見出し画像

🍓ぼっちで結構、とまでは言わないけれども。(HSS型HSP)

会社員であることを辞めて、フリーランスとして働くようになって8カ月以上経った。
会社員を辞めてからは1年半くらい。
その前1カ月くらい有給休暇の消化で会社には行ったり行かなかったりしてたので、1年7カ月くらいほぼほぼ自宅に引きこもっている。
仕事ができる環境は整えたし、社会情勢的にも家から出るなっていう感じだし、そもそも活動的ではないので、積極的に外に出て行こうとは思わない。

幼少期からこういう性格ではあったけれども、もともとそういう個体なのか、あるいは自分を守るためにこうなったのかはよくわからない。

△ ▼ △ ▼ △

中学校では、遊ぶ友だちを制限された。
高校は、あえて女子校に行くことで干渉されないようにした。
学校選びはただの作戦の一部だった。

一番行きたかった大学は、自宅から最速でも片道2時間半はかかる場所にあった。
往復5時間超。
家を出て大学の近くに住むなど絶対に許されないのはわかっていた。
金銭的な問題ではなく、管理のために。

実家が、もう本当にどうしようもないくらいの山奥とか、朝晩1回ずつの船でしか本州に渡れない離島だとかだったら違っていたかもしれない。
中途半端に関東にあるということは、ものすごくやっかいだった。

たとえば「関西に行く」とかも考えられなかった。
よっぽど特殊な学部を志望しているわけでなければ、たいていの勉強は一都三県から出ずにできてしまうのだ。

4年間も管理されてたまるかと思い、大学受験そのものをやめた。

△ ▼ △ ▼ △

中学生のころからじわじわと毒を喰んでいたのは自分自身だ。

毒に耐性をつけていき、誰かと遊んだりしないほうが、ひとりでいることのほうが正しいのだ、私は自分がこうしたいからこうしているのだ、と、暗示をかけた。
結果として、大人数で集まると非常に疲れる個体に仕上がってしまった。
そう考えると、私のHSPは後天的なものなのかもしれない。

25歳のときに〝先生〟と出会い、強烈な解毒剤を打ち込まれてから自分のなかで何かが変わった。
HSPに「HSS型」がついたのはこのころだと思う。

大人数でなにかをすることもできるようになったが、帰宅後にどっと疲れが出る。
皆のことが嫌なわけではないのに、ひとりで出かけるときの何倍も疲れる。

ただ、大人数も楽しめるようになったので、あの〝荒療治〟も悪くなかったかな、と思う。

△ ▼ △ ▼ △

豊田スタジアムにひとりで行くのが好きだ。
なんだってできる。
なんにでもなれる。

ホームが遠いサポーターでよかった、と思ったりもする。

△ ▼ △ ▼ △

取り立てて問題もない幸福な家庭に育った子どもが、まっとうにまっすぐに清く生きているかといったら、そうでもない場面をまま目にすることがある。
孤独なこの毒の味を知らない人から飛んでくる目に見えない刺激は、私に毒の存在を思い出させる。
わかってもらおうとも思わないし、わかる人なんてほんとうはいないほうがいい。

私たちは、抜けきることのないこの毒とつきあってゆくだけ。

△ ▼ △ ▼ △

最近、ちょっと似ている人に出会った。
その人が毎日笑っていられますように、ということばっかり考えている。




サポートいただけたらとっても嬉しいです(*ˊᵕˋ*)いただいたサポートは、今後の取材費や活動費に使わせていただきます(*ˊᵕˋ*)