、過去のTwitterの履歴から逆算するしか方法がないんですね。地獄の期間と熱が下がった後のリハビリ期間と、その中間の症状の期間があったんです。だいたい7日~9日目くらいだと思われます。

もちろん解熱剤は飲まないといけないし、吐き気止めも飲まないとやっていけないけど、普通に熱出して寝込んでいる、くらい。喉も頭も痛かったけど、だいぶんましになってきた、という記憶があります。4年も前なので厳密ではないですけどね。

ここで印象に残っている困ったことは、食欲がわかないこと。

もう、食べてもすぐゲロっちゃうわけでもないのに、「食べたら戻す」を繰り返してたせいで、物を食べる気がなくなってるんですね。しかも、その時に気が付いたんですが、テレビ番組で料理が特集されているのが多い。

画面見てるだけで気持ち悪くなってしまって、なんだかとてつもなくつらかったです。油物がうつると気持ち悪くなってしまってて、頼むから親に別の番組を見てくれと言ってました。

あと、吐き癖もついてしまってた。ちょっと気持ち悪いな、と思ったら、吐いちゃった方が楽になるな、吐こうかな、って思っていました。母親に止められてやめましたが、今から考えると、メンタルも参ってたんでしょうね。

10日目~13日目:リハビリ

このあたりから、だんだんと会社行けそうかな……という気持ちになってきます。行けそうかな、というよりも、行かないとな……という気持ちのが強かったかもしれません。

ただ、その時の上司(送り出し損ねた上司の後任の方)がめちゃくちゃ優しい方だったんですね。

「明日当たり、熱が平熱になっていたら出社できそうです」ってラインをしたら、ちょうど週末に差し掛かっていたこともあって、「もう今週は休んで、来週から出社でかまわないですよ」って言ってくれたんです。

もうね、「この世にブラック企業ってあるんか?」って思いました。めっちゃ申し訳なかったけど、お言葉に甘えさせてもらいました。

というのも、熱が下がって、物も食べれるようになっていたんですが、体はボロッボロだったんですね。リハビリがてら、徒歩5分のコンビニまで歩いてみたんですが、家出て10歩くらいで息が上がって帰ろうかと思ったくらい。

こんなんで会社復帰できるの…?とか、また会社で吐いたりしたらどうしよう……とか、メンタルにも結構キテたんですが、その時はいまいち実感がなかったです。後々これでしんどくなるんですけど。

14日目:会社に復帰

復帰したての3日間くらいは、親に送り迎えをしてもらっていました。

徒歩10歩(10分ではない)で足元がふらついていたし、親も、通勤途中で線路に落ちたらたまらんと思ったようで、お言葉に甘えさせてもらいました。

上司に「もう二度と罹りたくないです」っていったら「二度と罹らんから安心しろ」と言われました。その通りです。

復帰したての頃は、とにかくデスクに座っていることがやっとでした。もともと座り仕事が主で、他部署に書類を届けに行くことがちらほら、という業務内容だったので、ゆっくりリハビリがてら階段使ったりとかしてました。業務はベテランのお姉さまがしていてくれて、それに関しても感謝しかなかったです。ほんとに良い会社だな、って心の底から思いました。その3年後に辞めたんですけどね。

私のおたふく闘病は、ここでいったん幕を下ろすわけです。

その後:プチ鬱になる

落ちた体力が回復するのって、すごく時間がかかるんですよね。

おたふくで寝込む前は当たり前にできていたこと(通勤、階段の上り下りなど)が、なかなか思うようにできない。すぐに息が上がるし、物を食べても戻し続けたトラウマみたいなものがあって、おいしいとあまり思えなかったり。で、本人はあまり自覚がなかったんですが、ちょっと鬱っぽくなっていたみたいです。母親に、「あんた全然笑ってないけど」って言われたんですよね。

その時、めちゃくちゃ不安だったんです。

「このまま、ずっと体力が落ちたまま、もとに戻れなかったらどうしよう」と。

おたふくで2週間寝込んだだけで大げさな、と思われるかもしれないのですが、ホントにそう思ってしまったんです。私程度でこうなんだから、大病を患われた方なんて、もっとしんどいと思います。

結局、母親カウンセリング(資格:私の母親検定1級)を受けて心が少し楽になったこともあって、なるべく楽しいことを探すようにしました。映画見たりして、気を紛らわせて。

ひとり暮らしだったら、死んでたかもしれないなって思います。


まとめ

発症してからトータル2週間会社を休み、人生で経験がないくらいにゲロを吐き、物心ついてからは経験がないほどの高熱を出しました。

その結果、スパサラをみると、トイレに浮かぶパスタとそれから始まった地獄を思い出すので、私はセブンイレブンのスパサラが食べられません。

もう記憶も薄れかけているのに、セブンでスパサラ見ると胃のあたりが気持ち悪くなってしまうんですから、人間の体(脳みそ?)は不思議だなと思います。自分の作ったスパサラは食べれるので、思い出に引っ張られてるんでしょうね。

ちなみに私は、これでおたふく風邪、水ぼうそうは罹ったことになるのですが、麻疹風疹は罹ったことがなく、しかも予防接種をしたかも曖昧な状態です。

この記事書きながら不安になってきたので、予防接種を検討します。






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