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色々なことがあった日の就寝前、暗記科目を勉強した。床についたものの、考え事が頭から離れない。目を瞑り、寝ようとするものの、その日にあった出来事や、暗記した単語たちが脳内を覆い隠すようにベールとなって包み込む。犇めき合う記憶たちが睡眠の妨害をしてくる。 その日の行動を後悔したり、喜んだりしたことが流れつつ、単語が霧の如く脳内をかき回す。寝られない、寝ても深く、質の良い睡眠は取れないのではないかと思う。その思いがさらに脳内をかけ巡り、頭を混乱させる。 気がついたら朝にな
昔から、自分の服というのをほとんど選んだことはなかった。そんな中、小学生の頃の好みの服というのはブランド物の襟付きの服だった。それを着ていれば何か許容されるような、周りとは違う感覚がしたのだ。 中学に入り、週6日、多ければ7日制服を着る様になった。なおさら私服とはかけ離れた生活が始まった。そんな中、いかに丁寧にその制服を着こなすのか、オシャレになるのかというのが楽しかった。ネクタイの閉め方からボタンのかけかたまでさまざま調べ、実践していた。大学に入り、私服を着る様になっ
小さい頃、水を買う人の気持ちがわからなかった。幼少期は、外で飲み物を買う回数が少ない。そして、小さい子供の数百円はかなり大きな額である。そんな一回の重要な決断において、蛇口を捻れば出てくるような液体にそんなものを選んではいられないのだ。甘くて美味しい飲み物を選ぶに決まっている。 そんな卑しい損得勘定は年齢とともに薄れ、何も考えずに水を買うようになった。これで大人の仲間入りだ。そんなことを思い、外出先のコンビニで水を買おうとした。その時、見つけてしまったのだ。「常温の水」
「綸言汗の如し」といのは、昭和天皇が使ったことでも有名であるが、一度言ってしまった言葉は汗のように元に戻して取り消すことのできないことを指している。 言葉による後悔は多々あり、よく引きずっている。言葉というのは重いもので、何度だって後悔する。軽はずみな言動に言葉選びのミスは、相手がそう気にしてなくても自分はとても気にしてしまう。 よく思い出すのは、とある少し値段の張る天ぷら屋さんに、自分の上司のような存在の人に連れて行ってもらった時のことだ。その上司が言葉遣いにえら
人の知識には量的制限と偏りがある。時々、そんな知識を一気に押し広げてくれるような人物に会うことができる。当たり前だと思っていたことや、知らなかったことを気づかせてくれる。 つまり、人が二人いれば、そこには知識のベン図があるというわけだ。そんなベン図は時々問題を起こす。ユーモアというのは、受け手の知識量が必要となる。いじったり、例えたりしているものがわかり、それを冗談として受け取る能力が必要だからだ。自分の知識というのは、極端に偏って情報を蓄積している。ユーモアで使いやす