ひと夏のチャイナタウンジャーニー
2018年夏。
私は旅先のボストンで1つ、ニューヨークで3つ。そして住み慣れた街の横浜中華街で、5つのチャイナタウンを訪れた。
これまで、滞在先にチャイナタウンエリアを選ぶ確立が不思議と高かった。
その前の2017年にもポートランドで初めての滞在先オールド・タウンの「Society Hotel」に着いて最初に見えた景色は、電信柱や駅の赤いペンキに赤い旗。ポートランドの青空とインダストリアルな建物とのコントラスト。
とても新鮮だった。
旅先で最初に訪れた滞在先が、ボストン・チャイナタウン。
ここは所得の高い層が移り住んだ事で昔からの住民が住み続けられなくなるという「ジェントリフィケーション」の問題があると聞いて来た。確かに、アーバンな風景の中にぽっかり現れるこじんまりした中華系の空間は数時間で軽く歩き切ってしまうほど。
こぎれいなオフィスビルや大学病院の端境にあるチャイナタウンは、独特に感じられた。
カメラを向けると、洗練された中にどこか退廃的な要素が映り込む。今まで見たことのないチャイナタウンの遠景だった。
土曜の夕刻、次々レストランに集まる家族や友人、恋人たちに遭遇した。
年齢も肌の色も様々な人たちが思い思いに大皿の中華料理をシェアする様子に、中華料理が改めて世界中の人にポピュラーな存在だと伝わってきた。
私は「ヴィーガン・パッシーユ」を注文。通りのウィンドーから覗くだけではわからなかったが、ここで働く人の手で生み出される一皿から受け取ったエネルギーは、ものすごく高かった。
ロウアーマンハッタン、クイーンズのフラッシング地区、ブルックリンではサンセット・パーク。
ニューヨークの3カ所のチャイナタウンだけでも街の表情がかなり違っていることを、自分の足で横断した事で初めて知った。
この3大チャイナタウン以外にも、近年形成されたばかりの新しいチャイナタウンがあり、全米では54のチャイナタウンが存在するそうだ。
そういえばヨーロッパを初めて旅した学生の頃、慣れない食事が続いて気力を失いかけていた時、駅で売られていたチャイニーズフードのテイクアウトの美味しさでじんわり心が温かくなったのを覚えている。
「あのおじさんはなぜドイツの駅でチャイニーズフードを売る人生になったのかしら」とぼんやり考えながら、くたくたの旅の道中にとても助けられたので感謝した。
これまでの旅経験でのチャイニーズフードの満足度は高く、これからどんな旅先で、少しくらいサービスが無骨でも、私はチャイニーズフードに一票を投じたい。
1970年代からアメリカへ、そして日本に今もどんどん増え続けている中国人達の生活習慣や行動について、世間で様々なことが書かれている。
それについて私も何か筆をとろうとしたが、まずは自分の目と足、できれば舌で街を確かめ、そこにいる人達にアクセスしたいと思ったのだ。
本家本元の中国を訪ねた事が無く、中国語をひとつも話せない。看板やメニューに踊る文字を読むことも出来ない。
そんな私だが、自分の足と目と舌で確かめて言えることは、あなたが世界のどこでチャイナタウンを訪ねても、渦巻く情報の中から見えない中華系住民の温かさに何かしら触れることが出来るということだ。
どのチャイナタウンを訪ねても温かみを感じて「帰って来たな」という感覚になるのは、育った街が中華街に隣接していたからかもしれない。
旅を終えて元町・中華街の駅に着き、香ばしいあの街の匂いを嗅いだ途端、私はまたホッとしているのだった。
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