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言葉だけでは

言語化、言語化…
とにかく言葉が大切。と言われる世の中。


ましてや私もことだまを勉強して、ことだま鑑定師という資格を得た。
秘書検定も持っており、敬語の面白さには魅了された。

言葉は面白い。


でも、言葉は器でしかないと思っている。
ことだまでも、長所も短所も表裏一体と伝えているし、そうでなければ勉強しなかったと思う。

「かわいいね」の言葉ひとつとっても、
好きな人に言われたのならとてつもなく嬉しいのに
初めて会った人ではセクハラとかチャラい奴とか思えて、不快になったりする。

どの言語を発するかより、そこにどんな想いがあるかが重要な気がしてならない。



言葉は書き残せる。残した言葉は何度でも力になってくれる。

だからこそ、言葉を力にするのは、想いなのだ。
言葉に命を吹き込めるのは、話し手がいるから。
言葉に命を感じられるのは、受け手がいるから。

想いのこもっていない言葉はただの飾りで
想いを受け取れない言葉は生きる屍のようだ。


言葉はあくまで、伝える手段のひとつ。


嬉しい時、たくさんの言葉を重ねるよりも
一緒に大笑いしてくれた方が嬉しくなったり

悲しい時、たくさんの言葉を重ねるよりも
背中をとんとん、とさすってもらった方が涙が出たりする。

言葉は素敵だけど、言葉じゃない方が響くときもある。
残せない一瞬だからこその想いを感じたりする。


日本人は感性の民族らしい。
五感で感じる生き物なのだ。

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、そして感覚。

器だけ見ることは、感覚だけおざなりにしている感じ。
体で言うと、心だけ置き去りにしてる感じ。


人でいうと、肩書きとか年収とかステータスだけでその人を見ている感じ。
そこにその人の心はあるのかよって。


見えるものが全てじゃないし説明できることが全てじゃない。
その反対にあることこそが本当は心で感じる部分だから、言語化が大切なら、その裏側も大切。

言葉だけでは足りないというか、安っぽいときってあると思うな。


なので私は想いを伝えるための手段として、言葉を大切にする。
けど言葉じゃ伝わらないこともあるから、気持ちはもっと大切にする。



褒め言葉とか優しい思いやりの気持ちは、謙遜して跳ね返さず、気持ちよく受け取りたいものだ。

私が辛いとき飛んで来てくれた友人たちのように、大切な人が泣いてるときは飛んで行くくらいの気持ちでずっと生きていたいものだ。

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