過去の習慣は、分かっていてもなかなか変えられない。それでも、変えなきゃいけない。

「もう一生しません。」

この言葉を聞くと、

刑事事件で捕まった被告が減刑を求める時に使う言葉と連想します。


「もう一生しません。だから許してください。」

一生しないと約束するから、だから許してくれと懇願する言葉です。

言い換えれば、

「一生しない。その代わり許してくれないか?」

と頼んでいるようなものです。

ここで謝られる側は、一生しないかどうか、そんなことは分かりません。

自分の心情や、相手の態度を見て判断します。

本当に反省していれば許す、ということもあります。

だからといって、相手が一生しないとは限りません。

相手の本当の心情が分からないのはもちろん、

お互い、未来すらも分からないからです。


私の経験に基づきますと、

「過去の習慣を変えるのは本当に難しい」のが結論です。

まあ、私の経験に基づかなくても分かることなのですが。


基本的に人間は変化を嫌います。

変化があれば、それだけストレスという負荷がかかります。

人間は自分の許容範囲を超えるだけのストレスには対処しきれません。


つまり、

過去の習慣を変えようと思っても、

それが自分に根付いていればいるほど、

変化するのが難しくなります。


それだけ自分に馴染んできた習慣を手放すわけですから。

本人が手放したいと思っていても、

本能がそれを手放そうとはしません。

そのせめぎ合いがストレスとなり、

せめぎ合えばせめぎ合うほど、

ストレスが積み重なっていきます。


そのストレスが許容範囲を超えた時、

身体症状として自覚するようになります。

さらにひどくなれば、

周りの人にも分かるくらいになります。

その最終形態が、「自殺」です。


人間は安定を求めるのは、

動物的に間違っていない行動ということなのでしょう。

つまりそれは、大多数の人が取る行動になります。

わざわざ辛い道を選ぼうとはしません。


しかし、リスクを背負ってでも何かを変えたければ、

ストレスという負荷がかかるのを覚悟で変えようとします。

それが大きければ大きいほど、

ストレスが大きくなり、結果としてリスクも膨大になります。

まさにどちらを選ぶかという究極の選択です。


安定をとって変化しないか、

傷つくのを覚悟で、リスクを取るか。



今の私は後者です。

これでもかというほどリスクを取っています。

つまり、それだけ大きなことを変えようとしているということです。

かなりのストレスがかかっています。


ですが、ここを乗り越えた先のメリットが遥かに大きいからこそ、

こういう選択をしています。



皆さんは、どう考えますか?

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