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【感情紀行記】日本の中心

 日本の首都は東京である。現代を生きる日本人の共通コンセンサスである。ある地域を除いては。古来から日本は天皇の居住地を国の首都とし、中心と考えてきた。時代によってその首都は遷都し、変遷を重ねてきた。

 問題の原因はいくつかある。そもそも、日本の首都を定めた法律はない。明治時代に天皇の詔勅によって定められた日本の首都東京は、天皇が主権を失って以後、明言する文は首都建設法へと移行した。その後、首都建設法が廃止されて以降、首都東京は自明であるように法律上扱われてきた。

 東京生まれ、東京育ちの自分は、首都東京は絶対に譲れない。現状に疑義を唱える民はもちろん京「都」にいる。歴史を遡れば、明治天皇が東京へ遷都する際、もちろん京都の人々は大騒ぎで、東京への旅行という建前でいつの間にか東京が首都になったわけだ。「旅行中の天皇」問題は現代にも大きな禍根を残している。上皇上皇后両陛下が京都へと行幸啓される際、産経新聞などは、「地方訪問」と銘打った。しかし、京都新聞は「四年ぶりの入洛」との書きぶり。あくまでも、地方ではなく、都入りなのである。地元に対して確固たる誇りと、愛情があることが伝わる。横浜の人が、「どこからきてるいの?」という質問に即答で横浜と答えるように、町田市の人が胸を張って東京と答えるように。

 そんなことを思っていたら、G7広島サミットを紹介する映像に、「広島風」お好み焼きを焼く様子が写っていた。首相の地元、広島で国家的に推進されるその「お好み焼き」には広島風などという文言は絶対についていない。イギリスの首相も、お好み焼きとしてその食べ物を紹介している。イギリスにおけるスコーンの食べ方のように、地域には食べ物の名前や作り方、食べ方にまでも戦いが繰り広げられている。

 現代において希薄になったとされる地域関係と地元愛だが、まだまだ復活の希望はありそうだ。地域にはそれぞれの想いや伝統、言い伝えがある。地方を回ったり、その地域の文書を見たりするたびにその特色を噛み締める。

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