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こんな夢を見ます

もう私が全然ついていけない、今後何かのきっかけでエンタメを目にして再来年くらいにようやく認識できる、今勢いのある(という自論で)日本国内のヤング男子・韓流俳優男子の名前をスラスラと挙げて推してくると思えば、私が2年前に紹介した現役学生Youtuberさんを「最近こんな子がいてね!」と紹介し、2年遅れで追いついてくるから、31歳離れた母娘は視点が違えば、見ている世界も違うらしい。
母娘でこれなのだから、今また昔のように祖母・母・私のトリオで同じ景色を見て、飲食やお出かけの間にお喋りできたら、どんなに飛躍があって悩ましくも楽しいでしょうか。

今日のさもありなん劇場


このnoteは今週月曜日と火曜日と水曜日の記憶や出来事をライトに点で繋いだものを、木曜日朝に思い出しながら配信していることを、前提としてご理解ください。

前回の「もう今は他者の幸せが[願い]という話」の直後に再び映画「ウィッシュ」を見たら、やっぱりアーシャの願いは
「おじいちゃんの願いを叶える」(というより、「守る」)でした。

私は両祖父とも既に他界しているので、両祖母に今からできることはないのかとよく思い巡らせています。それが原因なのか、映画の翌日、こんな夢を見た。(黒澤明監督映画風)


それは、もやりとした夢の中、どこともつかない「名もなき場所」に祖母、母、私3人で居合わせて何かの話題で笑いあってるだけの映像でした。

起きたらそれしか記憶がなく、夢の詳細に関してはそれ以外書くことが特にありません。

昔は当たり前のようだった旅や外食、お茶...祖母も好きだった場所に、母とも一緒に出かけていたのに、そんな三世代の他愛無いおしゃべり風景は10年ご無沙汰かもしれません。


今は祖母にはメールも視認性が悪くなったので、季節ごとのお便りがなんとか届くくらいで、父・母がそれぞれ”伝書鳩”のように私の近況を伝えにいくだけ。


この水曜日はまた母が祖母(自分の母)のもとに定期の伝書鳩(業)に行っていました。

私がマグニフィコ画像を送って締めた後、「老けたね」と書くので「誰が?」と返した
母は後で届いた画像の祖母に対して言っていた(SMSでよくあるすれ違い)
「これはあのグラノーラのおばあちゃんです」と書けば『暮しの手帖』70周年記念号のエッセイを読んだ読者さまなら解ってくれるだろうか。


かつて"おばあちゃん子"だった孫として、近年は「これといって全くコミュニケートできてない」に等しいのだけれど、少なくともこの祖母には、昨年秋は『暮しの手帖』という互いの大切な雑誌を介して、微力なりとも心で通じ合い、喜ばせることが出来たと思います。


両祖母となので、つまり父と母と私を介しては、ありそうで無い、それこそ今では「夢」のようなコミュニケーションとなってしまいました。


やっぱりおばあちゃんという存在は、どこまでも喜ばせたくて。

できれば、私が「夢」に見たような三世代会話や外出も、私の顔が認識できて、少しギクシャクはしてもちゃんと会話ができて、口から物を飲んで食べられている、今のうちに叶えたい。

アーシャに倣い、叶えることを今年からの仕事のひとつにいれよう。

安心安全で楽しいプランやサプライズ。さてさてどんな風に計画しようかしら。

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