音楽に「Tacet」を。|ベルリンフィル、ロックダウン前最後のアンコールはジョン・ケージの「4分33秒」

ジョン・ケージの「4分33秒」という楽曲は、クラシックをよく知らない人でも、なんとなく聴いたことのあるタイトルではないだろうか。

タイトルにある4分33秒間、演奏者は「Tacet」を演奏する。「Tacet」つまり「休み」である。楽器の指定はない。

もともとは「偶然性の音楽」というコンセプトの中で、その「休み」の間に起こる、少しの物音や、環境音、耳に聞こえてくる自分の血脈の音…等々、その空間に起こる「意図しない、させない」音を音楽として捉えることを意図しているのだが、今回は少し違っていた。

ベルリンフィルは新型コロナウイルスの感染拡大を受け、11月2日より30日までの間ロックダウンを決めた。せっかく戻ってきた音楽の場がまた「Tacet」するのである。

指揮者のペトレンコがロックダウン前日のこの日アンコールに選んだのはこの「4分33秒」だった。オーケストラで取り上げられることはほぼない楽曲であったため、ニュースの見出しを見た時点ではその選曲に『なぜ』という気持ちが起こった。しかし、この配信の映像を見たときに、その理由が痛いほどわかった。

音楽家に「Tacet」と指示すると、音楽家は音を出すことはできない。「休み」だからだ。しかし、「休み」は楽譜上に記されている以上、休憩ではない。この間も音楽なのだ。

ペトレンコは各楽章でタクトを上げる。聴こえてこない音楽に手を伸ばすかのように、楽団員たちにいつも通り、目と、手先で指示を出す。
ただ、楽譜には「休み」と書かれている。指揮者と楽団員が常に共有しあい、読み合わせ、表現する、この楽譜に「休み」と書かれているのだ。

「音のない音楽」がこれほどまでに意思を持ち、そして哀しみを持つなんて。

これはジョン・ケージの意図した「意図しない音楽」ではなく、もはや、世界最高のオケであるベルリンフィルと、世界最高の指揮者の一人であるペトレンコの強く、あまりにもダイレクトすぎる「意思のある音楽」であったのだ。声を上げられない、音の出せない、この状況、そして全世界の私たち音楽家の感情を、言葉や音でなく「Tacet」で、彼らは代弁した。

涙が止まらなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?