米国でPMとして働き始めるまで
2022年9月に渡米しました!そして今月から某日本企業の米国オフィスで、プロダクトマネージャーとして働いています。
場所はカリフォルニアのサニーベールという、サンフランシスコから車で1時間ほど南下したところにある街で、いわゆるシリコンバレーと呼ばれるエリアの一部です。名前の通り天気がよく、渡米してから快晴が続いています。
渡米直後は家探しや各種手続きなどでバタバタしていましたが、ようやく落ち着いてきたので、これまでのことを少しずつnoteにまとめていこうと思います。本記事では、渡米を考え始めてから実際に米国で働き始めるまでにどう動いてきたかや、何が起きたかなどを振り返ってみようと思います。
渡米を考え始めたきっかけ
きっかけは10年程前にさかのぼります。大学院時代の2013年、語学留学で1ヶ月間サンフランシスコに滞在しました。その際に、研究室の先輩がGoogleやFacebookの米国本社で働いていたため、オフィスを案内してもらうことができました。
その時に見た景色はとても印象的で、今でもよく覚えています。日本のオフィス風景しか知らなかった当時の自分にとっては、「これは本当にオフィスなのか!?」と目を疑うくらい自由で開放的な環境で、オフィス全体が1つの小さな街のように感じられました。
実際に身近な人がこのような場で働いているのを目の当たりにし、「自分もいつかこの土地で働きたい!」と漠然と思うようになりました。本来の滞在目的である英語に関しては全然身につかなかったのですが、この経験が渡米を考え始めるきっかけになり、結果としてとても貴重な1ヶ月間でした。
↑ 当時の記事がはてなブログに眠ってました。
実際に動き始めるまで
それ以来、いつか米国で働きたいという思いは頭の片隅にずっと持ち続けていましたが、特に具体的なアクションを起こすことなく5、6年過ぎました。
そして2019年9月、夏季休暇で北欧1人旅をしていたのですが、20代が残り数ヶ月というタイミングだったので、30代をどう過ごすかを旅行中にゆっくりと考えてみました。その際に「米国で1度は働きたい!」という思いが自分の中で依然として強いことを再認識しました。
気付けば自分も若者ではなくなってきており、いつまでも「いつか」と言っていると実現しないまま人生が終わりそうで焦りを感じました。そこで休暇明けから、一念発起し本格的にアクションを起こし始めることにしました。
渡米プランを決める
アクションを起こし始めてみたのはいいものの、当時は全くの無知だったため、米国で働くには何が必要なのかをよく分かっていませんでした。LinkedInで米国のポジションに直接応募してみては「なんで返事が来ないのだろう?」と真剣に思っていました。
その後いろいろと調べていくうちに、どうやら米国の就労ビザを得るのは大変そうだということが分かってきました。さらに調べていくにつれて、就労ビザを得るにはいくつかのパターンがあることを知りました(米国大学院からの現地就職パターン、日本勤務からの転籍・赴任パターンなど)。
それぞれのパターンを検討してみた結果、多国籍企業の日本オフィスでPMとして働きはじめ、その後米国オフィスに転籍するという方針で進めるのが自分にあっていそうだと思いました。この選択肢だと、渡米という中長期的なゴールを目指しつつ、短期的にもやりたい仕事(=PM)ができます。また、社内転籍が仕組み化されているような多国籍企業だと、ビザ取得の確度が他の選択肢より高そうというのもありました。
そこで、多国籍企業のPMポジションを実際に探し始めました。具体的には以下の3つの軸でポジションを探しました。
1. チームの公用語が英語であり、海外のメンバーとも働く機会があること
2. 英語力と並行してプロダクトマネジメント力も伸ばせること
3. 社内転籍が比較的容易にでき、確度の高い渡米のチャンスがあること
ただ「米国で働く」ではなく「米国でPMとして働く」を実現したかったので、英語やビザだけでなく、米国でも通用するプロダクトマネジメント力を培える環境であることも重要な軸としました。
そして、これらすべてを満たしていると思えるAmazonのPMポジションを見つけ、採用ページから応募。結果として無事オファーをいただき、ジョインすることに決めました。
英語について
