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『現代ヒンディー短編選集1』を読んだ

2021/9/17、家にて読了。

図書館で本を物色していた時に本書を見かけ、ヒンディー語学徒として読んでおくべきだろうという使命感に駆られて手に取った。同じシリーズで出ているビーシュム=サーへニーの『タマス』を結局読み終えていないという罪悪感も手伝ってのことだ。図書館の返却期限は、遅読の者には特に残酷に迫り来るものである。

多くの日本人にとって謎の多い国であるインド。その現状を知ってもらおうという監訳者の熱意が伝わってくる短編集である。作家の故・ヒマーンシュ=ジョーシーによる「日本の読者の皆さんへ」という貴重な前書きがある他、弊大名誉教授の中村平治先生も監訳者紹介という形で寄稿されている。監訳者によって、インド特有の社会背景を補足する親切な注釈がつく。ひとつひとつの短編に、巻末でそれぞれ解説が付されているのも、読後の楽しみにできてありがたい。

いずれの作品も、分離独立前後の激動期における人々の葛藤を様々な切り口から描写している点で共通している。しかしいちいち感想を述べていくとキリがないので、特に印象に残ったものを挙げていく。

『復讐』
インドには、分離独立に伴ってヒンドゥー教徒とムスリムが互いにいがみ合った結果、非人道的な犯罪行為が多発したという痛ましい過去が存在する。この二つの宗派の影で、シク(スィック)教徒など少数派の人々も甚大な被害を被った。暴力を暴力で返したところで憎しみの連鎖は断ち切れない、そのことに気づいたシク教徒なりの人道的な「復讐」とは?それぞれの宗徒が一同に会するための場面設定が巧い。緊迫感漲る描写も見事。

『悪臭』
権力に屈しまいとする個人の尊厳を描く。臭いを効果的に用いたラストには希望を感じる。

『サティー』
サティーとは、死亡した夫へ操を立てるべく、未亡人が火に飛び込むことを強いられるという、耳を疑うようなインドの陋習を指す。現代に不釣り合いなこの習わしに、突如直面した女性たちの動揺を描く。重いテーマを扱っているが、オチのおかげで軽みが出ている。強かな女性像は、サティーという悪習へのアンチテーゼか。

『猫の顛末』
独特な韻律が異彩を放つ。原文は全て体言止めで書かれているそうなので、新学期が始まったら大学図書館を漁ってみようかと思う。コメディー調で生臭坊主を描いている。少し落語を彷彿とさせる。

『望まざるも』
想像を絶するほど悲惨な現実を描写する。貨幣経済が進行していく裏で、虐げられるカーストもある。活路を見出すにはどうすればいいのか。グロテスクな結末が、読者に重い問いを突き付ける。

『フリヤーの恋』
インドの農村部の女性は、自身の恋情さえ、周囲の契約や男達に踏みにじられることがある。特に彼女達にとって婚姻は一生を左右するものである。婚姻の相手を自由に選べないことは単なる女性軽視では済まない。好きでもない相手と一生添い遂げなければならないことになる、つまり女としての人生を棒に振ることになるからだ。

田舎の人間の口調をいわゆる「田舎言葉」で訳すことについては、議論が分かれるところだ。方言の正確性を期す必要や、極度に戯画化しすぎると差別に繋がるかもしれないという視点からみれば、否定的にならざるを得ないのもわかる。しかしあくまでフィクションである物語において、誇張されたキャラクターの存在は、必ずしも文学本来の持つ強度を損なわないのではないかと個人的には思う。

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