想いの重さ
親はいつも私の味方
それは知っていたのに
最後の最後に苦しくなるのは
最後のセリフがいつも宗教だったからだ。
親からもらった手紙を読み返していた。
最後は大抵「祈ること」について書いてある。
「祈り」というものの本質は大切だと思う。この歳になったからそう思える。
本気で信じたり自分と向き合ったりする時間は尊いと思う。
けど私はこの一家に生まれ育って共に生きてきたその宗教がどうしても肌に馴染まなくて、手紙をもらうと嬉しかったのに最後に複雑な気持ちになった。
「結局最後はそれ?」
と思った。
あなたを応援してるよ。
ってただその一言だけでよかったのに。私のことたくさんたくさん考えてくれてるのは知ってる。私が幸せになることを誰よりも願っていることも知ってる。
けど私はそこに祈れない。心から祈れないの。
だからもらった手紙は本当は捨ててしまいたかったのかもしれない。
開いた瞬間から「こうした方がいい」の嵐は時間が経った今でも、今だからこそ読んでいて苦しくなった。
親の想いが私には重かったんだな。
私が地元を出るのは、無言の圧のような強制はもういらないから。
無意識に家族のためを優先してた自分とさよならして、自分の人生を歩もうと決めたから。
だから泣きながら手紙を捨てた。
ごめんねの別れは嫌いだから、ありがとうと言って。
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