当時は英語が全くと言っていいほど話せなかったため(冒頭で書いた学生時代の語学留学は無に帰してました)、2ヶ月程度全ての自由時間を英語に捧げ、インタビューは何とかクリアできる程度のレベルまで持っていきました。とはいえアドリブでスラスラ話せる程の英語力では到底なかったので、インタビューの準備も入念におこないました。
そしてオファー承諾後は、入社までに少しでも英語力を高めておこうと思い、有給消化期間で2度目の語学留学に行きました。ちょうど2020年1、2月のパンデミック直前の頃で、少し遅れていたら日本に帰ってこれなくなってたところでした。
その後も現在に至るまで英語には苦労し続けていますが(PMは緻密なコミュニケーションが求められる職種なため、ハードルは高いと思います)、このあたりは本題から外れるので別途まとめようと思います。
Amazonに入社して
Amazonには2020年3月に入社しました。直後にパンデミックの影響でリモートワークに切り替わり、オフィスに出社したのは最初の1週間だけでした。英語や時差、フルリモートといった慣れない環境に、はじめのうちは足に重りを付けながら歩いているような気分でしたが、数ヶ月すると徐々に慣れてきて、仕事も楽しくなってきました。
また、日本にいながらグローバルレベルの機能ローンチのPMを担当させてもらうことができ、あらゆるリージョンのメンバーと一緒に仕事ができました。この経験のおかげで、米国でも何とかやっていけるのではという自信が少しは付いたように思います。ただ時差は本当につらい!!
米国でのポジションが決まるまで
Amazon入社2年目に突入し、転籍可能になった2021年春頃から、妻(自分と同じく多国籍企業に勤務)と渡米について具体的に話し、2人で少しずつ動き始めることにしました。自分はゴールデンウィーク明けから社内転籍ができる米国での空きポジションを見始めたりしました。年内くらいに決まればいいなという温度感でぼちぼち見ていました。
ところが、2021年夏頃から事態が急ピッチで進展し始めました。転機となる2つの出来事があり、結果として当初考えていた転籍ではなく転職することになりました。
7月中旬に妻の米国転籍(サニーベール勤務)が決まりました。決まるのはやい!そこで、自分も妻と同じタイミングで渡米できるように、サニーベール周辺のPMポジションを本格的に探し始めました。
その翌週くらいに、某日本企業から米国オフィスのPM募集のメールが来ました。日本にいながら米国勤務のスカウトがくることなんてあるんだと思いつつ、オフィスの場所を見てみるとなんとサニーベール!場所もタイミングもバッチリすぎて運命なのでは?と思い話を聞いてみることに。その後面談を経てオファーをいただき、ジョインすることになりました。
ということで、当初の方針からは急転換しましたが、米国でのポジションが決まりました。人生何があるか分からないものですね。再現性はないかもしれませんが、予想外の出来事が起きた際にチャンスを確実につかむ準備をしておくことの重要さを改めて実感しました。
↑ 妻の渡米についてはこちらで詳しく書かれています。
そして米国へ!
その後、2021年11月にAmazonを退職し、今の会社の日本本社でまずは働き始めました。自分も妻もそれぞれの会社でビザの手続きを開始し、どちらかが取得できたタイミングで渡米することにしました(今年からLやEの配偶者はEADなしで就労可能になったので、いずれか一方が取得できると2人とも米国で働けることになった)。結果として妻のビザが先に取得でき、自分はL2でまずは渡米して就労開始しています。
渡米に向けて本格的にアクションを起こし始めたのが2019年の秋なので、なんだかんだで3年近くかかりました。初めて渡米について考え始めた2013年からだと10年近く経ったことになります。以前 @fushiroyama さんの以下のツイートを拝見したのですが、驚くほど当てはまっているなと思いました。
米国での新生活には不安もありますが、今から何が起こるんだろうというワクワク感もあります。大学入学直後や、社会人になって初めて上京した時に感じたような気持ちを、32歳にして久々に感じています。今後も新しいことに常に取り組み続けていく人生にしていきたいです。
渡米してからの話も今後ぼちぼち書いていこうと思います。それでは!
米国での挑戦を応援いただける方はサポートお願いします!ありがとうございます🥺