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大学生になって再び都会のトム・ソーヤを読んだ

小学生、中学生ぶりにはやみねかおるさんの都会のトム・ソーヤを読んだ。

はやみねかおるさんの本は大好きだったので、当時ほとんど全ての本を読んだことがある。先日友達と児童書の話題をし、はやみねかおるさんが懐かしくなったので、一番好きだった都会のトム・ソーヤの新しい話を読みたくなった。

このシリーズの主人公は中学2年生であり、当時は自分と同い年だったが、今では自分の方が年上になってしまった。ユラさんはとても大人っぽい人だと思っていたのに、とうに自分の方が年上になってしまっていた。勝手に高校生くらいだと思っていたのに。

成長してから読んだことで得られたことが2つある。
1つ目は、創也の雑学の中に自分が知っているものがあったことだ。何巻かは忘れてしまったが、フラッシュペーパーの作り方関する話であった。この話を自分は高校の化学の授業で学習した。創也の雑学で知っているものがあるのは初めてだったのでとても興奮した。

2つ目は、ユラさん(中3)が内人(中2)に言ったセリフに関することだ。中学2年生は子どもでいられる最後の学年であり、中学3年生は大人になることを考えなければならないというようなことだ。
中学3年生は中学3年生視点だと高校受験という今後の将来にとって重大なイベントが控えているように感じるよなーーー、と自分は思った。強ち間違いではないとは思うのだけれど、別に高校選んだって人生決まるわけじゃないし選んだ高校合わなくて転校した人もいっぱいいるし、高校生だってクラスレク楽しんだりするしんだよなあああ、と思った。

中学生って当時だと結構大人のように感じられるけれど、実はぜんっぜんそんなことないよな。(もちろん個人差はある)小学生に比べたら大人だけどさ。案外なんとかなるよ、ユラさん。

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